呪詛(netflix)ネタバレ解説|最後の意味を考察

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Netflixで配信されている映画「呪詛」は、最後の方で呪文と共に出てくる英語の字幕の意味は

洞窟から出てきたら何が起きていたんでしょうか?

鏡のようなものをハンマーで割っているシーンの意味は?

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呪詛(netflix)の最後を考察・解説

Netflixで配信されている映画「呪詛」はタイトル通り呪いがテーマの映画です。

現実に呪われるのかというと、そんな訳はなくただのホラー映画でフィクションです(元ネタになったとされる実話はありますが)

作中では見たら呪われるという風に仄めかされていますがあくまでただの映画の演出d背う。

監督や会社を介して作品が世に出ている以上、呪われることはまずあり得ません。

最後の方に出てくる呪文と共に表示される英語の字幕は

ホーホッシオンイー シーセンウーマ

「禍福倚伏 死生有命」がなまったものだと思われます。

論語にでてくる有名な言葉で禍福とは「災難と幸福」のこと、倚伏は「もたれる」、「死生有命」とは運命がすでに決められており、変えることができないということらしい。

また、里親の男性が僧侶に会いに行ったシーンの後、最後の方のシーンで再度、僧侶のインタビューのシーンでカメラが転がって主人公の女性が映るシーンがありますが、里親の男性は作り話だったわけではなく映像によるトリックです。

里親の男性が、僧侶を見つけて呪文について聞きに行ったのは事実です(途中に里親の男性が、あの僧侶のいる寺院を訪れる映像がありましたね)が、実は主人公は娘を身ごもっている間に調査をしていて、僧侶に会っており、あの呪文の正体を知っていた、という「事実」が、あの映像で(観客に)明らかになるわけです(ちなみに、転がったのでは無く、恐らくカメラを手にした通訳の人物が、そのまま彼女を振り返ったので、カメラが変な向きになったのだと思います)。

里親の男性も、恐らく呪いを薄めるために利用されたんです。わたしたち、観客と一緒に。そういう展開があの映像で分かるってことです。

見直すと、全体が大きな仕掛けになっていて、最後の彼女の祈り(と言うか呪い)への伏線になってるんですよ。

カメラを誰に持たせるか、というのも仕掛けで、保護施設で唯一人、犠牲者になった女性は「カメラを回して彼女たちを撮影してる=見てる」んです。

そして、観客も「カメラを通して彼女たちを見てる」。つまり、これが最後の「ごめんなさい」という台詞に繋がるわけです。

里親の男性と村に戻るシーンでも主人公撮影してた精神科医が死にましたってラジオが流れてました

終盤あたりで、主人公の女性が地下道に行き、そこでお供え物の人間の歯や髪の毛の束を綺麗に並べ直したり、鏡?のようなものをハンマーで割っているシーンがありましたが、あの鏡は、呪いを分散するため、薄めるためのものだったと思います。

最後の方に出てきた、探検隊(?)の二人による映像がありましたが、そこでの鏡はあちらこちらへ視点を変えて、祭壇に向かわせるようになっていたはずです。

あの神様(というか、邪神)は視点による支配を行う神様なので、直接見ると巨大な呪いが直接降りかかる。なので、信仰していた村人達も、その視点を分散させ、呪いを薄めるために、像の顔を隠し、地下道を複雑に掘って、まっすぐに視点が地上へ届かないようにするため、あちらこちらへ鏡を置いていたのだと思います(それでいて、出口に向けて視点を誘導しているのは、当然のことながら邪神の力の恩恵にあずかるため)。

主人公はそれに気づいたため、鏡をたたき割っていった。供物としてお経を書かれた少女を捧げるため(そして、映像を見ている全ての人を巻き込むため)、おそらくは少女の髪の毛、歯、そして耳を捧げたのでしょう。探検隊の男達が入った際、ちゃんと四角い紙の前に置かれていなかったのは、まだ儀式が終わらず、お供え前だったのだと思います。

