張儀の現代語訳・書き下し文|司馬遷『史記 張儀列伝 第十』吾が舌を視よ 尚ほ在りや不や

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司馬遷『史記 張儀列伝 第十』の現代語訳は?

司馬遷(紀元前145年・135年~紀元前87年・86年)は中国の前漢時代の歴史家。

『史記』は中国の正史である『二十四史』の一つとされ、計52万6千5百字という膨大な文字数によって書かれていますが『史記 張儀列伝 第十』の現代語訳について。

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張儀の書き下し文|司馬遷『史記 張儀列伝 第十』

張儀者、魏人也。始嘗与蘇秦倶事鬼谷先生、学術、蘇秦自以不及張儀。

張儀已学游説諸侯。嘗従楚相飲。已而楚相亡璧。門下意張儀、曰「儀貧無行。必此盗相君之璧。」共執張儀、掠笞数百、不服。?之。其妻曰「?。子毋読書游説、安得此辱乎。」張儀謂其妻曰「視吾舌尚在不。」其妻笑曰「舌在也。」儀曰「足矣。」

張儀は魏の人なり。始め嘗て蘇秦と倶に鬼谷先生に事へ、術を学び、蘇秦自ら以(おもへ)らく張儀に及ばず、と。張儀已に学び諸侯に遊説す。嘗て楚相に従ひて飲す。已にして楚相璧を亡ふ。門下張儀を意ひて、曰く「儀は貧にして行無し。必ず此れ相君の璧を盗む。」と。共に張儀を執へ、掠笞すること数百、服せず。之を?(ゆる)す。其の妻曰く「?。子、書を読み游説すること毋かりせば、安んぞ此の辱を得んや。」と。張儀其の妻に謂ひて曰く「吾が舌を視よ、尚ほ在るか不か。」と。其の妻笑ひて曰く「舌在るなり。」と。儀曰く「足るなり。」と。


秦恵王時、儀嘗以秦兵伐魏、得一邑。復以与魏。而欺魏割地以謝秦。帰為秦相。已而出為魏相、実為秦地。襄王時復帰相秦。已而復出相魏以卒。

秦の恵王の時、儀嘗て秦兵を以て魏を伐ち、一邑を得。復た以て魏に与ふ。而して魏を欺き地を割きて以て秦に謝せしむ。帰りて秦の相と為る。已(すで)にして出でて魏の相と為る。実は秦の地の為なり。襄王の時、復た帰りて秦に相たり。已にして復た出でて魏に相として以て卒す。


『辱められて怒る』書き下し文

蘇秦すでに趙王に説きて、従親をあい約するを得たり。
然れども秦の諸侯を攻めて約を敗り、後に負かんことを恐る。
念うに秦に用いしむべき者なし。
すなわち人をしてひそかに張儀を感ぜしめて曰く、
「子、始め蘇秦と善し。今、秦すでに路に当たる。
子なんぞ往きて遊び、もって子の願いを通ずるを求めざる」。

張儀ここにおいて趙に之き、謁を上り蘇秦に見ゆるを求む。
蘇秦すなわち門下の人を誡め、ために通ぜしめず、
また去るを得ざらしむること数日。
すでにしてこれを見るや、これを堂下に坐せしめ、僕妾の食を賜う。
よりてこれを数譲して曰く、
「子の材能をもってして、すなわち自ら困辱することここに至らしむ。
われなんぞ言いて子を富貴にすること能わざらんや。
子は収むるに足らず」。
謝してこれを去らしむ。
張儀の来たるや、自らおもえらく、故人なり、と。
益求めてかえって辱しめられ怒る。
念うに諸侯、事うべきものなし、
独り秦のみよく趙を苦しめん、と。
すなわちついに秦に入る。

『儀 何ぞ敢へて言はん』書き下し文

蘇秦すでにしてその舎人に告げて曰く、
「張儀は、天下の賢士なり、われほとんどしかず。
今、われ幸いにして先に用いらる。
而してよく秦の柄を用いん者は、独り張儀、可なるのみ。
然れども貧にして、よりてもって進むるなし。
われ、その小利を楽しみて遂げざらんことを恐る。
故に召してこれを辱しめ、もってその意を激ます。
子、わがためにひそかにこれを奉ぜよ」。
すなわち趙王に言いて、金幣・車馬を発し、
人をしてひそかに張儀に随い、ともに舎に同宿せしむ。
ようやく近づきてこれに就き、奉ずるに車馬・金銭をもってす。
用いんと欲するところは、ために給を取りて而も告げず。
張儀、ついにもって秦の恵王に見ゆるを得。
恵王もって客卿となし、ともに諸侯を伐つを謀る。

蘇秦の舎人、すなわち辞し去らんとす。
張儀曰く。
「子によりて、顕わるるを得たり。まさに徳を報いんとす。
何の故に去るや」。
舎人曰く、
「臣、君を知れるにあらず、君を知れるはすなわち蘇君なり。
蘇君、秦の趙を伐ちて従約を敗らんことを憂え、
おもえらく、君にあらずんばよく秦の柄を得るものなからん、と。
故に君を感怒せしめて、臣をしてひそかに君に資を奉給せしむ。
ことごとく蘇君の計謀なり。
今、君すでに用いらる。
請う、帰りて報ぜん」。
張儀曰く、
「ああ、これわれ術中に在りて而も悟らず。
われ蘇君に及ばざること明らかなり。
われまた新たに用いらる、いずくんぞよく趙を謀らんや。
わがために蘇君に謝せよ。
蘇君の時、儀、何をかあえて言わん。
かつ蘇君在らば、儀なんぞよくせんや」。

