全日空機高知空港胴体着陸事故で機長がメーデー!乗客数は?

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「全日空機高知空港胴体着陸事故」とは、2007年に起きた高知空港での全日空機1603便(ボンバルディア機)の胴体着陸事故。

「アンビリバボー」でも紹介された全日空機高知空港胴体着陸事故とは?

■奇跡体験!アンビリバボー放送内容
絶体絶命パニック!!現れたマイヒーローSP

☆航空パニック!前輪が出ないトラブル発生!56人の乗客の命を救うため、機長が下したアンビリバボーな決断!

■全日空機高知空港胴体着陸事故当日のANA1603便
使用機材:ボンバルディア DHC8-Q400
機体記号:JA849A
製造年:2005年
フライトプラン:大阪国際空港午前8時10分発・高知空港午前8時55分着
運行担当:エアーセントラル(現在のANAウイングス)
コールサイン:ALL NIPPON 1603
乗員:4名
乗客:56名

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全日空機高知空港胴体着陸事故で機長がメーデー!

2007年、高知空港で全日空機1603便胴体着陸事故が発生。1603便は胴体着陸に成功。また、那覇空港で中華航空120便炎上事故が発生。事故の一部始終を観光客がカメラで撮影していた。

2007年3月13日、全日本空輸(ANA)1603便は、大阪国際空港を午前8時09分に出発し高知空港行きとして運航されていました。

機体はターボプロップ機であるボンバルディア DHC8-Q400 (機体記号:JA849A、2005年製造)

トラブルが発生したのは、伊丹を離陸して約40分後の午前8時49分ころ。

高知・桂浜上空で高知空港への着陸態勢に移ろうとすると「ノーズギア(前輪)が出ない」と同機から空港管制塔に連絡が入ります。

通常、油圧で脚の格納ドアを開け、脚を下ろす。

万一、動かない場合は、コックピットの床下にあるハンドルを手動操作。ハンドルはワイヤーで車輪格納ドアにつながっていて、ハンドルを引っ張るとロックが解除され、ドアが自重で開く。

さらに引っ張ると脚が降りる仕組みだそうだ。

9時17分と35分には、高度を150メートルにまで下げ、管制塔も前脚が出ていないことを確認。

「衝撃を与えれば前脚が出るかもしれない。一度降りて、すぐに急上昇します」

機内放送で着地の際の衝撃で前輪を降ろそうと説明し、10時半ごろ滑走路に出ている主脚を接地させて衝撃を加え、すぐに高度を上げる、タッチ・アンド・ゴーを繰り返したが成功しなかった。

ちなみに、「タッチ・アンド・ゴー」は離着陸の訓練では基本でマニュアル通りの判断でしたが、それでも前脚は出ません。

このため機長は最後の手段として胴体着陸を決断した。

事故機は小型機のため、大型ジェットのように非常時に燃料を投棄する設備「フューエルダンプ」の装置が装着されておらず、2時間あまり空港上空を旋回し燃料を消費した上で、高知空港への緊急着陸態勢に入った。

この時、高知空港の滑走路は閉鎖され、滑走路着地位置付近に消火剤がまかれた。滑走路横には消防車等の緊急車両が待機した。空港脇にはトラブル発生の報により報道陣や警察関係者が集まっていた。

また、この緊急着陸の様子は多くのテレビ局が生中継して全国放送された。

1603便は午前10時54分に胴体着陸を決行し、メインギア(後輪)のみを滑走路に接地させて機首を水平やや上方に保った状態で15秒ほど滑走した後、緩やかに機首を下ろして滑走路と接触させながら減速し、機首接地の15秒後には無事停止して緊急着陸に成功した。機首下部が接地する際に火花を生じたものの、火災は発生せず、着陸の際の衝撃も少なかったため、乗員乗客60名にけが人はなかった。両方のメインギアが使え左右バランスへの影響があまり生じない状況だったことと、プロペラブレードの地面への接触による破損が発生しなかったこと[1]により機体へのダメージは最小限に抑えられた。機体には前脚格納扉から約5メートルの黒い擦過跡が残り、機底にある管制塔交信用の通信アンテナは先端が破損していたが、胴体部の損傷はそれのみであった。

DHC8が高翼式でノーズギアが出ない場合でもプロペラが接地することがないのも機体の損傷が少なかった要因となりました。

機長は機内放送で

「燃料の残りがあと10分になりました。最悪の場合、胴体着陸します」
「衝撃があるかもしれませんが、訓練を受けているので安心してください」と説明。

冷静な口調だったと乗客は話しているが機長は「あまり覚えていな」そうだ(14日新聞紙面から)

客室乗務員も冷静だったようだ

「ボールペンや携帯電話は危ないのでポケットから出して下さい」
「ネクタイを緩めて下さい」

と呼びつづけたそうだ

30秒前。

「歯を食いしばって下さい!」
「おなかに力を入れて下さい!」
「足に力を入れて下さい!」。

もうマイクではなく肉声だったようだ。

コックピットからは「あと5分で着陸します」「あと2分です」「1分前」とアナウンス。

操縦桿を引きすぎて主脚で長い時間滑走していると、ガクンと機首が下がる。ある程度のスピードに落ちた段階でゆっくり機首を下げことで、乗客は「衝撃はあまり感じなかった。そりで滑っている感じだった」とと話す人もいたほど機内にはほとんど衝撃波なかったようです。

機内は歓喜の拍手に包まれたそうだ。

全日空機高知空港胴体着陸事故の原因・機長のその後は?