そして、洞窟から出てきたら何が起きていたのかというと、主人公の恋人は燃やされ、もう1人の友達は狂って高所から飛び降りて死にました。

呪詛(netflix)のネタバレ

人間の意思が何かを動かすことがある。人の世界は意思で作られている。私は6年前にあるタブーを破った。その呪いは多くの人を巻き込み不幸にした(両親の死亡事故映像、警察署で主人公から映像を見せられた警官二人が自殺する映像)。あなたには今から見せる記号と祈りの言葉「呪文」を覚えてほしい。一緒に念じてほしい。そういう独白から、彼女の今を映し出した動画が始まります。

彼女は一人の少女を家族に迎え入れようとしてます。少女は、かつて彼女が生み、しかし里親に出していたことが映像の内容で分かっていきます。なぜ、彼女は一人娘を里親に出さなければならなかったのか? 娘との生活を映した動画と、過去に何があったかを映す動画が交互に映り、彼女が何を伝えたいかが徐々に観客に分かっていきます。

女性は、過去に男の友人2人と一緒に、友人の祖父が住む村へ動画を撮りに行きました。そこには誰も入ってはいけないとされる地下道があり、3人の目的は、その地下道に潜り込んで何があるのかを撮影することでした(廃墟などの心霊突撃系Youtuberみたいなものです)。

過去動画で、3人は色々と相談して地下道に潜り込み、男2人はさらに封鎖された扉を抜けて、奧へと入ることになります。そこで何かを目撃した一人が狂い死に、もう一人は村人によって焼かれ、主人公は狂った行動を取る村人を振り切って逃げ出したことが分かります。

そんな彼女の娘との生活には不穏な影がつきまといます。深夜になると音がしたり、階段の明かりをつけたり消したりする「誰か」がいたり、娘が天井にいる見えない「悪者」を母親に告げたり、娘の別の動画には、彼女を連れ去るような「手」が映ってたりします。娘は徐々に体調を悪くし、体に奇妙なアザが出来たりします。医者に診せても解決せず、様々な怪異が主人公と娘に降りかかっていき、さらに過去の動画で、地下道で本当は何が起きたのかが分かっていきます。

そして、ラスト。主人公は村へ向かい、あの地下道へ入っていきます。そして「仏母」と呼ばれる神様の像(なぜかその顔は赤い布で覆われている)の前に座り、カメラへ向かって娘のために祈ってほしいと、映画の中で何度も繰り返されてきた「呪文」と「記号」、そしてその解釈を流します。

終わった後、主人公は観客に謝ります。実は、この動画は娘を助けるためのものだったのだと。地下道に封じられていた「仏母」、邪教の神様の呪いが娘にかかり、娘はこのままだと「仏母」に奪われてしまう。そうなる前に「仏母」の呪いを拡散し、できる限りの人に呪いの過程を見てもらうことで、多くの人を「呪い」に巻き込み、娘を助けることが主人公の狙いだったと。最初の独白で流され、主人公が一緒に祈ってくれと言った「呪文」は、実は呪いを分散させるものであり、唱えた者も呪いにかけるものだったのです(唱えた者=観客です)。

主人公はカメラの前で「仏母」の顔を覆う赤い布を取り去ります。大きく映し出される「仏母」の顔、主人公の気が狂ったような行動を映して、映画は終わります。

お話を読んでもらっても分かるとおり、この映画は観客を巻き込む「体感型ホラー映画」になってます。メタ的な構造を持ってるという言い方も出来るでしょう。映画内に出てくる「仏母」の呪いは、相手を凝視することで拡散されます。つまり「カメラで対象物を撮る」という「映画を撮影する」行為そのものが「呪いを拡散する行為」に繋がっているわけで、これはなかなかよく考えてある映画だと思いました(実際、映画本編内でも「カメラで娘と主人公を撮った」人が呪いで死ぬシーンがあります)。

