伊藤素子の現在は?三和銀行オンライン詐欺事件がワールド極限ミステリー

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三和銀行オンライン詐欺事件は1981年(昭和56年)3月25日に発生した日本初の銀行オンラインシステムを利用した横領事件。

「ワールド極限ミステリー」でも紹介されましたが伊藤素子の現在は?

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三和銀行オンライン詐欺事件とは経緯は?

1981年(昭和56年)3月25日、当時大阪府茨木市の三和銀行(現・三菱UFJ銀行)茨木支店に勤務していた女性行員・伊藤素子が架空名義の口座へ合計1億8000万円の架空入金を行うと歯痛を理由に早退。

その後、羽田空港から台北、香港経由でフィリピンの首都マニラへ逃亡したものの、同年9月5日、巨額横領の事実が新聞各社で報道され国際指名手配をうけると、9月8日昼にマニラ入国管理局に身柄を拘束された。

私文書偽造及び同行使詐欺と外国為替及び外国貿易管理法違反の容疑で逮捕されると、1982年(昭和57年)7月27日、大阪地方裁判所にて女性行員に懲役2年6ヶ月、恋人に懲役5年の実刑判決が言い渡された。

成田空港に到着したのは9月10日夜であったため、伊藤素子は成田国際空港警察署で一夜を過ごし、翌11日に飛行機で成田から大阪へ連行され、管轄の茨木警察署に送還された。また、日本国内にいた恋人も9月8日に大阪府警に逮捕された。

この事件は若い美人女性による犯行という点でも世間から注目を浴び、服役中は刑務所にファンレターが殺到したそうです。

被害に遭った茨木、吹田、豊中、新橋、虎ノ門の各支店はいずれも現存しており、吹田、虎ノ門の両支店は現在も当時と同一の建物・場所で営業を継続している。

一方、事件の舞台となった茨木支店は事件後も同地で営業していたが、2015年(平成27年)7月13日を以て茨木市駅東口側に建設された新ビルへ移転した。

三和銀行オンライン詐欺事件で伊藤素子の手口は?

1981年(昭和56年)3月25日、当時大阪府茨木市の三和銀行(現・三菱UFJ銀行)茨木支店の開店とほぼ同時に、伊藤素子は同支店のコンピュータ端末を操作。

オンラインで予め準備していた三和銀行の大阪の吹田支店、豊中支店と東京の新橋支店、虎ノ門支店の計4支店に開いた架空名義の口座へ、合計1億8000万円の架空入金を行います。

その後、吹田、豊中の両支店で架空入金した金の一部を引き出した後に伊丹空港から飛行機で東京へ向かい、更に新橋、虎ノ門の両支店でも現金を引き出します。

現金5000万円と小切手8000万円相当の合計1億3000万円全額を当時愛人関係にあった都内で実業家の男性・南敏之に渡し、引き出し損なった1冊の預金通帳と恋人から渡された現金500万円を持ち、そのまま羽田空港から国外逃亡しています。

3月25日は給与振込日と決算期の決算整理手続の重複するため銀行にとっては最も忙しい1日であり入出金チェックも一年で最も甘くなる日

そんな最忙期の隙を突くように犯行日に選び、1億円以上の金額をたった1日で横領したその手段は、当時の銀行およびコンピューターのチェックシステムの盲点を巧みに突いた事件として世間に大きく騒がれた。

「三和銀行オンライン詐欺事件」の以前には、オンラインシステムを利用した横領を罰する法律が存在しなかったこともあり、この事件を契機に類似のコンピュータ犯罪が急増。

1987年(昭和62年)の法改正で電子計算機使用詐欺罪(刑法246条の2)が新設された。

電子計算機使用詐欺罪にあたる行為としては、次の2つが定められています。

不実の電磁的記録の作出
電磁的記録の供用

「不実の電磁的記録の作出」とは、コンピューターに虚偽の情報を与えて不正に利益を得る行為を指し、「電磁的記録の供用」とは虚偽の電磁的記録をコンピューターに使用して不正に利益を得る行為を指します。

https://chiba.vbest.jp/columns/criminal/g_other/5383/

伊藤素子の現在は?三和銀行オンライン詐欺事件

・名前: 伊藤素子

・生年月日: 1948年11月18日

・年齢:73歳

・家族構成: 両親、兄1人、姉3人

・犯行時年齢: 32歳

・犯行日時: 1981年3月25日

・身柄拘束: 1981年9月8日

・逮捕: 1981年9月10日

・判決: 懲役2年6月

伊藤素子が三和銀行に入行して12年後、「茨木霊苑」という1万坪もある墓地管理業を営む会社の社長だという南敏之と出会います。

伊藤素子は南敏之に心を奪われるものの、南敏之の経歴は嘘で本当は多額の借金を抱えて首が回らない状態だったようです。

次第に南敏之は伊藤素子にお金を無心するようになり、伊藤素子は当初は貯めていた貯金で何とかしていたようですが、とうとう貯金も底をつき銀行の預金に手を出してしまいました。

色恋沙汰の末の横領事件であり、その犯人である伊藤素子が美人だったこともあり、マニラで拘束中でのインタビュー「好きな人のためにやりました」 が当時の流行語となりました。

裁判では両者とも控訴せず刑が確定したため服役に入ったが、伊藤素子は模範囚だったため、刑期の満期を待たずに2年後の1984年(昭和59年)8月に仮出所しています。

判例:大阪地判昭和57(1982)年7 月27 日判時1059 号158 頁

伊藤素子はその後、1990年(平成2年)一般男性と結婚した

南敏之は「1ヶ月後に必ずマニラに行く」と伊藤素子に伝えて、先に現地に行かせていましたが真っ赤な嘘で、実際には日本にとどまり家族らと豪遊していたそうです。

伊藤素子の結婚後については情報は何も明らかにされていません。2022年には74歳を向かえる年齢となります。

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