藤崎忍のドムドム経歴をwiki調査!息子や年齢(生年月日)は?

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藤崎忍さんは社会人経験もなく普通の主婦だった37歳から109アパレルショップや居酒屋経営などのキャリアを積み重ねて、ドムドムの社長に就任。

ただ普通の主婦が会社社長にヘッドハンティングされただけでも珍事ですが、それまでの半生も「激動」という言葉がぴったりの藤崎忍さんの気になるプロフィールをまとめています。

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藤崎忍wikiプロフィール

名前:藤崎忍
出身地:東京都墨田区
生年月日:1966年
年齢:54歳
小学校:青山学院初等部
中学校:青山学院中等部
出身高校:青山学院高等部
最終学歴:青山学院女子短期大学

藤崎忍さんは短大卒業を卒業すると就職活動も会社勤めもすることなく、地方政治家となる夫と結婚するとひとり息子を育てる専業主婦となります。

そんな藤崎さんにとって最大の転機は夫が病に倒れたことで、37歳から学生時代の縁を頼りにSHIBUYA109のアパレルショップ店長を務めると、その後は居酒屋店主に転身。

その間、夫の介護に追われる二足のわらじを吐きながらも全てにおいて妥協せず、常に前向きな姿勢を貫いています。

SHIBUYA109のアパレルショップ店長として店舗の売り上げを倍増させたものの、雇われ店長で自分自身の人事権がなく
経営方針の変化もあって2010年9月に109のお店を離れることに。

ただ夫が働けない以上、藤崎忍さんが働かないわけにはいかず、JR新橋駅前にあるニュー新橋ビルの小料理屋でのアルバイトを始めると、
斜め前の居酒屋が閉店するという話を聞きつけ、自分のお店を持つべく国民政策金融公庫や信用金庫、信用保証協会に掛け合い、合計1200万円の借り入れをすることに成功。

大好きな空と木から「そらき」と命名し2011年5月22日に、ついにオープンにこぎつけると1年足らずで1日の平均売り上げは11万~12万円と当初予測の倍の実績を上げると2号店も主点しています。

居酒屋の仕事を終えて帰宅が深夜になるの毎日でも、朝6時には起きて夫の食事を作りリハビリや通院にも付き添っています。

藤崎忍の経歴

藤崎忍さんはドムドムハンバーガーにヘッドハントされ、1年もたたないうちに2018年から社長に担ぎ上げられています。

多彩なアイデアを出しながら収益を向上させ、新型コロナウイルスのダメージも乗り越えてきた女性経営者ですが、
ドムドムハンバーガーに招かれたのは介護で支え続けた夫が半年前に亡くな多ばかり。

ホテル運営などを手がけるレンブラントホールディングスがドムドムハンバーガーを買収。

新メニュー開発にあたり、すでに業界ではやり手として知る人ぞ知る存在となっていた藤崎忍さんに白羽の矢を立てられました。

ドムドムハンバーガーは前社長が辞任し、部長以上も全員降格。グループ会社への出向も含め大幅な人事異動をしていた際中。

SV(スーパーバイザー)は東西で2人だけになり、藤崎忍さんが東日本担当SV兼社長という大役を託されることになりました。

藤崎忍さんが社長に就任してからはファッションブランド「FRAPBOIS」「BEAMS」とのコラボ商品、六本木での期間限定イベント開催など斬新な企画を次々と打ち出しています。

■ドムドムフードサービス
本社=厚木市中町4の10の8(046・210・3133)
設立=平成29年4月
資本金=5千万円
従業員数=約250人(令和2年7月現在)
店舗=全国に26店舗(県内4店舗)
事業内容=飲食事業マネジメント

ドムドムハンバーガーは日本初のハンバーガーチェーン店として当初は「ダイエー」が運営し、昭和45年に東京都町田市に第1号店をオープン。

平成元年ごろは全国に約400店舗を展開していたたものの、同社の経営不振などの理由から2020年には全国27店舗。県内は神戸、宝塚、姫路各市の3店舗を残すのみとなっています。

藤崎忍のツイッターやインスタグラム

藤崎忍のツイッター
@helgez1x2rpvue2

藤崎忍のインスタグラム

藤崎忍のフェイスブック
@shinobu.fujisaki

藤崎忍の高校や大学など学歴は?