映像を見たら呪われる、なんていう謳い文句は、心霊突撃系Youtuberの動画で結構ありますが、それを巧みに映画という仕組みそのものに取り入れてあります。

■最初の観覧車の意味

人間の意思が何かを動かすことがある。人の世界は意思で作られている。私は6年前にあるタブーを破った。その呪いは多くの人を巻き込み不幸にした(両親の死亡事故映像、警察署で主人公から映像を見せられた警官二人が自殺する映像)。あなたには今から見せる記号と祈りの言葉「呪文」を覚えてほしい。一緒に念じてほしい。そういう独白から、彼女の今を映し出した動画が始まります。

彼女は一人の少女を家族に迎え入れようとしてます。少女は、かつて彼女が生み、しかし里親に出していたことが映像の内容で分かっていきます。なぜ、彼女は一人娘を里親に出さなければならなかったのか? 娘との生活を映した動画と、過去に何があったかを映す動画が交互に映り、彼女が何を伝えたいかが徐々に観客に分かっていきます。

女性は、過去に男の友人2人と一緒に、友人の祖父が住む村へ動画を撮りに行きました。そこには誰も入ってはいけないとされる地下道があり、3人の目的は、その地下道に潜り込んで何があるのかを撮影することでした(廃墟などの心霊突撃系Youtuberみたいなものです)。

過去動画で、3人は色々と相談して地下道に潜り込み、男2人はさらに封鎖された扉を抜けて、奧へと入ることになります。そこで何かを目撃した一人が狂い死に、もう一人は村人によって焼かれ、主人公は狂った行動を取る村人を振り切って逃げ出したことが分かります。

そんな彼女の娘との生活には不穏な影がつきまといます。深夜になると音がしたり、階段の明かりをつけたり消したりする「誰か」がいたり、娘が天井にいる見えない「悪者」を母親に告げたり、娘の別の動画には、彼女を連れ去るような「手」が映ってたりします。娘は徐々に体調を悪くし、体に奇妙なアザが出来たりします。医者に診せても解決せず、様々な怪異が主人公と娘に降りかかっていき、さらに過去の動画で、地下道で本当は何が起きたのかが分かっていきます。

そして、ラスト。主人公は村へ向かい、あの地下道へ入っていきます。そして「仏母」と呼ばれる神様の像(なぜかその顔は赤い布で覆われている)の前に座り、カメラへ向かって娘のために祈ってほしいと、映画の中で何度も繰り返されてきた「呪文」と「記号」、そしてその解釈を流します。

終わった後、主人公は観客に謝ります。実は、この動画は娘を助けるためのものだったのだと。地下道に封じられていた「仏母」、邪教の神様の呪いが娘にかかり、娘はこのままだと「仏母」に奪われてしまう。そうなる前に「仏母」の呪いを拡散し、できる限りの人に呪いの過程を見てもらうことで、多くの人を「呪い」に巻き込み、娘を助けることが主人公の狙いだったと。最初の独白で流され、主人公が一緒に祈ってくれと言った「呪文」は、実は呪いを分散させるものであり、唱えた者も呪いにかけるものだったのです(唱えた者=観客です)。

主人公はカメラの前で「仏母」の顔を覆う赤い布を取り去ります。大きく映し出される「仏母」の顔、主人公の気が狂ったような行動を映して、映画は終わります。

お話を読んでもらっても分かるとおり、この映画は観客を巻き込む「体感型ホラー映画」になってます。メタ的な構造を持ってるという言い方も出来るでしょう。映画内に出てくる「仏母」の呪いは、相手を凝視することで拡散されます。つまり「カメラで対象物を撮る」という「映画を撮影する」行為そのものが「呪いを拡散する行為」に繋がっているわけで、これはなかなかよく考えてある映画だと思いました(実際、映画本編内でも「カメラで娘と主人公を撮った」人が呪いで死ぬシーンがあります)。

映像を見たら呪われる、なんていう謳い文句は、心霊突撃系Youtuberの動画で結構ありますが、それを巧みに映画という仕組みそのものに取り入れてあって

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