ハチ公物語の読書感想文あらすじ|中学生・高校生の例文は?

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「ハチ公物語」で読書感想文の課題・宿題が出た場合、どんな内容にすると良いんでしょうか?例文は?

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ハチ公物語の読書感想文|中学生・高校生の例文は?

引用:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12112271752?__ysp=44OP44OB5YWs

ハチ公の脳裏には何が浮かんでいたのだろう―。待ち続けた。実に九年間。雨の日も風の日も日差しが強く照りつける日も。決して帰ることのないご主人様を待ち続けた。ご主人様の上野先生に飼われていた期間は一年半ほど。その何倍もの期間にあたる九年間。ハチ公の足を渋谷駅に向かわせたものとは一体何だったのだろう。

犬だから、先生が亡くなってしまったことを理解できなかったのだろうか。いや、そんなことはない。その証拠に、先生のお通夜の日、ハチ公はひつぎの前に進み出たではないか。そして、ひつぎが置かれた机の下にもぐりこみ、がんとして動かなかったではないか。先生の永遠の旅立ちを見守るかのように。では、なぜハチ公は亡くなってしまった上野先生を渋谷駅前でひたすら待ち続けたのだろうか。

病気の時は付きっきりで看病を受けるなど、ハチ公はそれこそ、実の子どものように上野先生にかわいがられた。上野家において、ハチ公は飼い犬ではなく、まさに家族の一員と言って差し支えない存在だった。そしてハチ公はその深い愛情を強く感じ取った賢い犬だった。だが、上野先生の急逝によって、ハチ公を取り巻く環境は一変する。ハチ公は親類の家に預けられ、住んでいた家も人手に渡ってしまった。上野先生との日々を思い起こす場所がなくなる中、毎日上野先生を待ち続けた渋谷駅はハチ公にとって唯一、先生との思い出が残る特別な場所だった。先生が亡くなってもなお、その特別な場所に立ち続けることで、先生との楽しかった思い出に浸っていたのではないか。

「渋谷駅前なら多くの人がいて、エサがもらえるから」という意見は現実的かもしれないけど、少し違うと思う。人が多く、エサのもらえそうな場所ならほかにもたくさんある。やはりハチ公の立つ場所は渋谷駅しかあり得なかった。一緒に散歩したこと、看病してもらったこと、エサをもらったこと―。過ごした期間はわずか一年半ながらも、振り返る思い出は数え切れないくらいあったと思う。それぐらい先生とハチ公の心のつながりは深く広いものだったのではないか。それこそ、九年間では思い返し切れないくらいに。

当然のことだが、上野先生が渋谷駅に現れることは二度となかった。そしてハチ公は九年間、渋谷駅に立ち続けた末に病死してしまう。端から見れば、待ち続けるハチ公の思いは届かなかったように思えるが、ハチ公の行動の目的が特別な場所で特別な人との思い出に浸るという点にあったとするならば、幸せな人生(犬生?)だったようにも思う。実際、新しい飼い主の家を何度も逃げ出すなど、ハチ公は渋谷駅に立ち続けたかったのだと思えてならない。そして大好きな上野先生との思い出に浸り、そのめい福を願いつつ、静かに祈りを捧げていたのではないだろうか―。

当時から多くの人々が往来した渋谷駅。駅前に立ち続けるハチ公の脳裏に幻のように映っていたのはにぎやかな雑踏ではなく、「やあ、待たせたね」と優しい笑顔で駆け寄ってくる大好きな上野先生だったのだろう。


ほかにも、平成21年度 読書感想文コンクールで最優秀賞作品が参考になりそうです。

ハチ公物語の読書感想文用のあらすじ

ハチ公物語は松竹富士配給の忠犬ハチ公を実話を基に創作を加えて描いた映画作品です。

忠犬ハチ公は上野英三郎という農学部の教授が飼っていて、上野英三郎が急遽した後も毎日渋谷駅前で主人の帰りを待ち続けたとされています。

ただハチ公が死んだのはいつもの渋谷駅前ではなく駅の反対側、渋谷川に架かる稲荷橋付近の路地です。

死後間もなく東京大学農学部において病理解剖が行われ、その結果心臓と肝臓に大量のフィラリアが寄生し、そのために腹水が溜まっていた事が明らかになりました。

これが死因とされていましたが、その後の調査の結果、癌が見つかったことが分かっています。

新たに判明した忠犬ハチ公の死因について | 東京大学大学院農学生命科学研究科

ちなみに、ハチ公を「忠犬」とする見方には異論もあります。

主人の生前も死後も毎日のように渋谷駅に現れる本当の理由は、駅前の屋台の焼き鳥屋からもらえるエサが目当てであったという説もあります。この説には、ハチ公の死体を解剖した際に胃の中に細長い焼き鳥の串が数本突き刺さっていたという事実が根拠を与えていて、更に、渋谷出身で、生前のハチ公を実際に見ている鉄道紀行作家の宮脇俊三の著作「時刻表昭和史」にもハチ公を可愛がる駅周辺の人達が与えるエサが目当てであったという記述があり、この説の根拠となっています。

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