吉野弘「岩が」解説|表現技法は?擬人法?体言止め?対句?

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吉野弘さんの詩「岩が」で使われている表現技法は?

中3国語で吉野弘の詩「流れ」と「岩が」の単元がありますが「岩が」で使われている表現技法はなんでしょうか?

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吉野弘「岩が」解説|表現技法は?擬人法?体言止め?対句?

吉野弘さんの詩「岩が」で作者が伝えたいのは時代や周りに流されず、しっかりと自分の考えを持って生きていこうというもの

「岩が流れに逆らう」
「魚が岩を憐れむ」
「岩が魚を卑しめる」
これらは、人ではないもの(岩・魚)を人のようにふるまわせている「擬人法」という技法です。

「精いっぱいな仕方があるもの」
これは、「もの」という名詞(形式名詞)で文が終わっている、「体言止め」という技法です。

「魚が岩を憐れんだり 岩が魚を卑しめたり」
これは、対応する二つの句を並べる「対句」という技法です。

吉野弘「岩が」とは?

中学校の国語の教科書に採用されている吉野弘「岩が」

この詩は、岩と流れ、そしてその中で泳ぐ魚たちに焦点を当てた自然を描写したものです。最初の2行では、岩が流れに逆らっている様子が描写されています。そして、次の2行では、岩の横を力強く泳ぐ魚が描写され、最後の2行では、それぞれの存在が特有な仕方で生きていることが示唆されます。

詩人は、魚と岩が互いを卑しめたり憐れんだりすることがない、自然の爽やかさを表現しています。また、最後の行では、流れが卑屈なものたちを押し流していることが示唆され、自然の強さが表現されています。

全体として、この詩は自然の中で様々なものがそれぞれに特有な方法で存在し、互いを尊重しつつ生きていることが表現されています。

吉野弘は社会のあり様や働き人の暮らし、家族の営みや自然の移り変わりを、日々を生きる者の飾らない眼差しでとらえ、深く柔らかくそしてユーモラスに練り上げた言葉でうたう詩人

吉野弘を敬愛するロック・ミュージシャンの浜田省吾が『CLUB SNOWBOUND』(1985年)というアルバムに、「雪の日に」の全文を掲載すべく、浜田自身が吉野弘に承諾を得る為に手紙を書いたところ、吉野直筆の「わざわざご丁寧にありがとう」という旨の御礼の返信をもらい感激したことを、浜田がコンサートで明かしている。ちなみに、浜田の代表曲「悲しみは雪のように」は「雪の日に」にインスパイアされて出来た曲だとも言っている。

没後も、ゆかりの地において家族や親交のあった人物などが参加する各種行事が開催されている。

2016年(平成28年)11月には狭山市市民交流センターにて遺品や資料、直筆原稿、写真などを展観する「吉野弘遺作展」と講演会などのイベントが開催され、仲川幸成が吉野弘遺作展実行委員会委員長を務めた。1週間の会期中に2000人以上の観覧者があったという。短い開催期間ながら好評を博したため、2018年(平成30年)2月にも再び「詩人吉野弘展と講演会」が開催された

吉野が最晩年を過ごした静岡県富士市では三回忌を迎えた2016年(平成28年)1月から毎年、「吉野弘のこころを詠む」と題する市民参加型イベントを開催。小長井義正・富士市長や吉野の長女を審査員とする吉野の詩の朗読コンクールのほか、吉野の詩を題材とする書道作品、吉野の遺品や資料、直筆原稿、写真の展示などを行っている。

まとめ:吉野弘「岩が」解説|表現技法は?擬人法?体言止め?対句?

吉野弘「岩が」とは、川の中で岩と魚がそれぞれに自分の生き方を貫いている情景を描いています。岩は流れに抵抗してしぶきをあげ、魚は強い尾で川上に向かって泳ぎます。詩人は、逆らうにしてもそれぞれに特有な仕方があると述べています。岩と魚は互いに尊重し合っており、流れは卑屈なものたちを押し流しています。詩人は、このような自然の中に爽やかさを感じているのでしょう。

この詩の表現技法としては、対比や比喩が使われています。岩と魚は対照的な存在ですが、同じくらい力強く生きています。これは、人間社会における様々な生き方や価値観を対比させて考えさせる効果があります。また、流れは卑屈なものたちを押し流すという比喩は、自分の意志や信念を持たない者たちが社会から取り残されることを暗示しています。

この詩の内容からは、詩人の自然への敬愛や個性の尊重という思想が伺えます。詩人は、自然の中にある美しさや厳しさを見つめて、人間の生き方についても深く考えていたのでしょう。

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