東山紀之の生い立ちがやばい!小学校や中学校は?母親が韓国?

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東山紀之さんは少年隊としてデビューすると2020年に35周年を迎え、現在は俳優としてもドラマ、映画、舞台で数多くの主演を務めて活躍を続けています。

プライベートでは女優の木村佳乃さんとの間に2人の娘を持つ父親でもありますが、その生い立ちはまさに「壮絶」の一言に尽きるものがありました。

■プロフィール
本名:東山 紀之(ひがしやま のりゆき)
生年月日:1966年9月30日
出身地:神奈川県川崎市
身長:178 cm
体重:不明
血液型:A型
配偶者:木村佳乃
事務所:ジャニーズ事務所

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東山紀之の生い立ちがやばい!

東山紀之さんの生い立ちについては、その自著「カワサキ・キッド」に詳しくまとめられています。

川崎のコリアン・タウンで母妹3人、貧しくも懸命に生きていた少年時代、運命の出会いと別れ、ジャニーズでの生活、初恋などについて赤裸々に告白した自伝的エッセイ

東山紀之さんは父方の祖父母の家に暮らしていて、実家のある場所は川崎駅近くにあるソープランドが密集する区画にあったそうです。

「ヨイトマケ」の歌に出てくるような工場現場、コリアン・タウン、川崎大師、コンビナート、操車場、ソープランド、競馬場などが乱立するような地域で、東山紀之さんは子供の頃はおじいちゃんっ子だったそうです。

ロシア人の血を引いていたというので、東山紀之さんはクォーター(四分の一)かワンエイス(八分の一)でロシア人の血が流れていることになりますが、その祖父が大酒飲みでギャンブル好き。

かなり酒癖が悪かったようで、理容師をしていた東山紀之さんの母親が仕事で不在の時に酒に酔って暴れた祖父が、熱湯の入ったポットをひっくり返して東山紀之さんの左足に酷いやけどを負わせ、
さらに父親も酒飲みでギャンブル好きで借金を抱えていたことから、東山紀之さんの両親は離婚することになります。

東山紀之さんは神奈川県の川崎市出身ですが、その後、母親は生まれたばかりの妹を連れて愛知県と岡山県へと引っ越しを繰り返し、最終的に、コリアンタウンである川崎市桜本にある6畳+3畳の風呂なしボロアパートに移り住みます。

東山紀之さんはこの劣悪な環境で、さらに極貧に苦しむことになります。

東山紀之さんは妹と二段ベッドで寝ていたそうで、東山紀之さんはベッドから飛び降りて着地に失敗して手首の骨折をしたこともあります。

怪我自体は自業自得ですが、脱臼と勘違いした母親が強引に手首を引っ張って複雑骨折になったという痛々しいエピソードもあるようです。

またアパートのすぐ近所は川崎の工場地帯だったこともあり、煙突の見目無理で洗濯物を干すと真っ黒になってしまうほど空気が悪かったそうです。

近所に住む叔父(母親の兄弟)にはよく川崎競馬場に連れて行ってくれたりと面倒を見てくれていたそうです。

42歳の若さで急死してしまったそうですが、東山紀之さんが母親の財布からお金を盗んだことがバレたときにはこっぴどく叱ってくれて、「絶対に人のものを盗むのは止めよう」と心に誓うきっかけになったと話しています。

高校卒業まで母子家庭ゆえに極貧生活は続いていたようですが、東山紀之さん勉強も運動神経も良かったそうで、いじめられることはなかったようです。

そんな東山紀之さんにとって人生を180度大きく変えるきっかけが小学校6年生もあと1か月で卒業という頃に訪れます。

理容師をしていた母親の勤め先はなんとNHK放送センターで音楽番組『レッツゴーヤング』の公開収録のチケットを3人分も手に入ったことから、東山紀之さんにくれたそうです。

東山紀之さんは友人と3人でNHKホールの公開収録を見に行き、その帰りに渋谷のスクランブル交差点で信号待ちをしていると車に乗った中年の男性から突然「どこから来たの?」と声をかけられた。

その男性こそ、ジャニーズ事務所の今は亡き元社長・ジャニーズ喜多川さんで、
東山紀之さんはジャニーズの中でもひときわ珍しいジャニー喜多川さんからの直接スカウトでジャニーズ事務所入りを果たしています。

ジャニー喜多川さんに誘われたレッスンに通うようになり、高校からは親元を離れ、ジャニー喜多川さんの自宅兼合宿所生活がスタート。

東山紀之さんが入所した当時は、田原俊彦さんや近藤真彦さん、川崎麻世さんの他、後に少年隊で一緒になる植草克秀もいたそうです。

東山紀之の小学校や中学校は?

東山紀之さんは川崎市立大島保育園から川崎市立桜本小学校にあがり、小学校時代は一度転校をして、川崎市立古川小学校を卒業しています。

光化学スモッグでかすむような校庭だったせいか、小学校3年生の頃から剣道に打ち込み、6年生の頃には横浜市剣道大会の地区大会で優勝するほどの実力を持つようになります。

「川崎市立塚越中学校」時代は1年生の頃からレギュラー入りを果たし、2年生で神奈川県大会準優勝、3年時にはキャプテンを務め、高校まで部活でバスケットボールを続けています。

中学卒業後は明治大学付属中野高校の定時制に進学していますが、明治大学付属中野高校と言えば現在までジャニーズを中心に数多くの芸能人が通う学校として知られていますね。

東山紀之さんはジャニーズの活動両立が難しかったのか高校卒業を待たずに中退していますが、
芸能界以外の仕事では体育の先生になろうと考えていたそうです。

そんな東山紀之さんは高校1年生だった1982年に少年隊のメンバーとなっていて、1985年12月12日に「仮面舞踏会」でレコードデビューを果たしています。

東山紀之の母親が韓国人?

東山紀之さんは趣味の一つとして「料理」挙げていますが、幼少期から母親に仕込まれていたことから料理に目覚めたそうです。

現在も結婚した木村佳乃さんや2人の娘に家族に手の込んだ料理を振舞っているそうですが、自著「カワサキ・キッド」では在日韓国人との関係も話題となりました。

東山紀之さんの生い立ちは、貧乏なしには語ることはできませんが、そんな東山紀之さんにとって大きな支えとなったのが近所に住んでいた韓国焼肉屋をしている親子。

どうやらこの家庭も母子家庭だったようですが、その焼き肉屋を運営する”おばちゃん”の子供で、東山紀之さんのふたつ上のシュウちゃんという”お兄ちゃん”と喧嘩をしたことから仲良くなります。

毎日あがりこむようになりおばちゃんとも親しくなった東山紀之さんは、妹も一緒に焼き肉店で出していた豚足を食べさせてくれたそうで、貧困でろくに食べていなかったふたりはとても救われたそうです。

しかし、東山紀之さん兄妹にとっては命の恩人ともいえる韓国人家庭でしたが、自著「カワサキ・キッド」では世間の在日韓国人に対する差別に苦しむことになった述懐しています。

在日韓国人、朝鮮人の人たちがいわれのない差別を受けていることに違和感を感じ、
日本人の感じている在日の人たちへのイメージに強いギャップを身近で味わったそうです。

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