ルロイ修道士(握手)の教科書あらすじは?人物像・人柄は?指言葉の意味は?

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ルロイ修道士とは井上ひさしさんの「握手」に登場する人物で教科書に掲載されるようになったことで知られるようになりました。

カナダ人ながら不幸な子供達を幸せにするため働いてくれてる愛情深いルロイ修道士

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ルロイ修道士(握手)の教科書あらすじは?

ルロイ修道士が登場する井上ひさしさんの「握手」は少年がルロイ修道士に再会する話。

少年は孤児でルロイ修道士の孤児院で育つ。ルロイ修道士の手はゴツゴツした手で、戦争の際に日本兵に槌で殴られたせいで指先が潰れている。修道院ではルロイ修道士とは握手をしない方がよいと子供たちの間で囁かれている。それはルロイ修道士の握力が強く、握られると痛いからであった。ルロイ修道士は指先を日本兵に潰されるという酷い仕打ちを受けたにも関わらず、厳しいながらも子供たちには愛を持って接していた。
少年は既に孤児院を卒業しており、久しぶりにルロイ修道士と会い、食事をする。再会したルロイ修道士と昔話をしながら食事をするが、少年はルロイ修道士の食欲が無いことに気付く。ルロイ修道士はまるくなっており、少年はルロイ修道士に死期が迫っていることを知る。ルロイ修道士はその事を打ち明け、少年はルロイ修道士の思いを知る。最後、少年はルロイ修道士と握手をし、以前とは違う弱い握手に思いを募らせる

ルロイ修道士の人物像・人柄は?

ルロイ修道士は重病にもかかわらず、元園児たちを訪ねて周ったという行動から子供に対して優しくとても愛情深い人柄だと言って良いでしょう。

日本人にひどい仕打ちをされたにもかかわらず謙虚な姿勢を保ち、人間は平等だ、生まれた場所なんて関係ない、といえるルロイ修道士は人間の「模範」となるべき人間ではないでしょうか。

他人に優しく自分に厳しく一生を人の為に捧げる人生を送った。

人間をひとつのグループとしてみるのではなく、一人一人の人間だと平等に人を見ることができる人。深い人間の考察、人間というものがわかっている人。

私は1度しか叱られたことが無い。子供の世話をする事、子が成長して会う事を何よりの喜びにしている。愛の人。指を潰されても恨むこと無く全てを受け入れる。

人間は過ちをする物だと分かっている。時代の為だと分かっている。

日本人を代表する様な物言いした事を、ひとりひとりが人間である。

日本人でも、軍人でも、日本軍の中にも悪い人もいるし、良い人もいると分かっている。かつて殴った事がある事を気にしている。とても自分に厳しいです。

ルロイ修道士の指言葉の意味は?

「握手」でルロイ修道士はなぜ指言葉を使ったのかというと、おそらく(少なくとも語り手が天使園にいた頃は)日常的に指言葉を使っていたのだと思います。

天使園にいた子供達はは幼く、言葉じゃ伝わらないことがたくさんあることが予想され、指言葉+言葉で伝えようとし、指を使ったのではないでしょうか。

もしくは、日本語がうまくなかったのかもしれません。

右の人さし指をぴんと立てるのが癖だった。
→「こら。」「よく聞きなさい。」→注目の意味です。

右の親指をぴんと立てる
→「わかった」「よし」「最高だ」→OK GOODの意味です。挿絵をみましょう。

両手の人さし指をせわしく交差させ、打ちつけている姿が。。
→「おまえは悪い子だ。」→NOの意味です。指で×を作っているわけです。

★闇市では、人さし指交差させ→ どんな意味ですか?自分で考えてみましょう。
★仕事がうまく 右の親指を立てた→ どんな意味ですか?自分で考えてみましょう。
★上川君の合図 右の親指をぴんと立てる → どんな意味ですか?

右の人さし指に中指をからめて掲げた。→「幸運を祈る」 「しっかりおやり」

ルロイ修道士の死後、「私」はなぜ両手の人差し指を交差させ、せわしく打ちつける動作をとったのかというと、「お前はわるい子だ」を意味しています。

ルロイの行動のどこを、「私」は「わるい」と思っているのか?果たしてそれは本当にルロイに向けた指言葉なのか?そこは考えどころです。

ルロイとの再会のとき、「私」はルロイと会話する中で、ルロイとの別れを意識します。ルロイは昔の教え子に会って、「別れの儀式」をして回っているのだと「私」は確信しました。

そしてそれが現実のものになったとき、「私」はどう思ったでしょうか?一つ目に考えられることは、ルロイに向けた「お前はわるい子だ」。自分の病状を隠してそれをおして教え子に会って回っていたことはまさにそれです。「私」にとってルロイは親代わりの存在。尊敬と親愛を、いろいろな気持ちが入り混じった、そういう父親のような存在だったかもしれません。そう思っていた人が、つらい病状を隠したまま教え子に会って回った事実を知った時、そこまでしなくてもよかったのに、何なら自分が会いに行ったのに、なんで黙っていたのか、そういう思いにとらわれたのではないか、と思われます。

もう一つは「私」自身に向けた「お前はわるい子だ」。「私」はルロイの死期が近いことを確信していました。そしてその再会が永遠の別れになることを予感していました。そこまでわかっていたのなら、ルロイの病状を気遣うこととはできなかったのか?もっと伝えなければならないことがあったのではなかったか?そういう後悔の念いおそわれたのだとしたら、この指言葉は自分自身に向けられたのものではないか、とも考えられます。

この指言葉の描写には、「知らぬ間に」がついています。ここをどうとらえるかは、読み手の考えに委ねられるところだと思います。

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