岩田剛典の出身中学校など生い立ちを調査!本名や名前の由来は?

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岩田剛典さんといえば、「岩ちゃん(がんちゃん)」の愛称で親しまれる三代目 J SOUL BROTHERSのパフォーマー(ダンサー)。

2014年からはEXILEのメンバーとしても活動している岩田剛典さんの気になる中学校などプロフィールをまとめています。

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岩田剛典の出身中学は?

岩田剛典さんは地元の愛知県にある名古屋市立陽明小学校から中学校は慶應義塾普通部に進学しています。

慶應義塾普通部と言えば、中学受験の難関校と知られる学校で、岩田剛典さんはもちろん受験のために小学校高学年から塾に通い勉強漬けの毎日を過ごしています。

塾では成績によってクラス分けされ、順位も発表されるという厳しい競争意識があったようですが、
岩田剛典さんはなかなか成績が伸びずにしんどい時期もあったそうですが、最終的には全国模試で上位に入るほどになり無事に中学受験で第一志望校に合格を果たしています。

慶應義塾普通部は慶應義塾が設置・運営する学校で唯一の男子中学校で、例年、慶應義塾幼稚舎から60~70名と、外部の小学校から約180名の入学者で構成されています。

有名な卒業生には下記のような顔ぶれがあります。

櫻井翔
石坂浩二
石原良純
石原伸晃
岡本太郎
松任谷正隆
Zeebra(横井英之)
玉塚元一 – ローソン社長

岩田剛典さんは中学校から母親と共に地元を離れて東京に移り住むようになっています。

中学時代は空手部とバスケットボール部に所属していたそうですが、小学校時代に勉強ばかりしていたことから、当初は女子と話すのは苦手だったそうです。

ただそれでも中学3年生の時にはじめて彼女ができたことをバラエティ番組「今夜くらべてみました」で明かし漫画喫茶ではじめてキスをしたと告白していました。

なお「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」に出演した際には、中学時代の夏休みの工作について、
中学1年生の時に真田幸村の粘土細工、中学2年生の時には弁慶のからくり人形、中学3年生の時には宮本武蔵の等身大人形を作ったと話しています。

年次が上がるにつれてクオリティも上がっているのがよくわかります。

中学校以降の学歴は、多くの人が知る通りで、内部進学で慶應義塾高等学校から慶應義塾大学法学部政治学科に進学しています。

高校時代にはラクロス部に所属していますが、その理由としては「モテそうだったから」という思春期の男のにありがちな理由と共に、
「ラクロス部は高校からしかなかったのでみんなスタートラインが同じだったから」というかなり先を見据えた理由もありました。

実際に岩田剛典さんは高校生でありながら大学生中心のチームだった当時のU-19ラクロス日本代表候補に選出されています。

そして、大学時代は一転してダンスに打ち込むようになり「ミスター慶應コンテスト2009」で最終候補者(ファイナリスト)にも選ばれています。

惜しくもグランプリや各賞の受賞はできなかったようですが、この年のミスター慶応に輝いたのは俳優の古川雄輝さんです。

岩田剛典の本名や名前の由来は?

名前の由来は「剛典→強く賢く」というもののようですが、真偽が不確かなため引き続き調査を討すすめます。

参考:https://m.tribe-m.jp/bbs?i=detail&theme=95&id=747385

岩田剛典wikiプロフィール

名前:岩田剛典(いわた たかのり)
出身地:愛知県名古屋市
生年月日:1989年3月6日
年齢:31歳
中学校:慶應義塾普通部
出身高校:慶應義塾高等学校
最終学歴:慶應義塾大学法学部政治学科
身長:174cm
体重:63kg
血液型:B型

岩田剛典さんは大学時代にダンスに明け暮れていたころ、大学4年だった2010年7月にNAOKIから三代目J Soul Brothersのパフォーマーオーディションの誘いを受け参加

「EXILE LIVE TOUR 2010 FANTASY」神戸公演のリハーサル時で、EXILE HIROより「三代目J Soul Brothers」のメンバーとなることが発表され、就職先の内定も辞退して以降はEXILEのパフォーマーとして活動を続けています。

ちなみにその企業からは「内定を断ったのは君が初めて」と言われ、日本テレビのアナウンサー試験も受けていました(1次試験で不合格)

ただ、岩田剛典さんは内定を断る際にはかなり悩んだことをインタビューで話しています。

「白髪になるんじゃないかと思うぐらい悩みました(笑)。しかも、その間、内定先の企業からも新入社員懇親会なんかの案内は来るし、僕は当時、内定者たちのLINEグループでリーダーをやっていたので、バンバンLINEも流れてくる。精神的にだいぶ不安定でしたね」

岩田剛典さんが就職活動をしていた時期といえば、まだリーマンショックの余韻を引きずった就職氷河期。最終的には「ダンスという夢を諦められなかった」と語っています。

「三代目J Soul Brothers」として長く活動を続けていた岩田剛典さんはそのパフォーマンスが認められ、2014年4月27日の「EXILE PERFORMER BATTLE AUDITION」で合格しEXILEに加入しています。

岩田剛典の家族は?父親・母親・兄弟姉妹は?

岩田剛典さんの名古屋の実家は以前、テレビ番組で紹介されて超豪邸であることがわかっています。

門から玄関までは30m以上で、敷地内には大きな家が2棟も建っていて、
父親の岩田達七さんは高級靴のブランド「マドラス」株式会社の三代目社長。

岩田剛典さんの兄は長男で、跡取り息子となることから自然と後継になるべく育てられていたそうですが、
次男のだった岩田剛典さんはまだ兄に比べたら自由にさせてもらっていたのかもしれない、と自分の生い立ちを振り返っています。

就職の内定を辞退して芸能界に入ることを決意したことを両親に報告した際、
厳格だった父親からは意外にも「人生一度きりだからお前の好きなようにやれ」と賛成してくれたそうですが、
母親からは芸能界デビュー後も「いつまでこの仕事やるの?」と言われてすぐには受け入れてもらえなかったそうです。

岩田剛典さんの兄の名前は「岩田公一」さんですでに結婚をしていますが、
その結婚相手というのが、「フジ・メディア・ホールディンス」の新社長でもある嘉納修治さんの娘さんという噂があります。

ちなみに、岩田剛典さんがなぜ、地元の名古屋にある有名私立中学校ではなく、はるばる東京の中学校、慶應義塾普通部に進学したのかというと、祖父も父も慶応の出身だったことが原因。

岩田剛典さんが物心ついたときから呪文のように「慶応に入りなさい」と言われて続けていて、小学校高学年になるころには「自分は慶応に入学しなければいけない」という意識を持っていたそうです。

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