唇亡歯寒(戦国策)の意味・現代語訳|唇亡びば歯寒し

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唇亡歯寒(唇亡びば歯寒し)の意味について。

中国の前漢の劉向の書「戦国策」の一説「唇亡歯寒(唇亡びば歯寒し)」の現代語訳は?

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唇亡歯寒(戦国策)の意味・現代語訳|唇亡びば歯寒し

「趙が滅びたら、残された韓・魏もただではすまないぞ」という、趙の家臣・張孟談からの脅迫まがいの説得です。

春秋時代の大国・晋には「六卿」と呼ばれた六家の有力氏族がいましたが、次第にこの六卿が晋王を差し置いて専横を極めるようになり、やがて晋は智氏の当主・智伯を筆頭勢力とする四家(智・趙・韓・魏)での勢力争いに突入します。そして韓・魏と同盟を結んだ智伯は趙の当主・趙襄子を三年にわたって攻め、滅ぼそうとしますが、趙襄子はそれに耐えてよく持ちこたえます。

さて智伯というのはとんでもない暴れん坊で、韓・魏の両君はとっくに愛想を尽かしていましたが、さりとて智伯の復讐を恐れて逆らうこともできず、しぶしぶ趙攻略に加わっていました。
張孟談はそんな両君の心理を巧みに見抜き、「唇が無くなったら歯が冷たくなるといいます。同様に、晋のパワーバランスの一角を支える趙が滅びたら、残った弱小の韓・魏は必ずや智伯によって滅亡の危機に瀕するでしょう。強欲な智伯は趙を滅ぼした後、間違いなく韓・魏を滅ぼそうとするはず。そうなる前に韓・魏は智伯を裏切り、趙に味方してほしいのです。ともに智伯を討ちましょう」と提案しました。

その結果、韓・魏両氏は智伯を裏切り、智伯は趙襄子によって殺され、晋は三分割されて戦国七雄の三晋(趙・韓・魏)が建国されるのです。

唇亡歯寒(戦国策)の時代背景

春秋時代、晋(しん)の近くにカク、虞(ぐ)という二つの小国があった。
晋の献公(けんこう)はカクを討とうと考えた。
しかし、晋はカクとは国境を接しておらず、間には虞がある。
つまり、カクを討つためには晋の大軍が必ず虞を通らなければならなかった。

そこで晋は虞の君主に美しい宝玉と名馬を贈り、
晋軍に道を貸してくれるよう求めた。

宝玉と名馬をみた虞公は喜んで、さっそく通行の許しを出そうとした。
これを聞いた虞の大夫(たいふ)宮之奇(きゅうしき)は
すぐさま晋の狙いを見抜いた。
君主に拝謁すると言った。

「カクと虞は支え合っております。
カクと虞の二国は唇と歯のようなもの。
唇がなくなってしまって歯が一人でやっていけましょうか。
一旦晋がカクを滅ぼせば、必ずや虞も共に滅ぼされます。
唇が亡びれば歯が寒いのは道理でございます。
もし、晋軍を通せば、カクは間違いなく滅びましょう。
決して晋軍に道を貸してはなりません」

しかし、虞公は宮之奇の諫言を聞かず、
晋軍を通すという晋の献公の求めに応じてやった。

虞公を説得することができなかった宮之奇は、
虞の滅亡を確信し、一家を引き連れて、曹(そう)の国へ逃れた。

虞公のおかげでカクまでの道を確保することができた晋軍は、
圧倒的な軍事力をもってカクを滅ぼした。
晋軍は勝利して帰還する道すがら、返し刀で今度は虞を急襲し、
瞬く間に滅ぼしてしまった。

こうして、虞公は捕虜となり、
虞はカクと共に地図上から永遠にその名を消すこととなる。
虞公に贈られたはずの宝玉と名馬は再び晋献公のもとに戻った。

戦国策とは?|唇亡歯寒など

戦国策 は、中国の前漢時代に書かれた歴史書です。戦国時代の遊説家たちの言説や策謀などを国別に分類して収録しており、当時の政治や外交、社会の様子を知る上で貴重な資料となっています。

戦国策の特徴

時代: 戦国時代(紀元前475年~紀元前221年)
著者: 前漢時代の劉向

歴史書というよりも、読み物として面白い
故事成語の出典が多い
文章が巧みで、説得力がある

■内容
戦国時代の遊説家たちの言説や策謀
政治、外交、軍事、経済など様々な分野に関する話
蘇秦、張儀、范雎などの有名な遊説家が登場

戦国策の構成

戦国策は、全33編から構成されています。各編は、国ごとに分類されており、秦、斉、楚、趙、韓、魏などの主要な国について、遊説家たちの活動が詳しく記されています。

戦国策は、戦国時代の歴史を知る上で貴重な資料であるだけでなく、人間ドラマとしても非常に面白い作品です。遊説家たちの巧みな弁舌や、政治の裏側を描いたストーリーは、現代人にも多くの示唆を与えてくれます。

戦国策の故事成語

戦国策には、多くの故事成語が出典しています。以下に、その代表的な例をいくつか挙げます。

遠交近攻:遠い国と友好関係を築き、近い国を攻める
先ず隗より始めよ:改革はまず身近なことから始める
唇亡き歯寒し:互いに助け合わなければ、どちらも存続できない
虎の威を借る狐:他人の権力をかさに着て威張る
画餅:絵に描いた餅のような、実現不可能な約束

まとめ:唇亡歯寒(戦国策)の意味・現代語訳

唇亡歯寒(唇亡びば歯寒し)という言葉は、一つの結びついた関係の中で、片方が損なわれた場合、もう一方も影響を受けることを意味します。

春秋時代の中国の歴史や故事において、「唇亡歯寒」という表現が使われることがあります。たとえば、晋の献公がカクを討つために通行の許しを求めた際、虞の大夫宮之奇が「カクと虞は唇と歯のようなもので、唇がなくなれば歯も寒くなるでしょう」と述べたのがその一例です。

この故事では、カクと虞という二つの小国が互いに支え合っている関係にあります。晋の献公が虞の国を通行させることを求めた際、宮之奇は虞の滅亡を懸念し、「唇がなくなってしまったら歯が寒いのは道理でございます。もし晋軍を通せば、カクは間違いなく滅びましょう。決して晋軍に道を貸してはなりません」と説得しました。

しかし、虞公は宮之奇の警告を無視して晋軍を通すことに同意しました。結果として、晋軍はカクを滅ぼした後、返し刀で虞を急襲し、虞も滅ぼされてしまったのです。

この故事から、「唇亡歯寒」という言葉は、相互に依存し合っている関係において、一方が危機に陥れば、もう一方も影響を受けることを示しています。つまり、一つの結びついた関係の中で、一方が損なわれると、もう一方も困難に直面することを警告する教訓が込められています。

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