ブリティッシュ・エアウェイズ5390便は上空5300mで機長コックピット外!

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ブリティッシュ・エアウェイズ5390便は高度5300mの上空でコクピットの窓ガラスが割れ機長が外に飛ばされるアクシデントに見舞われます。

にもかかわらず死者0、怪我人2名だけという奇跡的の生還を果たし「ありえへん世界」でも紹介されました。

■ブリティッシュ・エアウェイズ5390便

使用機材:BAC 1-11・528FL(登録記号G-BJRT)

コールサイン:スピードバード(Speed Bird) 5390

乗客:81名

機長:ティム・ランカスター

副操縦士:アラステア・アチソン

客室乗務員:スーザン・プライス ナイジェル・オグデン 他2名

Blowout | British Airways Flight 5390
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ブリティッシュ・エアウェイズ5390便の事故の経緯

1990年6月、ブリティッシュ・エアウェイズ5390便は、スペインのマラガ空港まで2000kmを移動するため現地時刻7時20分にバーミンガムを離陸

副操縦士のアラステアは始めて操縦する機体とあって緊張しながらもが通常通り離陸を担当し、離陸から10分後、安定した上昇の中で機長のランカスターに操縦を交代。

その後、オックスフォードシャー・ディドコット上空・高度5200mで機体はオートパイロットに切り替え、機長・副操縦士とも肩ベルトを外し、機長は腰のベルトも緩めた。

和やかなひと時が訪れ、7時33分には客室乗務員は食事の準備を始めていたところ、機体後方から大きな破裂音が響き渡ります。

突然の破裂音とともに機長席側の窓ガラスが吹き飛び、機内に霧が充満した。

急減圧により、腰ベルトを外していたランカスター機長は頭から操縦席の外に吸い出され、膝が操縦桿に引っ掛かった。

彼の体は上半身は機外、脚のみ機内という状態になった。操縦席の扉は、通信、操縦卓の上に吹き飛ばされ、客室から紙や破片などがコックピットに吹き込んだ。

機長の足で操縦桿が押し込まれた状態になったため、自動操縦が自動的に解除され、機体は急降下し始めた。

客室内で酸素濃度が低下する中、操縦席の異変に気づいた客室乗務員のナイジェル・オグデンが駆けつけ、コクピットでは機長を中に引き入れようとするが失敗。

そこで、副機長のアラステアはそのまま高度を3000mまで下げ、客室内の酸素濃度を上げることに成功。

凍傷と体力の限界に達していたパーサーは一度は機長を機内に戻すのを諦めかけるも、この機体・BAC1-11は胴体後部にエンジンが配されているために機長の身体がエンジンに吸い込まると、空中分解やエンジンの火災を招く恐れがあったため断念。

その間、機長は345マイル毎時 (555 km/h)の気流に曝され、-17℃の外気温・体感気温-45℃と希薄な空気に晒され続け機長の生存はもはや絶望的。

操縦室からは左の窓から機長の胴体と頭が見えた。

ただ機長のベルトを腕で掴み確保すると、機長の足をなんとか操縦桿から離すことに成功。

客室乗務員のスーザン・プライスは他の乗務員1名とともに乗客を鎮め、不安定なものを固定し、緊急体制をとり、アラステアは高度2000mで機体を安定させどうにかコントロールを取り戻すことに成功。

機長の意識をも出らない中、本来2人で行う通信と操縦の業務をアラステア副操縦士が1人で行うことになります。

機内では急減圧が発生していたが、同機には全員分の酸素マスクが無かったので、副操縦士は機体を緊急降下させて酸素濃度を確保し、自動操縦を再稼働させ、それから緊急信号(メーデー)を発した。

しかし、激しく吹き込む気流のため、航空管制からの返答を聞き取れなかった。このため意思疎通に手間取り、ブリティッシュ・エアウェイズへの通報が遅れ、結果的に同社の緊急手順マニュアル(EPIC: Emergency Procedure Information Centre)の適用も遅れた。

その後アラステアは、緊急着陸を試みるため付近の空港を紹介してもらうが、安全に着陸が可能なガトウィック空港までは30分と時間がかかることが判明。

より距離の近いサウサンプトン空港は着陸に必要な滑走路が足りずクルーと機長の命が危険があるもおの、アラステアは乗客の命を優先し一秒でも早く着陸するためサウサンプトン空港を選択。

航空管制からサウサンプトンへの着陸許可を得ると7時55分、ブリティッシュ・エアウェイズ5390便はサウサンプトン空港滑走路02で滑走路ギリギリでなんとか停止し無事着陸。

乗客は速やかに前後の階段から降機し、機長も救急隊員に確保された。

ブリティッシュ・エアウェイズ5390便の事故原因は?パイロットのその後は?

ブリティッシュ・エアウェイズ5390便の機体は1960年代に開発された旧式機の「BAC1-11」で、胴体後部にエンジンを配しているため高い操縦技術が要求される代物だった。

ランカスター機長の顔面は絶えず風防に打ち付けられていたが、その間目が開いたままで瞬きもしないので、クルーは彼が既に死んでいると思われたが、この事故で死者は出なかった。

乗員乗客87人、機長も骨折と全身の凍傷という重傷ながら無事に生還を果たす結果となった。

周りが驚いたことにランカスターも生きており、サウサンプトン総合病院へ運ばれ、凍傷、挫傷、ショックに併せ、右腕、左拇指、右手首の骨折の診断を受けた。

客室乗務員のオグデンは肩を脱臼し顔と左目に凍傷を負った。怪我人はこの2名だけで、奇跡的に死者が出ることはなかった。

ランカスターらパイロットは5ヶ月後には帰。復帰後は定年退職まで勤務し、定年後はイージージェットに勤務した。

また、この事故を経てアラステアは機長になったという。

一歩間違いば大惨事になっていただろうブリティッシュ・エアウェイズ5390便の事故の原因はコクピットのフロントガラスを交換した際、ヒューマンエラーで規格外のネジが使われて、強度が不足していたことだった。

窓ガラスの交換は2年ぶりのことだったのだが、整備士はマニュアルをよく確認しないまま作業を行っていたのだった。

最終報告書にて、以下の提言がなされた。

■ブリティッシュ・エアウェイズ側
整備部品の管理体系の再考と、方針伝達、意思疎通の徹底
整備監督者に対して、整備仕様書と技術専門レベルの再教育
整備担当者からの詳しい聞き取り調査と作業基準の再考

■イギリス民間航空局側
航空機の、安全上重要な作業の認定についての再考
FOI 7 の実地検分の目的と範囲の再考
整備士の再教育と再試験の検討
航空機整備の際、医師による矯正用眼鏡の使用の確認。
航空管制資格の取得にあたっての、緊急時の対応理論と実際の訓練の実施

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