大ふへん者とは意味は?「花の慶次」で傾奇者(前田慶次)?

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「大ふへん者」とは意味は?

漫画「花の慶次」に出てくる主人公の傾奇者・前田慶次は「大ふへん者」を文字っていましたが、どんな意味なんでしょうか?

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大ふへん者とは意味は?「花の慶次」で傾奇者(前田慶次)?

安土桃山の頃には、ひらがなで文字を書く場合には濁点を省略する事が多かったのです。

前田慶次郎はこれを逆手にとって、「大ふへん者」という旗を掲げて上杉の陣に参加します。

だから「武辺」を「ふへん」と書きます。

武辺者とは武勇ある者という意味で、大武辺者とは「とても勇敢な武将」というような意味になります。

これを見た上杉の武士は、「新参にも関らず大武辺者とは何事か」と苦情を申し立てます。

これに対し慶次郎は、「わしは浪人暮らしが長く女房殿もおらず、不便で仕方がないので大不便者と書いたのだ」と言ったといいます。

ようするに慶次郎のイタズラの一種だったわけです。

「大武辺者」・・武辺者とは優れた武人(武士)を指す言葉で、大をつければ自分がこの軍の中で一番優れていると言っているようなものです。

「大不便者」・・確かに慶次郎は前田家を出てくる時に妻子を置いてきてますので、この時は女房はおらず不便だったかもしれません。

ちなみに慶次郎の妻は、慶次郎の養父の前田利久の弟かつ利家の兄の安勝の娘なので、前田家に置いて来ても罰せられたり生活に困ったりする恐れはありませんでした。

まとめ:大ふへん者とは意味は?「花の慶次」で傾奇者(前田慶次)?

「大ふへん者」とは意味は漫画「花の慶次」で「武勇が過ぎて満足に戦える相手がいない」という「不便」ともかけているって描写がありました

「ふへん」は、現代の表記では「ぶへん」になると思います(昔は濁点がなかった)。

したがって「大ふへん者」は、漢字で書くと「大武辺者」と思われます。

「武辺者」は、「武勇のある者」くらいの意味。それに「大」がついて、「たいへんに武勇のある漢」ということになりますね。

大ふへん者の傾奇者・前田慶次とは?

前田家の長男である前田利久は滝川家から妻を迎えました。彼らには一人の娘がおり、その娘は熱田の加藤隼人氏と結婚しました。利久には男の子がいませんでしたので、彼は弟の安勝の娘を養女として迎え、滝川一族から慶次という名前の子供を育てました。慶次の実の両親は滝川一族の中の誰かはわかりません。

滝川家の一益(かずます/いちます)は織田信長に仕えた重要な家臣であり、慶次は一益の親戚とされています。

・滝川一益の息子 ・滝川一益の弟 ・滝川一益の甥 ・滝川益重の息子
・滝川益重の弟   ・滝川益重の甥 ・滝川益氏の息子

といった説もあります。

米沢では慶長17年(1612)6月4日に、堂森で死亡したと伝えられています。彼の遺体は北寺町の一花院または堂森の善光寺に埋葬されたとされています(享年70歳以上)。墓地は関興庵が管理していますが、具体的な墓はわかっていません。

加賀藩の資料によると、「奥州会津にて亡くなった」とされています。

また、大和刈布では、慶長10年(1605)11月9日に73歳で亡くなったとも言われています。彼の遺体は刈布の安楽寺に埋葬されたとも言われ、高さ5尺、幅4尺の石碑には「龍砕軒不便斎一夢庵主」という名前が刻まれています(野崎智道道記)。

庄内藩の医師である田渾氏によれば、慶次の子孫とする伝説が残っています。

明治時代の女流作家、田滓稲舟氏によると、田滓家代々の位牌には「天徳院殿利大義勇人居士」という名前があるようです。

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