丑三つ時は何時?由来は?草木も眠る丑三つ時

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丑三つ時とは何時のこと?

「草木も眠る丑三つ時」と言いますが何が由来しているんでしょうか?

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丑三つ時は何時?由来は?草木も眠る丑三つ時

昔は、現在の夜中の0時を「子の正刻」、正刻を中心とした23時~1時が「子の刻」で、同様に2時が「丑の正刻」、1時~3時が「丑の刻」というふうに2時間ごとに十二支を割り振っていました。

この十二支を配した2時間をさらに4等分して「一刻・二刻・三刻・四刻」または「一つ時・二つ時・三つ時・四つ時」といい、「丑の刻」なら、

1時~1時30分…丑一刻・丑一つ時
1時30分~2時…丑二刻・丑二つ時
2時~2時30分…丑三刻・丑三つ時
2時30分~3時…丑四刻・丑四つ時

といいます。

丑の正刻が2時ですから、三つ時は正刻と同じです。

で、昔の時間の呼び方としては「十二支×4刻」で子一つ時から亥四つ時まで48刻あるわけですが、なぜ「丑三つ時」が幽霊などと結びついてとくに有名になったかといえば、それは丑の刻参りと陰陽五行に由来するものでしょう。

ちなみに陰陽五行では干支・時刻・方角に季節・暦月も関連づけられていて、冬至が旧暦11月で子、大寒が旧暦12月で丑、雨水が旧暦1月で寅となり、大寒と雨水の境にある節分?立春、旧暦12月晦日?1月朔日が丑寅の鬼門の季節になります。

大晦日の年越しの祓い、節分の鬼払いの豆まきもこれに由来します。

■十干

1甲 こう2乙 おつ3丙 へい4丁 てい5戊 ぼ
6己 き7庚 こう8辛 しん9壬 じん10癸 き

■十二支

1子 し2丑 ちゅう3寅 いん4卯 ぼう5辰 しん6巳 し
7午 ご8未 び9申 しん10酉 ゆう11戌 じゅつ12亥 がい

■六十干支

1甲子2乙丑3丙寅4丁卯5戊辰6己巳
7庚午8辛未9壬申10己酉11甲戌12乙亥
13丙子14丁丑15戊寅16己卯17庚辰18辛巳
19壬午20癸未21甲申22乙酉23丙戌24丁亥
25戊子26己丑27庚寅28辛卯29壬辰30癸巳
31甲午32乙末33丙申34丁酉35戊戌36己亥
37庚子38辛丑39壬寅40癸卯41甲辰42乙巳
43丙午44丁未45戊申46己酉47庚戌48辛亥
49壬子50癸丑51甲寅52乙卯53丙辰54丁巳
55戊午56己未57庚申58辛酉59壬戌60癸亥

江戸時代の時刻の単位は”一時”(いっとき)で、これは現在の2時間にあたります。 一時より短い時刻の名称はありませんでした。つまり一日24時間を12等分し、これを干支(えと)の 十二支にあてはめたのです。つまり午前0時が子の刻(ね)、午前2時が丑の刻(うし)、午前4時が寅の刻(とら)、 午前6時が卯の刻(う)、午前8時が辰の刻(たつ)、午前10時が巳の刻(み)、午後0時が午の刻(うま)、 午後2時が未の刻(ひつじ)、午後4時が申の刻(さる)、午後6時が酉の刻(とり)、午後8時が戌の刻(いぬ)、 午後10時が亥の刻(い)と言うわけです。現在でも昼の十二時を正午といったり、午前2時を丑満時(うしみつどき)と 言ったりするのは、この呼称によるものです。また子の刻を九つ、丑の刻を八つ、寅の刻を七つ、卯の刻を六つ、 辰の刻を五つ、巳の刻を四つと称し、丑の刻からまた九つに戻って、未の刻を八つ、申の刻を七つ、酉の刻を六つ、 戌の刻を五つ、亥の刻を四つと呼ぶこともありました。いわゆる、明け六つは現在の午前6時、暮れ六つは午後6時に あたります。午後3時の間食の時間を”お八つ”というのはこの名残です。当時は一般の家庭には時計がなかったので、 時刻は時の鐘などによって知らされていました。また、一時を上・中・下に三等分することもありました。 たとえば、寅の上刻、巳の下刻などとも言います。なお、一般の市民の間では、日の出を明け六つ、日没を暮れ六つとし、 昼間・夜間をそれぞれ六等分していました。この場合は四季によって、正確な時刻とはかなりの差が生じます。