エアーセントラルでは2003年から同型機が就航しており、使用機材の中では比較的新しい機体でした。

見事胴体着陸を成功させた今里仁機長(36歳)は、「決められた通りにやりました」と着陸後、会社に冷静に報告したという。

*機長:今里 仁(いまざと ひとし、当時36歳(エアーセントラル所属)

全日空の子会社エアーセントラルの所属。
1996年にエアーセントラルの前身の中日本エアラインサービスで
フォッカー50の副操縦士に
2003年にDHC8の機長になっている。
飛行時間は8000時間で、DHC8には3000時間乗務している。

国交省は、全日空グループと日本航空グループの同型機22機他のDHC8シリーズを合わせた36機についても、前脚の作動状況を調べるよう耐空性改善通報(TCD)を出した。

事故発生当日から原因調査が行われ、前輪が出なかった直接の原因は、前輪格納庫の開閉扉を動かすアーム部に装着されている円筒形状の部品(スリーブ)が、本来の装着位置よりずれて機体側に引っ掛かっていたことであった。また、筒状部品を固定するボルト1個が紛失していた。ボルトで固定されるべき筒状部品が、離着陸を重ねるごとに徐々にずれて機体側に引っかかりロックしてしまったため、バックアップの手動操作も機能しなかった。事故調査委員会は、事故原因となった前脚ドア部を接合する筒状部品にボルトが入っていた痕跡がないため、事故機の製造過程からボルトを入れ損ねていた可能性が高いとの見方を固めたという。またメーカーによるマニュアルのチェックリストに載っていなかったため、全日空は2005年7月の機体受領以来、該当部分の点検整備自体をしていなかった。そのため事故原因は初歩的な製造ミスの疑いが高いという。

これに対してボンバルディア社は大筋で製造ミスを認めており、当該機の引渡し前に前脚部全体をテスト後全交換した際に起きたミスである可能性が高い。

この事故以降に主脚が原因の胴体着陸事故が海外で頻発していました。

2008年5月28日、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会は、カナダのボンバルディア社での納入前試験で開閉装置を損傷した時の修理で前輪格納扉を開閉アームの支点部分のボルトを付け忘れたことが事故原因とする報告を発表[4]し[要校閲] 、カナダ運輸省に同社の品質管理体制強化の指導をするよう求めた[7]。同社のトッド・ヤング副社長は記者会見において「多くの皆様にご心配やご迷惑をおかけしたことを改めて深くおわびする」と陳謝し、「事故後、修理マニュアルを具体化するなど5段階の改善策を実行した。安全性には自信を持っている」と語った。

事故を起こした機体(JA849A)は、2007年5月になって最低限飛行できる程度に改修が行われ大阪国際空港へ回送された。そこで本格的な改修工事が行われ、滑走路と接触した胴体前部の部分は全面的に交換された。9月には国土交通省による安全検査に合格し、旅客機として再就役できる許可を受けた。しかし、連続して起きたスカンジナビア航空機事故をうけて、全日空は飛行時間9,000時間を超えていた機体を運航停止にして点検する措置を自主的に行ったため、路線運航に復帰させることはなかった。10月21日になって全日空はJA849Aについて「飛行を重ねて安心してもらう必要がある」として、当面運航乗務員の訓練機として使用するために伊丹空港から沖縄県の下地島空港に回送した[15]。また、エアーセントラルの乗務員労働組合は、事故後に行ったストライキにおいて、その要求項目に同機種の整備体制強化を入れた。

2007年12月19日に全日空は「離着陸を100回以上行って異常はなかった」と主張し、安全性に問題がないとして、機体を2008年1月1日の大阪(伊丹)発高知行きの始発便から路線運航に復帰させると発表した。しかし、高知県の尾﨑正直知事が遺憾を表明したため方針を撤回[16]した。2008年6月23日、全日空はDHC-8-400を3機追加発注し2010年以降導入すること、並びにJA849Aをボンバルディアに売却することを発表[17]した。JA849Aは2010年3月26日付で登録抹消され、ボンバルディア所有機(機体記号 : C-GDXC)となった後、2012年よりモンゴルのエズニス航空に引き渡され、機体記号JU-9919として運用されていた。2014年11月にノルディック・アビエーション・キャピタルへ売却され、機体番号OY-YAHとなった後、2015年6月にスカイサービス・ビジネス・アビエーションへ売却され、機体番号C-GSXAとなった。2016年3月にはオーロラへ売却され、機体番号RA-67252となった。

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