雨宮国広(縄文大工)の経歴をwiki調査!プロフィールに激レア出演!

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雨宮国広さんはもともとは社寺建築とか、文化財修理などを担う宮大工をしていたものの、現在は石斧だけを頼りに身の回りに必要なものを製作してしまう縄文大工。

裸足にタヌキの毛皮姿という姿で自宅は、手作りのわずか三畳の小屋で暮らす雨宮国広さんの気になるプロフィールをまとめています。

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雨宮国広(縄文大工)wikiプロフィール

【縄文小屋の秘密】スペシャルインタビュー《雨宮国広》

名前:雨宮国広

出身地:山梨県

雨宮国広さんは高校卒業後、山梨で丸太の皮むきのアルバイトをしていたときから、「森は有限である」と感じ、さらに機械に頼ったのものづくりにも疑問を持つようになります。

その後、古民家、社寺建築とか、文化財修理の仕事を請け負う宮大工として働くようになると、先人の手仕事に出会い感動。手道具のみでの伝統的な手法に傾倒するようになります。

1999年から山梨県甲州市で個人事業所「雨宮大工」を営み、チェーンソーや電動ノコギリなどの工具にできるだけ頼らない、手仕事による住宅建築を行っています。

この時点ではまだ機械は使わないまでも市販されているような鉄製の大工道具は使用していたようですが、2009年に石斧と出会います。

兵庫にある竹中大工道具館で「木を切る」っていう企画展に招かれ、首都大学東京の山田昌久さんという教授と共に石斧体験の実演を任されます。

ついに石斧などを使ってものづくりをする「縄文」大工を開業すると、山田昌久教授と共に、能登半島の真脇遺跡で縄文住居の復元に携わっています。

ただ、NHK番組「超絶 凄ワザ!『極限の薄切りを目指せ~手ノコ編~』」(2015年1月)に出演すると「ノコギリ極薄切り」を披露するなど、“普通の”大工さんとしても、超が付くほどの大工の名人でもあります。

雨宮国広(縄文大工)の経歴

電動工具を極力使わない雨宮国広さんが使用する石斧の材料は、鹿の角や貝の斧、木のくわや木槌など多種多様。

河原とか海から石を拾ってきて、その中から叩いても割れない強い石を斧の形に整えていきます。

基本的は手のひらに収まるような形にしていき、形ができたら自然の石とすりあわせて刃先を研いでいくそうですが、石の研磨力で、速ければ10分か15分くらいで出来上がってしまうそうです。

自宅は、手作りのわずか三畳の小屋。山で取れる穀物やドングリを囲炉裏の火で蒸し、川魚を焼く。囲炉裏の灰で歯を磨き、食器も洗う。新聞紙がトイレ代わりだ。

食事の方は、道路で轢かれて死んでしまった鹿や熊のお肉を頂いたり黒曜石のナイフで皮をはいで洋服にしているそうです。

3万年前の航海再現プロジェクト :国立科学博物館

雨宮国広さんは縄文大工年せt国立科学博物館の日本人のルーツをたどる「3万年前の航海プロジェクト」にも主要メンバーの一人として参加しています。

台湾東部から沖縄・与那国島まで、かいをこいで流れの速い黒潮を越え、直線で約200キロの航海に成功しています。

■著書『ぼくは縄文大工 石斧でつくる丸木舟と小屋』

主に石斧を使って古代の丸木舟や小屋を造る「縄文大工」。大航海が行われた3万年前に船を造り台湾から沖縄まで走らせた記録、工夫に溢れた住居の復元などから新たな縄文人像を探る。

雨宮国広(縄文大工)のツイッターやインスタグラム

雨宮国広(縄文大工)のツイッター

雨宮国広(縄文大工)のインスタグラム

雨宮国広(縄文大工)のフェイスブック

雨宮国広(縄文大工)の高校や大学など学歴は?

雨宮国広(縄文大工)さんの出身中学や高校については学校名を特定できるだけの情報が出てきませんでした。

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