まとめ:丑三つ時は何時?由来は?草木も眠る丑三つ時

広辞苑第6版によると、
【丑の時を四刻に分かちその第三に当たる時。】と書いてあります。

丑とは昔の時刻の名の一つで午前1時~午前3時の事を間の時刻の指しますから、その四分の三、すなわち今の午前2時ごろを指します。

時刻を干支で表わすようになったのが戦国時代ごろ、それに、九つ、八つ、七つ・・・、という「数呼び」が加わるのが江戸時代。

「草木も眠る丑三つ時」は怪談話の語り出しとして言われ始めたのでしょう。

お芝居を見ていると、時刻の表現が「子の刻(ねのこく)」とか「午の刻(うまのこく)」というように十二支で表現されたりします。また「九つ」とか「四つ」というように数字で表現されたりすることもあって、いったい現代の1日を24時間とする時刻体系にあてはめると何時頃に当たるのか、現代人には直ぐには判別できません。

 
 
前者は、1日を12刻(1刻は2時間)として十二支を配当する表現法です。後者は、古代から宮廷の陰陽寮(おんみょうりょう)では1刻(2時間)毎に時を告げる鐘を鳴らしてきたのですが、その鐘を鳴らす数が時刻によって決まっていることから鳴らす数を時刻として表現している訳です。一覧表にすると次のようになります。
草木も眠る丑三つ時
 
 
23:00-1:00 子 九つ 真夜
1:00-3:00 丑 八つ 夜 丑の刻を4つに分けて3つめが丑三つ時(2:00-2:30)
3:00-5:00 寅 七つ 暁
5:00-7:00 卯 六つ 明 明け六つとは、午前6時ころ
7:00-9:00 辰 五つ 朝
9:00-11:00 巳 四つ 昼
11:00-13:00 午 九つ 真昼 12:00を正午、それ以前を午前、以後を午後という
13:00-15:00 未 八つ 昼 「おやつ」を食べる時間帯です
15:00-17:00 申 七つ 夕
17:00-19:00 酉 六つ 暮 暮れ六つとは、午後6時ころ
19:00-21:00 戌 五つ 宵
21:00-23:00 亥 四つ 夜

これを覚えておくと、お芝居を見たときにおおよその時間が分かって良いと思います。

ただここで一つコメントしておきますと、明け六つ(日の出)から暮れ六つ(日没)までを昼、暮れ六つから明け六つまでを夜と定め、昼夜をそれぞれ六等分して1日を12刻(とき)と定めている訳ですから、昼と夜の長さが等しい春分と秋分では、上記の表と一致する筈ですが、それ以外には正確にいえば一致しないということになるのです。

もう少し具体的にいうと、例えば夏至の日だと日の出が午前4時頃で日の入りが午後7時過ぎですから日中の長さは、15時間半ぐらいになります。これを六等分すると1刻は2.6時間くらいになるのです。反対に冬至の頃の昼の1刻は、1.8時間くらいになってしまうのです(夜の1刻はこの反対となる)。

要するに、江戸時代の1刻は季節によって伸び縮みしているということです。専門家は、これを「不定時法(ふていじほう)」と呼んでいます。でも、あまり深く考えると混乱してきそうですのでやめましょう。江戸っ子は大雑把だったのです。

小学唱歌に「お江戸日本橋 七つ立ち(ななつだち) 初の旅 —-」という詞があります。これから東海道を西へ向かう旅に出るのですが、出発点である江戸日本橋を「七つ」(午前4時頃)に出発するという意です。昔の人は早起きだったことが良く分かります。

