冊封とは意味は?朝貢と違いは?

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「冊封」とはどういう意味なんでしょうか?

歴史の教科書では「漢の皇帝は周辺地域の支配者を王に封じ(冊封)」といった記載がみられますが冊封と朝貢の違いは?

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冊封とは意味は?

冊封というのは、中華王朝と周辺諸国が「形式的な」主従関係を結ぶシステムです。

かなり特種な、東アジア特有の安全保障システムの一種と考えたほうがよいでしょう。背景としては、中華が世界の中心であり唯一の文明の地であるという中華思想と、現実として常に脅威となっていた周辺からの侵入があります。

中華思想においては「周辺の蛮族の土地」など手に入れても意味はなく、征服すること自体が無駄でしかありません。とはいえ北方騎馬民族の問題は常に頭痛の種で、しかもこれらを討伐すると巨額の財政支出がある一方で利益がありません。

漢の武帝が多大な軍事的勝利の一方で、経済破綻に向かっていったのがよい例でしょう。

こうした問題に対して、周辺諸地域の有力者を「王」に封じることで、中華王朝の家臣にしようとしたのが冊封体勢です。しかし、むろん単に「家臣になれ」と言われて、はいそうですかと言うわけがありません。そこで、冊封国には実利が与えられました。

冊封と朝貢の違いは?

朝貢は朝廷同士のやりとりで、君臣関係はないが冊封は朝廷同士のやりとりだが、君臣関係があります。

両方とも君臣関係にあるものの言葉です。

冊封は従属する国が宗主国の君主を天子と認め、宗主国からは従属国の君主に「王」などの封号を与え臣下として認めることを言います。

朝貢は冊封を受けた従属国が宗主国に貢ぎ物を捧げることを言います。宗主国は答礼として多くの賜物を与えます。

日本では足利義満が明から日本国王として冊封され、勘合貿易と呼ばれる朝貢貿易を行いました。

まとめ:冊封とは意味は?朝貢と違いは?

冊封とは中国の周辺国の王が、中国皇帝に貢物を捧げて、皇帝の名の下にその国の王様であるとお墨付きを貰う事です。

冊封体制とは、冊封を通じて生まれた、中国と周辺諸国、あるいは周辺諸国同士の国際関係を指す言葉です。(冊封と言う行為だけを言うのではなく、例えば中国の皇帝から冊封を受ける=皇帝の臣下として公認される=事で、周辺諸国の中で優位に立とうとする発想も含みます。)

乱暴に言えば、皇帝が周辺諸国の支配者を冊封していた時代(前漢の武帝の頃から清朝まで)の、中国の影響下にあった東アジアの国際関係全般を指す言葉です。

朝貢して来た国の支配者の一部を、皇帝が、臣下である国王として公認するのが冊封です。朝貢は、貢物を持たせて使節を皇帝に会いに行かせる、という外国の側の行為で、冊封は、朝貢して来た国(その中の全てではない)の支配者を臣下として公認する、という皇帝側の行為です。

例えれば、政府に税金を納めて知事の免状を貰う様な物です。

冊封とは、中国皇帝の家臣として皇帝の保護下に入り、皇帝の権威の元に王としての権力を持つのです。

これにより、中国に攻められる事も無く、他国が攻めて来れば皇帝の名の下に調停してもらえるし、それでも戦争になったら援軍を送ってもらえる。

秀吉の朝鮮出兵では、明国が援軍を出しています。

こうして、他国の王にしてみれば、皇帝を『あんたが大将、あんたは偉い』と褒めておけば、なにかと便利であり、中国もインフラの整備や国防にお金を使わずに、『お前は俺の子分だ』って言うだけで、貢物やお金や美女が手に入るので大変便利でした。

そのかわり、皇帝の機嫌を取らないと王様になれないし、相続争いで弟が皇帝に賄賂を贈って王位に就けなかった皇太子もいっぱい居ます。

李氏朝鮮は、朝鮮の国名を皇帝に決めてもらったが、高麗を倒した李成桂は高麗国知事代理の身分しか貰えず、朝鮮国王の任命は第三代太宗の時代になってからです。

歴史で朝貢と言うと、元々の意味ほぼそのままですが、特に、皇帝の直接の支配領域外の国が、使いに貢物を持たせて皇帝に会いに行かせる事を言います。ここで注意すべきなのは、中国の皇帝は、概念上は世界全体の唯一正統な支配者と言う事になっているので、使節を送って来た外国は、皇帝よりも格下として扱いますが、これは皇帝はどんな人間よりも偉いと言う事になっているからだけの事で、朝貢してもそれだけでは、皇帝の臣下として認められる訳ではない、って事です。

使節を送って来た国の支配者を皇帝がその国の王なり侯なりに任命して、つまり冊封して初めて、皇帝の臣下として認められる事になります。(実際に日本の遣唐使は中国からすれは紛れもなく朝貢であり、それは日本側も認識していましたが、天皇を日本国王という臣下として公認した形跡はありません。同様に、新羅や渤海が日本に使節を送って来たのを日本は朝貢に来たものとして扱いましたが、新羅国王や渤海国王を日本がそれぞれの国王に任命した形跡もありません)

ちなみに、日本も小国乱立の時代は各都市国家の王が、中国皇帝に朝貢して王位を受けたり、友好国としての待遇(卑弥呼もそうですね)を受けたりしていますが、大和朝廷成立後は王位ではなく、天皇位を宣して皇帝の冊封体制から独立しています。
一時、足利義満が貿易の為に朝廷に無断で宋国の皇帝に朝貢して、日本国王の印璽を貰ったりはしてますが。

東アジア・中央アジアで初の快挙であり、中国皇帝は居なくなっても日本天皇は存在し続けているのです。

ちなみに、中国皇帝は日本の天皇位を認めていなかった(中国の神話の王様である三皇五帝(何千年・何万年も中国を支配した神様の子孫)と同格の者として『皇帝』と名乗りましたが、天皇は更に上の神様である天と三皇と同格の『天皇』とした)ので、各時代の権力者に勝手に日本国王の地位を認めた事になってます。(豊臣秀吉公・徳川家康公も、日本王位)

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