梶井基次郎「檸檬」あらすじ解説|なぜ爆発?

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小説『檸檬』は、梶井基次郎による文学作品

高校の教科書へも掲載されている、梶井基次郎『檸檬』のあらすじについて

作者にとっての檸檬の意味は?なぜ爆発させたんでしょうか?

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梶井基次郎「檸檬」のあらすじ

主人公である作者は、得体の知れない不安に苦しむ存在であり、肺の病気や借金以外の原因で不安を感じていた。ある日、お気に入りの果物屋の前で鮮やかなレモンに出会う。そのレモンの存在が作者の気持ちを晴れやかにする。

そこで作者は思い立ち、文具書店の丸善に立ち寄ろうとするが、再び不安が襲い掛かる。しかし、画集の上にレモンを置くと気持ちが戻り、レモンの存在が際立って感じられた。

作者は奇妙なアイデアを思いつき、レモンを爆弾に見立てて丸善を後にすることを決意する。レモンを爆発させ、画集や丸善が木っ端微塵になる様子を想像しながら店を去る。

作者は得体の知れない不吉な塊に押さえつけられた心境にあった。かつては美しい音楽や詩に心を奪われていたが、今はそういった心境にはなれず、むしろみすぼらしい場所や物を美しいと感じるようになっていた。

丸善もかつては大好きなお店であり、香水や石鹸、煙草などが並ぶその店内で長時間過ごしたこともあったが、今では重苦しい嫌いな場所となっていた。借金取りに見える店内の品々が作者を苦しめていた。

作者は友人の家を泊まり歩きし、街をさまよう生活を送っていた。ある日、二条の寺町で果物屋を見つけ、そこでの果物の美しさに魅了される。果物や青物の並び方やボリュームが素晴らしく、作者が好きな店の一つとなった。

作者は果物屋で珍しいレモンを購入し、その後丸善に立ち寄る。しかし、画集を見ているうちに再び鬱々とした気分になる。そこで作者はレモンを思い出し、積み重ねた画集の上に置くことを思いつく。

欝気分の中、レモンの存在を思い出し、爆発する想像をしながら丸善を後にする。これによって作者の心境は一時的に晴れたものの、根本的な問題や不安は解決されていなかった。作者はまだ病気や借金などの苦悩を抱えており、それらが不吉な塊として彼を押さえつけていることに気付く。

この物語は、作者が得体の知れない不安に追いやられ、レモンという象徴的な存在を通じて一時的な安らぎを見出す試みを描いている。しかし、レモンを爆弾に見立てるという奇妙なアイデアは、作者の心の闇を浮き彫りにするものでもある。

梶井基次郎「檸檬」あらすじ解説

「私」は体の不調なとき、美しいものに心を惹かれたり、ちょっとした贅沢をしてみたくなる。そんなときは、丸善に行って、香水や煙管や小刀や、いろいろ小一時間もかけて見たあげく、一番高い鉛筆を一本だけ買ってみたりするのだが、最近ではその丸善に行くのも気が重く、避けるようになっていた。
ある日、檸檬を買った。ちょっと不思議な感じの八百屋で買ったその檸檬は、特にめずらしいものではないのだが、単純な色彩、寸詰まりな紡錘型、ひやりとした触感や香りなどが、「私」の心を弾ませた。
「私」は檸檬を眺めながら町を歩き、気付くと丸善の前にいた。
普段は気が重くて避けていた丸善だったが、檸檬のおかげで気分が良く、思い切って入ってみることにした。
ところがやはり、入った途端に気が重くなった。
その気の重さを紛らわそうと、片っ端から本を取り出しては出しっぱなしにして、また次の本を引っ張り出して、と繰り返した。しかし、いっこうに気鬱が晴れない。
そこでふと、「私」は一計を案じた。
棚から取り出した本を山積みにして、その一番上に檸檬を置いて丸善を出たのである。
その檸檬が爆発したりしたら面白いのに。そしたら、あの気鬱な丸善も木っ端微塵になるのにな。


作者は、病気や借金に加えて、得体の知れない不安に悩まされていました。
ある日、鮮やかなレモンを見つけて買い、丸善書店に立ち寄りました。
丸善書店にいると、不安な気持ちが再び襲ってきました。
作者はレモンを画集の上に置き、レモンが爆発して丸善書店が木っ端みじんになる様子を想像しました。
作者はレモンをそのままにして店を出ました。

梶井基次郎「檸檬」は、不安や恐怖の感情を描いたものです。また、美しいものが恐怖や不安の感情を和らげることもあることを示唆しています。

梶井基次郎「檸檬」なぜ爆発?

主人公は、社会の中で自分の存在意義を見いだせず、疎外感を感じていました。彼にとって、鮮やかな色彩と存在感を持つレモンは、気取った資本主義社会に対するアンチテーゼのように思えました。つまり、レモンは、生命力と創造性を象徴するものであり、主人公は、レモンを通して、自分自身を社会に投げつけることで、社会と対峙しようとしていたのです。

もちろん、主人公はレモンを実際に爆発させたわけではありません。しかし、彼はレモンを爆発させるというイメージを抱くことで、自分自身の気持ちを表現したのです。

青春は、自分が何者なのか、何をすべきなのか、自分の将来がどうなるのかわからない、不安で苦しい時期です。主人公は、まさにそのような青春の時期に、社会と対峙しようとしていたのでしょう。

結核は、主人公の焦燥感の一因ではあったでしょうが、それだけが原因ではなかったはずです。主人公は、自分の存在意義を模索し、社会と対峙しようとしていた青春期の若者だったのではないでしょうか。

まとめ:梶井基次郎「檸檬」あらすじ|なぜ爆発?

主人公は、病気と借金に悩まされていた青年です。彼は得体の知れない不安に駆られており、美しい音楽や詩も楽しめなくなっていました。ある日、彼は寺町通りを歩いていると、鮮やかな黄色いレモンを見つけました。レモンを見た瞬間、彼は不思議と元気になりました。彼はレモンを買い、丸善書店に行きました。

丸善書店は、彼が以前よく訪れていた場所でしたが、今では借金取りに追われる身となり、重苦しい場所になっていました。しかし、レモンを持っていると、彼は丸善書店に入ることができました。彼は画集コーナーに行き、レモンを画集の上に置きました。すると、彼はレモンが爆発して丸善書店が木っ端みじんになる様子を想像しました。この想像に興奮した彼は、レモンをそのままにして店を後にしました。

主人公は自己の存在と社会の在り方に違和感を抱いています。彼にとって、鮮やかな色彩を持つ檸檬は、そのヴォリュームやインパクトによって、気取った資本主義的な文化芸術の商業化や人間の本質から切り離された丸善に対する反感を抱かせるものでした。

言い換えれば、檸檬は生命そのものを象徴しており、人間の生命としての芸術が爆発的な力を持つことを示唆しています。主人公は「ぼけ!」と叫びながら、気取り屋である丸善を見下し、その存在を嘲笑います。ただし、これは作者が心の中で思い描くイメージであり、実際に爆発させるつもりはないことにご注意ください。

率直に言えば、青春時期は自分が何者であり、自分に何ができるのか、何を望んでいるのか、将来どうなってしまうのかがわからず、苦悩に満ちた時期です。

したがって、作者は自らの青春時期の葛藤や苦悩を抱えながら、その中で苦しんでいる存在であることを念頭に置いて物語を読んでいただきたいと思います。

なお、作中には結核という病気についても触れられていますが(作者自身も結核で亡くなったとされています)、焦燥感や苦悩は単に病気に起因するものではないと考えられます。

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