余談ですが、古代中国の歴代皇帝も朝は早起きで、政治の重要な事項は早朝の会議ですべて決定されたそうです。ここから君主が政治をとり行う場所を「朝廷」と呼ぶようになったということです。

参考:丑三つ時は何時?由来は?草木も眠る丑三つ時

清少納言(966年頃~1025年頃)の『枕草子』(996年頃成立)に「時丑三つ、子四つなど、時の杭さす音など、いみじうをかし。子九つ、丑八つなどこそ、里びたる人は言へ、すべて四つのみぞ杭はさしける」(二六九段、時奏)とあります。

清少納言の生きた平安時代の時法は、1日を十二支を配した12辰刻に等分して、1辰刻をさらに4刻に等分した1日48刻(12辰刻×4刻)の「四八刻法」という定時法が主流で、これに1日を50刻に等分した「五〇刻法」や100刻に等分した「一〇〇刻法」という定時法が併用されていたようです。

また、『枕草子』に「子九つ、丑八つなどこそ、里びたる人は言へ」とあるように、平安時代にはすでに、子の刻に九つ、丑の刻に八つの鐘を鳴らす方法も存在していたようです。

室町時代になると、日出・日入(日没)を基に昼夜をそれぞれに6等分し、したがって同じ1刻でも昼と夜、季節によって長さが変わる不定時法が主流になり、さらに、子の刻を九つ、丑の刻を八つなど、時刻を鐘の数で表現する、時代劇でおなじみの呼び方が広まってきます。

平安の頃なら1辰刻が現代の2時間で、それを4等分した1刻が現代の30分でしたが(「四八刻法」の場合)、室町~江戸の頃になると、1辰刻である「子の刻」や「九つ時」が1刻と数えられ、1刻が現代の約2時間、その半分が半刻で現代の約1時間、さらにその半分が四半刻で現代の約30分というように、「1刻」と呼ばれる時間の長さが変わっていったようです。

なお、子の刻の九つ、丑の刻の八つ、といった鐘の数ですが、これは陰陽思想などで縁起のよい数とされた「九」を基準に1辰刻ごとに「九」を倍数にして、そのままでは数が多すぎるために1桁の位の数で表わすことにしたようです(そうしないと、巳と亥の刻には鐘を54回も鳴らすことになって大変です)。

したがって、子と午―九つ(9×1=9の1桁の位)、丑と未―八つ(9×2=18の1桁の位)、寅と申―七つ(9×3=27の1桁の位)、卯と酉―六つ(9×4=36の1桁の位)、辰と戌―五つ(9×5=45の1桁の位)、巳と亥―四つ(9×6=54の1桁の位)となり、結果的に九つから1つづつ数が減っているようにみえますが、実は9の1倍、2倍、3倍…と数は増えています。

●古代~室町時代の時刻(定時法:四八刻法および五〇刻法)と現代の時刻の対応 ※一〇〇刻法は省略

四八刻法
1日=12辰刻=48刻=480分(ぶ)……… 現代の24時間=1,440分=86,400秒
1辰刻=4刻=40分(ぶ)…………………現代の2時間=120分=7,200秒
1刻=10分(ぶ)……………………………現代の30分=1,800秒
1分(ぶ)……………………………………現代の3分=180秒
五〇刻法
1日=12辰刻=50刻=300分(ぶ)……… 現代の24時間=1,440分=86,400秒
1辰刻=4刻1分(ぶ)=25分(ぶ)………現代の2時間=120分=7,200秒
1刻=6分(ぶ)……………………………現代の28分48秒=1,728秒
1分(ぶ)……………………………………現代の4分48秒=288秒
一〇〇刻法 ※分(ぶ)は不明のため省略
1日=12辰刻=100刻=○○分(ぶ)…… 現代の24時間=1,440分=86,400秒
1辰刻=8刻○分(ぶ)=○○分(ぶ)……現代の2時間=120分=7,200秒
1刻=○○分(ぶ)…………………………現代の14分24秒=864秒
1分(ぶ)……………………………………現代の○分○秒=○○秒

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