イラン人集団脱獄@東京拘置所がやばい!

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イラン人集団脱獄が起きたのは東京拘置所。1955年から1996年までの30年以上もの間、一人の脱獄者も出すことのなかったこの東京拘置所を、まんまと脱獄し当時の世論で大きく騒がれました。

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東京拘置所でイラン人集団脱獄の概要

1996年、東京拘置所に勾留されていたイラン人7名が集団で脱獄。

イラン人たちは当初、独居房に入れられていたものの、熱心な礼拝を毎朝欠かさず続けていたことから拘置所側の計らいで一緒の部屋に収監されるようになりました。

そこで脱獄計画が話し合われ、外部から入手した糸ノコギリで窓の鉄柵に少しずつ切れ目を入れていつでも外へ出られるように準備をスタート。

事件当日には脱獄成功を祈願した紅茶パーティーを催し、逃亡に加わらないイラン人受刑者を睡眠薬で眠らせてから脱獄を結構。

脱獄に使う予定だった梯子が使えないアクシデント(?)はあったものの、その場で即興の梯子を作ると7人全員がまんまと脱獄に成功。

ただ5日後には1人目が逮捕され、9カ月後には最後の1人が逮捕され、脱獄した7人全員が再逮捕され事件は終結しました。

東京拘置所のイラン人集団脱獄 事件当日の流れ

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事件前日の1996年2月11日午後8時ごろ、後に脱獄するイラン人たちが収監されていた北1舎1階1房では、「ゾルファガル作戦」という名前の紅茶パーティーが行われていました。

ゾルファガルとは、イスラム教シーア派の開祖が手にしていた剣の名前を刺し、かねてから準備していた脱走の前祝いをしています。

雑居房には脱獄する7人に加え、ラスール(25歳)の入れて合計8人でしたが、ラスールは日本人女性と結婚するつもりでだったことから脱獄には加わりませんでした。

実際にラスールと交際しているという女性はしばしば面会にも通っていて、らすーるはきちんと懲役を全うして正規の手続をして日本で住み予定でした。

ハミッドの手元には東京拘置所に収監された約半年後のに届けられた4本の糸ノコがありました。

テヘランからのペルシャ語の本の差し入れには、実は背表紙の裏に隠しスペースが設けられていました。

糸ノコの長さは約13センチ、幅1ミリでしたが、隠したままの状態で、脱走計画の前後で何か取りだした形跡はないそうなので、ハミッドは別の金ノコを入手したようです。

脱走計画に加わったイラン人の一人・メマンドには、内妻であるフィリピン人女性から、ツナ缶3個の差し入れがありました。

脱走計画では鉄格子を切るとき、「金ノコで削る音を消すのと、金ノコの歯を保護するため」にツナ缶の残り油が使用されました。

脱走計画では、ハミッドが金ノコで鉄格子を少し切りはじめます。ハミッドの姿を隠すため、他のイラン人メンバーが前に立ち、削る音を消すために、水道の水を出したり、トイレの水を流してカモフラージュしています

シーツを歯で切り裂いて、長いローブも作るなどそれぞれが役割を分担しています。

切断作業では鉄格子を全部切り離したわけではなく上の部分は完全に切断したのに対して、下部はほんの数ミリ切り残し、脱走前に計画が発覚するのを避ける工夫もしています。

紅茶パーティーでは「脱走に気がつけば、ラスールが看守に知らせると思った」ということで、計画に加わらなかったイラン人のラスールの紅茶には睡眠薬を入れられていました。

睡眠薬は拘置所の医師から処方されたものを使用しています。

刑務官の巡回するタイミングの隙を見計らった午後11時45分を回ったころ。いよいよ脱獄を実行開始。

外した鉄格子の狭い隙間から、7人全員が無事に脱出に成功すると、最後の関門は外塀。

外塀を乗り越えるのに使えそうなはしごも、事前に東京拘置所内の工場で確認していたものの、事件当日は使用できない状態となっていることが判明。

そこで、そこにあった鉄パイプや鉄筋、角材、持ってきたシーツを使って即興で梯子をつくると、イラン人たちは次々と梯子をのぼり、ロープを使って壁を滑りおりていきます。

雑居房から直線距離で約200メートルを3時間以上かけて進み、外塀を乗り越えたが、そのとき、いよいよ外塀の上に設置してあった“防犯線”に誰かが触れてしまい切断されます。

午前3時22分、東京拘置所庁舎内の監視セクションにある“防犯線”警報装置のブザーが鳴り、担当者がただちに切断個所に向かううと外塀に立てかけてあるのが発見され、イラン人が集団脱獄したことが発覚するのでした。

東京拘置所のイラン人集団脱獄リーダー ハミッドとは?

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ハミッドは、1967年、10人兄弟の3番目としてテヘランで生まれたイラン人。

高校を2年で中退すると3年間の兵役期間中にイラン・イラク戦争に従軍する。その後、2年間、父親の経営する食肉店で働き、結婚して子供ももいました。

妻子を残して来日したのは1990年11月のことで、出稼ぎが目的。

本来であれば90日間の短期滞在資格だったものの、不法滞在を続け逮捕される1994年12月まで不法残留状態でした。

ハミッドは来日当初、東京・赤羽の印刷関係の工場に3カ月半勤め、その後、埼玉・蕨、同・三芳のプラスチック工場で短期間働き、最後は鉄工所で2年半、寮に住み込んで、日曜日も働いています。

雇い主はハミッドが短期滞在の資格で働いてはいけないことなんて知らず、「仕事してくれればいい」と考えていたようです。

3年間の平均月給は約25万円でしたが鉄工所の仕事がなくなり、鉄工所周辺でアルバイトをしていたものの、1994年中ごろには完全失業状態に陥ります。

「日本語の読み書きができないから、ほかの仕事を探せなかった」ことから、ハミッドが手を出した待ったのが、ヤクザから教わったという変造テレホンカードの売買。

変造テレカを売りながら、薬物密売にも手を染めると、3カ月もたたない討ちに現行犯逮捕されています。

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