墾田永年私財法と班田収授法の違い

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墾田永年私財法と班田収授法にはどんな違いがあるんでしょうか?

飛鳥時代から行われた班田収授法に対して、墾田永年私財法は743年に聖武天皇(しょうむてんのう)が制定しましたが違いは?

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墾田永年私財法と班田収授法の違い

班田収授法は、豪族による土地・人民の支配を排除して国家が直接民衆を掌握しようとしたもの。
民衆は家族を中心とした戸という単位で管理された。民衆は戸籍、土地は計帳というもので管理され、戸を単位として民衆に口分田が与えられた。

収穫の約3%を租と呼ばれる税金として国に納めた。

班田収授法の考え方は土地はおかみのもの。

大きくなったら(6歳以上)一人当たり一定面積の土地をかしてあげるっていうもの。

みんな平等ですよという理念。

一方、墾田永年私財法の考え方は今まで未利用の土地だったところを自分たちでがんばって農地にできたらその土地は、個人の所有物としていいよ。っていうもの。

がんばった分だけ私有地が増える仕組み。所得の格差が出てきますね。

墾田永年私財法とは?

墾田永年私財法は、736年(奈良時代)に制定された法律です。この法律は、国家が未開地や荒地を開拓することを奨励し、開墾者にその土地の永久私有権を与えることを目的としていました。
具体的には、この法律によって農民や領主などが開墾を行い、土地を開拓すると、その土地を所有する権利が与えられました。農民は土地を耕し、収穫物を得ることができ、領主は地租として一定の税金を受け取ることができるようになりました。この法律の目的は、土地の開墾を奨励し、生産性を向上させることで国家の経済力を強化することでした。

班田収授法とは?

班田収授法は、公家政治が成立した平安時代の9世紀後半から10世紀初頭にかけて制定された法律です。この法律は、土地を公有制から私有制へと移行させるために制定されました。
班田収授法では、土地を班田(はんでん)と呼ばれる一定の単位に分け、農民にそれぞれの班田を与えることで土地の所有権を確立しました。この制度により、農民は自分の班田を耕作することができ、収穫物を得ることができるようになりました。また、領主や地方官庁は班田からの地租や税金を徴収することができるようになりました。

班田収授法の目的は、土地の所有制度を整備し、国家や地方の支配体制を確立することでした。また、土地の私有化によって農民の生産意欲を高め、国家の安定と経済発展を促進することも狙いとされていました。

班田収授法から墾田永年私財法の影響

743年に制定された墾田永年私財法は、古代日本の社会に大きな影響を与えました。

まず、墾田永年私財法は、農民のモチベーションを向上させました。班田収受法では、農民は耕作した土地を相続することができませんでした。そのため、農民は、耕作した土地に愛着を持つことができず、耕作を放棄して逃げ出すことが多かったようです。しかし、墾田永年私財法では、農民は耕作した土地を相続できるようになったので、耕作に励むようになりました。

次に、墾田永年私財法は、荘園の形成を促進しました。墾田永年私財法により、農民は開墾した土地を私有できるようになりました。そのため、農民は、開墾した土地を貴族や寺社に寄進したり、売却したりするようになりました。これにより、荘園が形成されるようになりました。

荘園は、貴族や寺社が所有する私有の土地でした。荘園では、農民は貴族や寺社に対して年貢や労役を負担していました。そのため、荘園は、貴族や寺社の政治的権力を強化する要因となりました。

墾田永年私財法は、古代日本の社会に大きな影響を与えた法令でした。この法令は、農民のモチベーションを向上させ、荘園の形成を促進し、貴族や寺社の政治的権力を強化しました。

貴族や寺社の荘園形成

墾田永年私財法によって土地の私有化が進みましたが、有力な貴族や寺社などが多くの土地を所有するようになりました。彼らは人々を雇って耕作を行い、各地に荘園を形成しました。これによって、土地の所有が偏り、地方経済の中心が貴族や寺社に集中する結果となりました。

税収減少と国家の弱体化

墾田永年私財法により、土地の所有が分散化し、貴族や寺社が多くの土地を所有するようになったため、国家の税収が減少しました。それにより、国家の財政が悪化し、統治能力が弱体化する一因となりました。

地方支配の確立と分権化

墾田永年私財法によって土地の私有化が進んだことで、地方支配が強化されました。貴族や寺社が地方に荘園を所有し、地方の経済や政治を支配するようになりました。これにより、中央集権的な支配体制から地方分権化の傾向が生まれました。

社会の不平等の増大

墾田永年私財法によって土地の所有が偏り、富の格差が拡大しました。貴族や寺社が多くの土地を所有する一方で、一般の農民の土地所有は限定的であり、社会の不平等が顕著になりました。これは、後の時代において社会問題や不満の一因となりました。

まとめ:墾田永年私財法と班田収授法の違い

墾田永年私財法は奈良時代に未開地の開墾を奨励するために制定された法律であり、班田収授法は平安時代に土地の私有制を確立するために制定された法律です。両者とも土地の所有権を個人に与えることで、農業生産の向上と国家の発展を図ることを目的としていた点は共通しています。

班田収受法と墾田永年私財法は、土地の所有権をめぐる違いがあります。班田収受法では、国がすべての土地を所有し、国民に配分していました。国民は、配分された土地を耕作し、農作物から税を納めていました。墾田永年私財法では、開墾された土地は、開墾者に永久に私有できるようになりました。これにより、農民は、開墾された土地を耕作し、農作物から利益を得ることができるようになりました。

班田収受法と墾田永年私財法の違いは、農民のモチベーションに大きな影響を与えました。班田収受法では、農民は、耕作した土地を相続することができませんでした。そのため、農民は、耕作した土地に愛着を持つことができず、耕作を放棄して逃げ出すことが多かったようです。墾田永年私財法では、農民は、耕作した土地を相続することができるようになりました。そのため、農民は、耕作した土地に愛着を持つことができ、耕作に励むようになりました。

班田収受法と墾田永年私財法の違いは、社会の階層構造にも影響を与えました。班田収受法では、国がすべての土地を所有していたため、貴族や寺社は、土地を私有することができませんでした。そのため、貴族や寺社は、政治的な権力を持っていませんでした。墾田永年私財法では、開墾された土地は、開墾者に永久に私有できるようになりました。そのため、貴族や寺社は、開墾された土地を私有し、政治的な権力を獲得することができました。

班田収受法と墾田永年私財法は、古代日本の社会に大きな影響を与えた制度でした。班田収受法は、公地公民制を全面に押し出した制度でした。墾田永年私財法は、公地公民制を崩し、荘園を所有する有力貴族が政治を牛耳る新体制をもたらした制度でした。

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