免罪符とは意味は?比喩は誤用?現代に実物は?

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免罪符とはどんな意味を持つものなんでしょうか?実物はある?

現代で用いられる免罪符の比喩は誤用?

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免罪符とは意味は比喩?

免罪とは、罪を免ずる、つまりその罪をなかったことにするという意味です。
免罪符は、中世のヨーロッパの教会が資金を集めるために「これを買ったら、あなたの(宗教的な)罪はなかったことになるよ。」というお札を売ったのです。

本来の発想としては、罪を赦す(ゆるす)ものではなく、罪を悔いて反省し神により赦された罪に対し課せられる償いを減免するものでした。

「赦し」と「償い」の概念を 子供の喧嘩を例に説明すると:

  1. 喧嘩相手のおもちゃを壊す ←罪
     ↓
  2. 反省する ←回心(悔改め)
     ↓
  3. 告白して仲直りしてもらう ←赦し
     ↓
  4. おもちゃを直してあげる ←償い
    (たとえ相手と和解せず勝手におもちゃを直しても、2.3.が無ければ赦されたことになりません)

教会の信仰として、祈りや善行により、その償いを行うとされていましたが、その延長として免償符が生まれました。
ルターからの問題提起だけでなく、カトリック教会内部の議論もあり、
教会として 、免償符が乱用・誤用・誤解に繋がると認め、16世紀のトリエント公会議で公式に廃止されています。
この償いですが、金額的には、例えば、殺人が8ドゥカート、偽証が9ドゥカート等となっていたりしたようです。
(ドゥカートは約3.5グラムの金貨)

赦しと償いという二つの概念が、一般には分かりづらいかも知れませんが、
現在でもこの考え方自体はカトリック教会で継続しており、
神に赦された罪への償いとして、多くは祈り等を行います。(上記のように、現代では、免償符的なものはありません)

ここでいう、神の赦しや罪というのは、社会や他者へのこの世における犯罪やその償いではなく、神への罪 そのものについてです。
この世での「負債」はこの世で返す必要があるように思います。
法律上の刑罰や人間同士での償いが、私たちが生きるこの世界において可能な形で果たされるべきなことは、別範疇の問題です。

免罪符の誤用とは?

「免罪符」とは「贖宥状」とも呼ばれる、16世紀にカトリック教会が発行した罪の償いを軽減する証明書です。
罪と言っても宗教(キリスト教)上の罪のことで、法律上の犯罪のことではありません。

また、免罪符は「罪などを許されるためのもの」で「免罪符を切る」という言葉はありません。

免罪符は「得る」ものです。

免罪符を与えるor得ると
切符を切るが混同された表現でしょう。

切符は切ると有効となります。なお免罪符は罪を犯して天国に行けなくなった人がお金を払ってその罪を償い、罪を無かったことにする勝手な物です。宗教をお金儲けにするというわけで、宗教革命に繋がります。

免罪符は現代に実物は?

現在でも、カトリック教会では免罪符を購入できるのかというとできません。

16世紀に開催されたトリエント公会議で、免罪符制度は廃止されましたから。

中世の免罪符、金額明示で販売
一般庶民には3千円から1万円で売られた

当時キリスト教の力は偉大でした
信心深い女性に飛ぶ用に売れました

まとめ:免罪符とは意味は比喩?現代に実物は?

免罪符というのは、600年ばかり前にカトリックの教会が、「これを買えば罪の償いが免除されまっせ」(だから、正確には免罪符ではなく免罰符)としてバカスカ刷った証書です。要するにそれで金儲けをしようとしたわけで、教会の堕落の象徴として責められました。

現在、その通りの意味の免罪符というものはありません。比喩的に、「責任や非難などをまぬがれるための行為や事柄。」(大辞林)という意味で使われます。

ですから、「免罪符にならない」は、特に「自分」に限ったものではなく、「したことを正当化する(したことが許される)理由にはならない」という意味だとしていいでしょう。

補足:免罪符とは意味は?

中世ヨーロッパで、罪深い人々のために、キリスト教教会が、ありがたいお札を売り出しました。
それを買えば、今までの罪が許され、天国への道が、約束されるという札です。
罪深い、お金持ちは、大金を支払って、お札を買いました。
でも、これってインチキ商法っぽいでしょ?
当時の人たちも、そう思ったらしく「宗教改革」が起こります。

カトリック神学では、「罪」とその結果としての「罰」は区別され、これによって免除されるのは罰の方だから、免罪符という言い方は不正確で正確には「贖宥状(しょくゆうじょう)」と言うようです。

罪は改悛によって許されますが、罰は罪が許された後も何らかの善業(罪の償い)によってしか相殺されないとされます。

で、その善業プログラムの一つとして、教会に対する寄進(献金)を設けたわけです。

この制度がシステマティックになっていくのは中世からで、しまいには資金集めを目的とした「お札の販売」みたいになってしまったのです。

もちろん、ある程度生活にゆとりのある信徒にとっては、カネさえ払えば罪の償いが完了するのだから面倒がなくてよろしいというわけで、飛ぶように売れたというのも一面の現実らしい。

しかし、最終的にはこうした堕落に抗議したマルティン・ルターらの宗教改革に端を発し、それが教会の分裂にまで発展、キリスト教世界は大騒動になってしまうんですね。

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