松島トモ子wiki現在|父親・母親は?家族は?

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松島トモ子さんは4歳の頃から子役として、女優・モデル・歌手と活躍を続け、1986年に起こったケニアでライオンとヒョウに襲われた大事件は有名。

プライベートでは母親が予兆もなく認知症の症状が現れ介護に奮闘していた松島トモ子さんの気になるプロフィールをまとめています。

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松島トモ子の母親は?

松島トモ子さんの母親の名前は母様の志奈枝さん

デビュー直後から母親がマネージメントの全てを行い、二人三脚で芸能活動をしてきたそうです。

最愛の母親は2021年10月に他界していますが、95歳で認知症を患い、松島トモ子さんは自宅で母親の介護生活を送るようになりました。

100歳で亡くなるまで自宅での介護は大変だったということですが、これまでの母の恩に報いるべく、自宅で一人で介護を続けた影響か松島トモ子さん自身が介護うつを発症。

一時は心中を考えたこともあったというほど、辛い日々を送った体験をしたそうです。

現在は、その困難を乗り越え、自身の体験をもとに介護についての講演などを精力的に行っているようです。

松島トモ子の父親は?

お父様はシベリアに抑留され、トモ子さんは顔を見たことがありません。

松島トモ子さんの父は三井物産に勤めていたそうです。

赴任地の満州で現地招集を受けると「必ず帰って来る」と言って出征

しかしシベリアに抑留され、松島トモ子さんが生後3カ月の昭和20年10月に収容所で病死しました。

そのことをトモ子さんらが知ったのは、トモ子さんが母親の胸に抱かれて命からがら日本に戻り、芸能活動を始めていた5歳の頃でした。

松島トモ子さんは父親に会ったことがありません。

松島トモ子さんと母・志奈枝さんのシベリア墓参が実現したのは、父が亡くなって45年後の平成2年5月。

シベリアのフィヨドロフカを訪れ、当時の様子を知っている人たちから話を聞き、子供の頃に聞き覚えたロシア民謡を共に歌ったそうです。

まとめ:松島トモ子wiki現在|父親・母親は?家族は?

松島トモ子さんは生まれて間もなく満州国から引き揚げを経験し、3歳の頃から石井漠舞踊研究所でバレエを学び始めました。映画館の劇場ニュースで彼女の映像が映され、それを見た阪東妻三郎がスカウトしました。1949年に芸能界デビューし、映画「獅子の罠」に出演しました。その後も多くの映画に出演し、80本の映画で主演を務めました。

また、歌手としても活動しており、米山正夫の門下生となり、1953年にコロムビアからデビューしました。彼女は「村の駅長さん/風にゆれるレイの花」などの曲を歌い、映画の主題歌や挿入歌も吹き込んでいます。彼女は少女雑誌『少女』の表紙を10年間務めたほか、芸能雑誌『平凡』でもモデルとして活躍しました。

大東学園高等学校在学中に渡米し、2年間の留学後に帰国しました。帰国後はミュージカルを中心に活動し、ラジオやテレビのパーソナリティ、石垣食品のミネラル麦茶のCM、アニメ「ひょっこりひょうたん島」の声優などで活躍しました。

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