張儀すでに秦に相たり。
文檄を為りて楚の相に告げて曰く、
「始めわれなんじに従いて飲む。
われなんじの璧を盗まず。
なんじわれを笞てり。
なんじよくなんじの国を守れ。
われ顧ってなんじの城を盗まんとす」。

張儀列伝は、かなり長く、書き下しは、以下を参照してください。
http://gongsunlong.web.fc2.com/10tyougi-r.pdf

張儀の現代語訳|司馬遷『史記 張儀列伝 第十』

張儀は魏の人である。
はじめ、蘇秦とともに鬼谷先生に師事して術を学んだことがあり、
蘇秦はみずから張儀におよばないと思っていた。
張儀は学業を終えると、諸侯に遊説した。
あるとき、楚の宰相にしたがって酒席につらなっていたが、
宴はてた後、宰相が璧を紛失した。
宰相の食客たちは、張儀を疑って言った。
「張儀は貧乏で品行もよくない。こいつがわが君の璧を盗んだのだろう」
そして、張儀をとらえて数百回も鞭打ったが、
張儀が罪に服さなかったので、釈放した。
張儀の妻が言った。
「ああ、あなたが、なまじ書物を読んで遊説などしなければ、
こんな辱しめを受けなかったでしょうに」
と言ったが、張儀は妻に向かい、
「わたしの舌を見てくれ。まだあるか、どうだ」
妻は笑って言った。
「舌はあります」
すると、張儀は言った。
「舌さえあれば十分だ」

蘇秦は趙王を説き伏せて、合従の同盟を結ばせていた。
けれども秦が諸侯を攻撃し、
同盟が破れたら信用を失うだろうと懸念した。
思い巡らしたが、秦に任用させるべき人物がいない。
そこで、密かに人を遣わし張儀の心を動かした、
「おぬしは前には蘇秦と親しかった。蘇秦覇今回の要路にある。
彼のところにいって、おぬしの望みを叶えてくれといってはどうだ」。
それを聞き張儀は趙へ出かけ、蘇秦に面会を申し込んだ。
が、蘇秦のほうでは家来に、
彼が来ても取り次ぐな、ただし追い返してはならない、
と言い含めて数日の間関わらなかった。
やっと面会して、堂の庭先に座らせ、下男下女と同じ食事を与え、
そのうえで口を極めて非難した。
「おぬしほどの才能がありながら、これほどまで恥辱を味わうのは、自分の咎だ、
私とて一言口を利けば、おぬしを富貴にしてやることは雑作もない。
だが、おぬしに引き立ててやる値打ちはない」と断って帰らせた。
張儀が尋ねてきたとき、
旧友から何かの役にあり付けることが出来ると考えていたので、
かえって辱められて腹に据え兼ねた。
考えてみると、諸侯のうちほかに適当なものはない、
ただ秦こそは趙を苦しめることが出来よう。
そんなわけで秦へ入国したのである。

蘇秦はそのあとで自分の近侍に、
「張儀は天下の賢士である。私も恐らく及ぶまい。
私は幸いに先に用いられたが、
秦の権力を握れる男は、張儀一人だろう。
だが貧しくて立身のあてがない。
彼がわずかな利益に満足して志をとげぬかと気遣ったから、
呼んで恥を与え、彼を激昂させたのだ。
おぬしは人に知られないように、陰で彼の世話をしてやれ」。
そこで趙王に申し上げ、黄金、幣物、車馬を整え、
近侍をこっそり張儀のあとにつかせ、同じ宿に泊まらせた。
だんだんに接近して、車馬や金銭を渡し、自由に使わせたが、
出資者の名を明かさなかった。
かくして張儀は、秦の恵王に目通りすることができたのである。

恵王は彼を客卿とし、諸侯を討つ相談をした。

張儀 辱められて怒る|司馬遷『史記 張儀列伝 第十』

「張儀 辱められて怒る」の中で蘇秦が張儀に対して何がしたいのかというと、端的に言えば、張儀を侮辱しわざと怒らせ発奮させて秦へ行かせる計画だったとされています。

当時の状況として蘇秦は趙王を説いて、合従の同盟を結んでいるところでした。

ですが、秦が同盟を破り諸侯を攻撃するのではないかという懸念もありました。

そこで、秦で重用されてこうした同盟破棄をを防げる人物を求めており、その役を張儀に決めたという事です。

面会しなかったり、下男と同じ饗応をしたり、暴言を吐いて怒らせれば、張儀は自分に対して憤り復讐の念に燃えて必ず秦へ行き立身するだろうと読んでいたわけですね。

狙い通り、発奮して秦に向う張儀に蘇秦は身分を偽った部下を同行させ資金・車馬などを援助したと云います。

この結果、秦の恵王に面会し重用されることになった張儀は趙を討つ計画を立てますが、この時にそれまで援助を続けていた蘇秦の部下が真相を話し、同盟を破棄しないようにという蘇秦の言葉を伝えます。

張儀は蘇秦の策に感嘆し彼の生前は同盟を守るように努めたという事です。

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