仁義礼智信忠孝悌の意味は論語?順番は?【里見八犬伝】

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「仁義礼智信忠孝悌」の意味は?

八徳「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」と十徳「仁義礼智信勇忠孝悌和」の順番の違いは?

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仁義礼智信忠孝悌の意味は論語?順番は?【里見八犬伝】

滝沢馬琴の南総里見八犬伝でも有名な「仁義礼智信忠孝悌」とは順番は正しくは「仁儀礼智忠信考悌」で儒教における八種の徳指しているそうです。

意味

仁:思いやり、慈しみの心
儀:道理、道徳にかなうこと
礼:守るべき作法、敬うこと
智:物事を正しく判断する力
忠:真心、君主に仕える道
信:あざむかないこと、誠実
孝:父母によく仕えること
悌:兄弟の仲がいいこと

といった感じのようです。人間として持つべき心を表しています。

南総里見八犬伝は、この8文字の玉を持った若者が力をあわせて活躍する物語となっています。

武士道での仁義礼智信忠孝悌の意味

 仁  「武士の情け」である。即ち、仁とは人なり。自らには厳しくあっても、他人に対しては「窮鳥懐に入るときは猟師もこれを撃たず」の寛容さと慈愛を有する。孟子は「仁は人の安宅なり、義は人の正路なり」と言い、孔子は、愛、寛容、他者への同情、憐憫(れんびん)の情を至高(しこう)の徳とした。孔子の言葉に「君子は先ず徳を慎む。徳あればここに人あり、人あればここに土あり、土あればここに財あり、財あればここに用あり。徳とは本(もと)なり、財とは末(すえ)なり」という言葉がある。伊達政宗は「義に過ぐれば固くなる。仁に過ぐれば弱くなる」と言っている。

 義  道理。条理。物事の理にかなったこと。人間の行うべきすじみち。「勇は義の相手にて裁断の事也。道理に任せて決定して猶予せざる心を言う也。死すべき場にて死し、討つべき場にて討つ事也」。「士の重んずることは節義(節操をまもり、正道をふみ行うこと)なり。節義は例えて言はば人の体に骨ある如し。骨なければ首も正しく上に在ることを得ず。手も物を取ることを得ず。足も立つことを得ず。されば人は才能ありても学問ありても節義なければ世に立つことを得ず。節義あれば無骨不調法にても士たるだけのことには事欠かぬなり」。

 勇  「義を見てせざるは勇なきなり」という孔子の言葉が有名であるが、言い換えれば「勇気とは正しいことを敢然と実行すること」ということになる。水戸学の草創者である水戸光圀は「死に値しないことのために死ぬことは『犬死』である」と説き、大義の勇と匹夫の勇があることを述べている。匹夫の勇はパフォーマンスだけで五月蝿(うるさ)く賑やかだが、大義の勇は心穏やかに平静さを保っているものである。即ち、勇気の精神的側面は落ち着きということである。即ち、これを余裕とも呼んでいる。勇気ある人は、常に落ち着いていて、決して驚かされたりせず、何事よっても心の平静さをかき乱されることはない。「最も剛毅なる者は最も柔和なる者なり。愛ある者は勇敢なる者なり」という言葉もある。

 礼  礼とは、物事の道理をそのまま当然のこととして尊重するということである。「物事の道理をそのまま当然のこととして」とは目上の人に対しては長幼の礼をもって、位の上の人に対しては君臣の礼をもって、といった意味で、他人の気持ちに対する思いやりを目に見える形で表現することである。礼の最高の姿は、殆ど愛に近づく。品性の良さを損なわないために礼が実践されるなら、それは貧弱な徳行である。伊達政宗は「度を過ぎた礼はもはやまやかしである」と言っている。

 智  武士道は知識のための知識を軽視した。知識は本来目的ではなく、知恵を得る手段であるという考え方であった。王陽明の「知行合一」思想を最高とする。

 忠  忠誠心が最も重みを帯びるのは武士道の名誉の規範においてのみである。 己の良心を主君の気まぐれや酔狂、思いつきなどの犠牲にする者に対しては、武士道の評価はきわめて厳しかった。そのような者は、「佞臣(ねいしん)」即ち無節操なへつらいをもって主君の機嫌をとる者、あるいは「寵臣(ちょうしん)」即ち奴隷のごとき追従の手段をろう弄して主君の意を迎えようとする者として軽蔑された。武士道では、忠義とは、自らの生命で誠を示し、あくまで主君の非を説きいさ諌めることであった。

まとめ:仁義礼智信忠孝悌の意味は論語?順番は?【里見八犬伝】

八徳「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」は孔子が説いた五つ徳目(仁義礼智信)に、宋の時代頃に三つの徳目(忠孝悌)を加えた儒教の考え方で

簡単に意味を説明すると、

「仁」は思いやり。「義」は正義。「礼」は礼儀。「智」は知恵。「信」は信じて実行する事。

「忠」は忠誠。「孝」は親に尽くす。「悌」は兄に従う。

と言ったところでしょう

仁・・・思いやり、慈しみ。
義・・・人道に従う事、道理にかなう事
礼・・・社会生活上の定まった形式、人の踏み行なうべき道に従う事
智・・・物事を知り、わきまえている事。
忠・・・心の中に偽りがない事、主君に専心尽くそうとする真心
信・・・言葉で嘘を言わない事、相手の言葉をまことと受けて疑わない事
考・・・おもいはかる事、工夫をめぐらす事。親孝行する事
悌・・・兄弟仲が良い事

『伊達政宗公遺訓』には

仁に過ぎれば弱くなる
義に過ぎれは堅くなる
礼に過ぎれば諂いとなる
智に過ぎれば嘘をつく
信に過ぎれば損をする
気ながく心穏やかにして、 この世に客に来たと思えば 何の苦もなし。
朝夕の食事は、うまからずとも誉めて食うべし。
元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい。
今日行くをおくり、子孫兄弟に良く挨拶して、 娑婆の御暇申すがよし。

とあります。

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