殿様と親方様(お屋形様)の違いは?

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「親方様(お屋形様)」と殿様の違いは?

戦国時代の時代劇で、『お館様(お屋形様)』、『殿』という呼称がありますがどんな違いがあるんでしょうか?

なぜ武田信玄公は「殿」ではなく「お館様」と呼ばれるのでしょうか

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殿様と親方様(お屋形様)の違いは?

お館様(正式にはお屋形様)について、屋形とは室町幕府に貢献の有った有力者や一部の守護大名に室町幕府から許された敬称です

戦国大名の有名どころで言うと甲斐武田家の他には今川家や毛利家、浅倉家、長尾家(謙信の父の代から)等はお屋形様になります

織田家や徳川(松平)家はお屋形様では有りません ただ屋形号は信長、家康の時代にはそれほど価値も権威も無いものになっていたようです

屋形 - Wikipedia

通常、武家社会の中で主君に対する敬称は「殿」「殿様」が主流である。しかし、室町幕府成立以降、足利将軍家から屋形号を与えられた大名に対する敬称として「御屋形様」(おやかたさま)という尊称が定着した(屋形号を有する大名は主に御屋形様(おやかたさま)と尊称されたが、重臣の場合は御屋形、屋形と略称したケースもある。上様ともいった。屋形号を有する大名の正室は御裏方様、御たいほうなどといわれ、嫡男は主に新屋形様、上様と尊称された。)。

当初は将軍のみが諸大名に対する免許権を有していたが、後に鎌倉公方 足利満兼が関東の諸大名に免許して関東八屋形の制を整えることで、将軍・鎌倉公方による免許制が整った。 屋形号は室町幕府でも守護以上の身分で遇される足利一門や、代々有力守護であって幕府の重職につく家や特に功績ある家柄、また、国人領主ながら、室町幕府の建設に功労ある家柄に許された。

まとめ:殿様と親方様(お屋形様)の違いは?

「お館様」は大名や格式の高い館の主のような貴人を指し、特に一国の国主や守護をさす場合が多い。

「御屋形様」とも言う。(読み同じ)

秀吉が天下を取る頃にはこの呼称は消滅した。

「殿」は主君や貴人を敬ってさす語。
江戸期にはいると、大名や旗本を敬って言う。

武田・今川などは元々守護大名であり「お館様」という呼称となる。

一方、伊達政宗や織田信長は正式な守護でないので「殿様」となる。
(信長が足利義昭を追放した後は「上様」でも差し支えない)

一般に守護大名を「御館様」と呼び、その陣にはせ参じる武将達を「殿輩」と呼ぶ。
「殿輩」とは殿クラスとか殿達という意味。

ちなみに、「上様」は元々天皇の敬称であったのが、武家政権になって将軍の敬称に転じた呼び方。
江戸期に於いては将軍のみを指す。

「御屋形様」には武家の棟梁(これは広義の源太郎という意味ではなく、狭い意味でその「家系の棟梁」という意味)は、その「家」を代表し、統率し、存続に責任を負います。

言い換えれば「棟梁=家」ともいえるわけです。ですから棟梁をして「館(屋形)」と呼ぶわけです。

殿もまあ、「家」の呼び方の一つです(寝殿造りとか)からそれでもいいといえばいいのですが、もっと「時代の下った呼び方」です。

初期の武家組織はもっと家長と郎党などが近しかったので「御館様」。戦国も安土桃山ぐらいになると組織自体が大きくなりますので「殿」と呼ぶようになっています。「館(屋形)」よりも「殿」のほうがより「大きな建物」を表しているせいではないかと思います。

参考:殿様と親方様(お屋形様)の違いは?

室町幕府から守護職に任命された正式な守護大名のことを「お屋形さま」と呼びます。

屋形号というのは、室町幕府の成立とともに、足利一門(斯波氏など)や幕府の重臣となる有力な守護大名、反幕府派を討伐するなどの大きな功績のあった地方領主に幕府から許可されるようになり、屋形号を許可されて初めて、臣下から「お屋形様」もしくは「上様」と呼ばれるようになります。

屋形号を許可されると、宮中参内時に使う白傘袋と毛氈鞍覆(房飾りのついた馬の鞍)および塗輿(うるしなどで塗装した輿=家臣にかつがせて乗る大きなみこしのような乗り物)の使用が認められました。

お相伴衆とも呼ばれ、足利一門以外では、当初は管領を勤めた細川氏が許可されましたが、後に朝倉、今川、大友、武田、北条、毛利の各氏が名乗ることを許可され、また関東地方では有力な八家(宇都宮氏・小田氏・小山氏・佐竹氏・千葉氏・長沼氏・那須氏・結城氏)に許可され、俗に「関東八屋形」と呼ばれました。

守護職ってのは今でいう県知事みたいなもんで世襲制です。 ですので歴代守護職の家柄の武田信玄や今川義元などは「お屋形さま」と呼ばれます。

上杉謙信は前の名前長尾景虎と名乗っていた頃は守護代の家系なので「お屋形さま」はなく「殿様」ですが、のちに上杉家より守護職を譲られ上杉姓を名乗った時点で「お屋形さま」になりました。 一方、下克上で守護大名にとってかわった松永久秀、斉藤道三、織田信長、徳川家康などは「殿様」であって「お屋形さま」ではありません。

室町幕府の滅亡以降は、「屋形号」の価値は少し下がり、少なくとも守護代や国持大名であれば、有力であった場合はその優遇策として与えられるようになり、信長などは、屋形号を他の大名に贈ったりもしています。

江戸期以降になると、御三家(尾張・紀州・水戸の徳川家)、越前松平家、松江越前松平家の親藩大名と、室町期から守護に任じられた伝統を持つ薩摩藩島津家、仙台藩伊達家、熊本藩細川家、長州藩毛利家、秋田藩佐竹家、米沢藩上杉家、対馬藩宗家 、さらに旗本では山名家、最上家、横瀬家の各当主に「屋形号」が許可されました。

なお、屋形号のさらに上の格式として「御所号」があり、室町時代から足利将軍家の分家として鎌倉公方の職に就いていた伝統を持つ喜連川家だけが許可されていました。

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