八日目の蝉の最後・結末|希和子のその後は?

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映画「八日目の蝉」の最後のシーンで希和子は「薫~!」と叫ぶものの、恵里菜(薫)は一瞬だけ振り向くものの、そのまま何もなかったように去って行きます。

希和子はその後、どうなるんでしょうか?希和子は恵里菜(薫)に会いに行く?それとも恵里菜(薫)が希和子に会いに行くような結末はあるんでしょうか?

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八日目の蝉の最後・結末|希和子のその後は?

映画「八日目の蝉」最後のシーンで希和子は「薫~!」と叫びますが希和子が夕日をバックに立っていました。

恵里菜(薫)からは逆光で顔が見えなかったので、呼ばれたのは空耳だと思い、そのまま行ってしまったの直接的な再会はしていません。

振り向いた薫が、眩しそうな目をしながら呼ばれた方を探しているようにみえたので、もし、あの時希和子が夕日をバックに立っていなければ、薫が振り向いた後せめてもう一度『薫』と呼べば、薫も気づき二人は再会できたのかもしれません。

岡山港の売店で薫と千草がお茶を飲んでる時に売店に48歳になった希和子が働いてますが、薫は気付きません。
希和子は遠くで薫に似ていると思い見ていた。
しかし、いつもの悪い癖が出ただけだと思い込む。

希和子は仕事の合間、小豆島の夕陽を見る度に幸せだったあの頃の幼い薫を抱き上げた時のずっしりとした重さが手の中に蘇ってくると感じていました。

薫がいたテーブルを見ると蝉の脱け殻が置いてあり、薫だったんだと判り追いかけ薫を見つけます。
「薫!」と希和子が声をかけ、薫が振り向く。
しばし夕陽の中の希和子を見て、戸惑ったがまた前を向いて歩き出します。

その姿を見た希和子は安心したように遠くで少しだけ微笑みますが、蝉の脱け殻を机に置いていったシーンからも、薫さんは気持ちの中では吹っ切れていたと思います。

原作では最後にお互いが気づかないままにフェリー乗り場ですれ違います。感動的なのはドラマ版のラストシーンですね。ドラマ版では希和子と大人になった薫とは再会します。ただ少し説明が必要なのは、希和子は薫の成長した姿を確認しますが、薫の方は希和子と気づいたのかどうかあいまいにしているところです。これはドラマ版の監督が後に述べてますが、薫が気づいたかどうかは見る人の判断に委ねるということを意図してしたとのことです。NHKの掲示板では薫は気づいたのかどうかをめぐって大いに議論が盛り上がりました。ハッキリしているのは、希和子は無事に成長した薫を確認し、万感の思いを込めて薫を見送ります。夕日の中でかすかに微笑を浮かべ(菩薩のようでした)成長した娘を見送る檀れいさんのクローズアップがラストシーンでした。

出所した希和子が小豆島に渡るというのは、映画だけです。 原作・ドラマとも出てきません。この、出所後の希和子の生活もグッとくるものがあります。

ドラマ版では、希和子は出所後に新潟のスーパーで働いた後に大阪、千葉、神戸を転々としています。

小豆島で薫たちは港で文治に希和子が逮捕される時に大声で何と言ったのか聞き、最後まで自分の事より薫の心配をしていた事を知り号泣します。

希和子役の壇れいが、岡山港近くのコーヒーショップでバイトをしていて、希和子の手掛かりを探して旅する薫と千草がたまたま入ってくる。希和子は、薫ではと思い、その様子を目を離さずに一方的にこっそり見ている。薫達が帰ってから、走って追いかける。先を行く薫の後ろ姿に、大声で、薫、と叫ぶシーンが一番インパクト大。薫は立ち止まり、少し考えますが振り返らないのです。

ドラマの方が、希和子に想いを寄せる漁師の男の存在(岸谷吾朗)以外は原作に忠実です。

八日目の蝉の最後・結末|希和子のその後は?ネットの口コミは?


二人は二度と出会うことはない。おそらくもう一生。
でも小豆島で過ごした日々は消えることはない。喜和子はこれからも薫の幸せだけを願い続け、薫の心には喜和子が「お母さん」として生き続ける。
二度と会うことがなくとも二人は心の中で「母と娘」であり続ける。
その思いこそが、異端者=八日目の蝉だった二人が最後に得たもの。七日で死んだ蝉たちに取り残され孤独になっても、だからこそ得られたかけがえのないもの。


気のせいかと思った、ということじゃないか。
原作では結末、希和子と薫こと恵理菜はニアミスだったから、ドラマでもそうしたのかな、と思われる。
微妙っちゃあ微妙だけど、自分としては納得行く結末かな。

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