大奥(ドラマ)最終回ネタバレ解説|御台は出家?浅光院とは誰?

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2024年のドラマ「大奥」最終回(11話)についてネタバレ解説

病に臥せっていた家治(亀梨和也)は御台・倫子に「三つ葉葵のように」と言い残して亡くなりましたが、御台は出家した?

また御台と共に出てきた浅光院(浅野ゆう子)とは誰なんでしょうか?

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大奥(ドラマ)最終回ネタバレ解説|御台は出家?

2024年のドラマ「大奥」最終回(11話)では浅間山が噴火し、江戸にも火山灰が舞い降りる中、家治(亀梨和也)が血を吐いて倒れます。

御台・倫子(小芝風花)も不吉な予兆を感じる一方で、家治は、自ら蟄居閉門を命じた田沼意次(安田顕)を呼び寄せ、政を任せます。

しかし、家治は御台・倫子に3人の妻たちを三つ葉葵に見立て「三つ葉葵のように」と言い残して亡くなりました。

9代将軍・徳川家重の長男として誕生した家治は史実では水腫のため療養していたところ、田沼が連れてきた町医者の調合薬を飲んだ後に急死。享年50歳でした。

御台・倫子は明和8年(1771)8月に34歳という若さで病で亡くなっています。

2024年のドラマ「大奥」最終回(11話)では出家(落飾)したような描写となっていますが、史実では側室・お知保の方が生んだ世子・徳川家基(幼名・竹千代)の養母となっているので、尼になっているわけではなさそうです。

大奥(ドラマ)最終回ネタバレ解説|浅光院とは誰?

2024年のドラマ「大奥」最終回(11話)ではナレーションを担当されていた浅野ゆう子さんが浅光院(せんこういん)という役で登場しました。

浅野ゆう子さんは過去のフジテレビ版大奥にも出演していて大奥総取締などの役を演じています。

今回の役名は、浅光院でしたがどうやら実在しない架空の人物のようです。

大奥(ドラマ)最終回ネタバレ解説|家治と御台・倫子の関係

寛延元年(1748年)、10歳の倫子は、11代将軍・徳川家治と婚約しました。

当時、将軍家は8代将軍・吉宗の政治改革によって財政基盤を確立し、比較的平和な時代を迎えていました。しかし、家治には側室がいないために後継者がおらず、幕府内部では不安が高まっていました。

そのような状況下で、天皇の孫娘である倫子が家治の正室として迎えられることになったのです。

江戸城での生活と夫婦仲

寛延2年(1749年)、倫子は江戸城に輿入れし、「簾中御方」と呼ばれるようになりました。

家治は18歳、倫子は17歳と若く、夫婦仲は良好であったとされています。

宝暦6年(1756年)、倫子は長女・千代姫を出産しましたが、千代姫は翌年に夭折しました。

その後、宝暦9年(1759年)に次女・万寿姫を出産しましたが、万寿姫も12歳で亡くなりました。

側室問題と家治の死

家治には男子が生まれず、後継者問題が深刻化していました。

家治の乳母・松島は、家治に側室を迎えることを勧めました。

家治は当初抵抗していましたが、周囲の説得に応じ、宝暦12年(1762年)に側室・お知保の方を迎えます。

お知保の方は、翌年に家治の男児・竹千代(後の11代将軍・家斉)を出産しました。

しかし、家斉は18歳で病没し、その後継者として一橋家から家斉(後の12代将軍・家慶)が迎えられました。

大奥(ドラマ)最終回ネタバレ解説まとめ|御台は出家?浅光院とは誰?

2024年のドラマ「大奥」最終回(11話)については

  • 御台・倫子が出家
  • 浅光院の登場

というフィクション・脚色が加えられていました。

史実における御台・倫子の生涯は東山天皇の系譜を受け継ぎ江戸時代中期に創設された宮家・閑院宮家の父・閑院宮直仁親王の元に1738年誕生。

彼女の母は閑院宮家の女房であった讃岐でした。

倫子が10歳の時、京都所司代の牧野貞通が朝廷と交渉し、徳川家治との婚約が成立しました。この頃、倫子の父である閑院宮直仁親王は既に亡くなっており、その後は倫子は将軍家に嫁ぐことになりました。

倫子は1754年に江戸城に輿入れし、徳川家治の正室となりました。彼女は17歳での入城でした。夫婦仲は良好であり、家治との間には長女の千代姫が誕生しました。しかし、千代姫は若くして亡くなり、その後は次女の万寿姫を出産しますが、こちらも幼くして亡くなりました。

家治は長男を望んでおり、倫子との間に男子が生まれないことに悩みました。そのため、倫子の乳母であった松島が側室を持たせるよう提案しました。結果的に、家治は側室を迎えることになり、お知保の方という女性を迎え入れました。お知保の方は家治の子を産み、その子が後に家治の後継者となりました。

しかし、倫子の人生には悲劇もありました。彼女は34歳で亡くなりました。夫から愛され、子どももでき、幸せな生涯を送ったと言えるでしょう。

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