藤崎忍さんの通っていた高校は青山学院高等部で、小学校から父の教育方針で、2人の兄と同じ青山学院初等部を受験して入学しています。

地元の墨田区向島からは片道約1時間と遠い距離の通学ではあるものの一貫して青山学院で学んでいます。

高等部では青山学院の中でも「特に本気度の高い部」とされたハンドボール部に入り、藤崎忍さんはキャプテンとしてチームを牽引。

4年制の青山学院大学に進学する道もありましたが、藤崎忍さんは1年でも早く社会に出たいということで、青山学院女子短期大学に進学しています。

藤崎忍の家族は?父親・母親・兄弟姉妹は?

藤崎忍さんは2人の兄と妹のいる4人きょうだいの3番目で、実家はせんべい店や不動産業、保険代理業など幅広い仕事を営んでいました。

さらに父親の山本賢太郎(故人)さんが墨田区議から東京都議になった政治家ということもあって、
実家にはは日常的に人の出入りが多く、にぎやかだったそうです。

長女である忍さんは母親・久子さんの家事を手伝いながら、政治家の人間がいる生活に慣れ親しんだそうです。

藤崎忍の結婚した旦那(夫)や子供は?

藤崎忍さんは夫となる藤崎繁武(よしのり)さんとは高校生のころにすでに顔見知りだったそうです。

藤崎忍さんの父親はもともと国会議員の秘書から墨田区議選への出馬を決意した人で、そんな父親のもとに出入りしていた人間の一人が藤崎繁武さん。

短大入学祝いの食事会に誘われたのがお付き合いするきっかけで距離を縮めると、短大卒業した1986年に繁武さんが墨田区議に当選しほどなくして2人は結婚しています。

1990年にはひとり息子の剛暉(こうき)さんも出産し、それからはずっと政治家の夫を支えながら子育てに邁進する専業主婦となっています。

ただ、藤崎忍さんの場合、選挙期間中は支援活動で多忙を極めたそうで、そうした時にも子供のPTA活動にも積極的に取り組んでいます。

そんな藤崎忍さんにとって最大の転機となったのが、2005年7月のこと。

墨田区議を5期務めた実績を掲げ、満を持して都政に進出した夫の繁武さんが落選した直後、心筋梗塞に倒れてしまいます。

幸いにして一命はとりとめるものの大黒柱を失ってしまい、私学に通う息子の学費や、家計など収入がなければ生きてはいけません。

働かざるをえなくなった藤崎忍さんに救いの手を差しのべてくれたのが青学時代の友人で、
「私の母が経営しているSHIBUYA109のブティックで働かない?」と誘いを受け、アパレルショップの店長に就任しています。

藤崎忍さんが店長をしていた約5年間で売り上げ倍増を達成。年商2億円という優良ショップへ導くと、
夫の繁武さんも徐々に回復し2009年夏には都議選で再起を賭けるべく選挙運動を本格化させていました。

ところが同年5月に今度は脳梗塞で倒れる悲劇に見舞れ、またも亜y都議選の夢は断たれると2016年12月には長期療養中の末に夫は急逝し帰らぬ人となりました。

藤崎忍の年収は?

現在はドムドムバーガーの社長を務める藤崎忍さんの年収はどのくらいなんでしょうか?

「株式会社ドムドムフードサービス」は未上場企業のため、役員報酬について正確な数字は明らかにされていません。

調べてみると、外食業界の平均年収は男性で606万円、女性で260万円といった水準。

藤崎忍さんが初めてドムドムバーガーに招かれたときには年収600万円程度だったかもしれませんが、現在は社長に就任しているわけですから、
社員の約3倍の年収が社長の年収に相当するという通説をもとにかんげると2000万円弱といった感じになりそうです。

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