ジャッキー・クラーク殺人事件の犯人は?フレデリクトンで1995年8歳

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ジャッキー・クラークさん(当時8歳、Jackie Clark)は1995年、フレデリクトン(カナダ)で行方不明となった後、遺体となって発見されました。

「世界が騒然!本当にあった(秘)衝撃ファイル」でも紹介されたジャッキー・クラーク殺人事件の犯は?動機は判決は?

■世界が騒然!本当にあった(秘)衝撃ファイル放送内容

1995年、カナダ・フレデリクトン。ある日、池のほとりで友達数人と遊んでいた8歳少女が行方不明になった。実はこの時、この少女は何者かに誘拐され、殺害されていた…。はたして、少女を連れ去り、殺害した凶悪犯は誰なのか?警察は、数々の連続殺人事件を解決に導いた“伝説の元刑事”とともに犯人を追いつめていく。

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ジャッキー・クラーク殺人事件の犯人は?フレデリクトンで1995年8歳

1995年6月3日、8歳のジャッキー・クラークは、カナダ・フレデリクトン(Fredericton)にある自宅近くの森の中でいつものように2人の友達と3人で遊んでいました。

夕食後にオタマジャクシを探していたところ、とある男性が近寄りジャッキー・クラークをに「一緒にドライブにでかけよう」と話しかけ、結局、最後に目撃されたのはリング・ロードで四輪バギーに乗って男性と走り去るジャッキー・クラークさんの姿でした。

ジャッキー・クラークが帰ってこないので不安を感じた両親が警察に捜索依頼をすると、ジャッキー・クラークと一緒に遊んでいた二人の子供が男の人相を聞き取ります。

似顔絵が作成され、配布され何百人もの人たちが昼夜を問わず捜索を続けたものの、2日後にジャッキー・クラークの遺体が発見されました。

マクアダム・アベニュー・スクール近くの森にある水力発電所の線路上にある四輪バギーの横に、ブラシで覆われた浅い墓の中に岩や枝に埋もれていたそうです

ジャッキー・クラーク殺人事件の犯人逮捕の経緯は?

ジャッキー・クラークは司法解剖の結果、暴行を受けて首を絞められたことが判明。

事件を担当したのはフレデリクトン警察の刑事マイク・リチャード。実はジャッキー・クラークが誘拐される直前まで一緒に遊んでいたのがマイク・リチャードの甥でした。

キングスレー・ロードのトレーラー・パークでまったく別の人物を探していたところ、似顔絵によく似た人物と偶然遭遇します。

警察はすぐに照会をはじめマレー・エドワード・ライオンズ(35歳)と特定

マイク・リチャードは、ジャッキー・クラークが失踪したときに一緒に遊んでいた甥に写真を見せるととたんに震えだしジャッキー・クラークを連れ去った本人に違いないという証言を得ます。

ただ犯人は、ジャッキー・クラークを自分のバギーに乗せたことは認めたが、最終的には彼女を解放したと彼女の死への関与はきっぱりと否定します。

有罪判決を下すのに十分な物的証拠がなかったので、すべてはマイク・リチャードの尋問にかかっていると言いました。

そこでジャッキー・クラークは引退したアメリカの刑事にアドバイスを求め、何と自分の甥がジャッキー・クラークを殺した犯人だとする狂言芝居を始めます。

ライオンズと親しくなることでジャッキー・クラーク殺害の真実を知ることが目的で、驚くことにライオンズはマイク・リチャードに同情しジャッキー・クラークを殺害したことを認める供述を始めるのでした。

ジャッキー・クラーク殺人事件の犯人の判決は?

マレー・エドワード・ライオンズは、ジャッキーを四輪バギーに乗せて友人たちから遠ざけると、森の中で乱暴した後に殺害。そのまま森に放置をしていました。

彼の逮捕後、さらに3人の若い被害者が性的暴行の申し立てもありました。

その結果、ライオンは1996年の裁判で第一級殺人の罪で有罪となり、25年間仮釈放なしの終身刑を言い渡されます。

1999年5月28日、レナスのアトランティック施設の独房でライオンスが死んでいるのを看守が発見した。

ライオンの同房者であるマイケル・スミスが彼を延長コードで絞め殺したそうです。

子供の頃に虐待を受けていたスミスは、同房者が子供を虐待していることを自慢しているのを聞くのは絶えられなかったそうです。

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