小豆袋は創作?信長が浅井、朝倉の包囲をお市の方が救う金ヶ崎の退き口

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織田信長は永禄13年、浅井長政、朝倉義景に挟撃され人生最大のピンチを向かえます。

いわゆる「金ヶ崎の退き口」で窮地を脱しますが、お市の方の送った「小豆袋」で事前に浅井長政、朝倉義景の企みを知ったという言い伝えもあります。

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小豆袋で信長が浅井、朝倉の包囲をお市の方が救う

信長は若狭国の守護である武田家を討伐するため出陣すると、朝倉氏の本拠・一乗谷にまで攻め進めます。

ところが、現在の敦賀市と南越前市を隔てる木ノ芽峠にさしかかったところで、お市の方から両端を紐で縛った小豆の入った袋が送られてきます。

小豆袋を受け取った信長は浅井の裏切りを知らせているのだと気づき「妹なからも、此智慮は、男子の及ふ業にあらす」と感嘆したとあります。

多くの歴史小説・ドラマでは、お市の方が信長が小豆が嫌いなのを承知のうえで、陣中見舞として両端を結んである小豆袋を送り、信長がお市がわざわざ自分が嫌いな小豆袋を送って来たと聞き、何かあると思い、両端が結んであるを見て、袋の鼠の意味を悟り(浅井の寝返りを知り)全軍に退却を命じる場面が描かれています。

信長とお市の方の小豆袋は、滅ぼされた朝倉氏の遺臣が編んだ『朝倉家記』(朝倉始末記)に載っている話で、『朝倉家記』そのものは、朝倉氏滅亡からさほど経ない天正5年ごろの成立とされます。

越前へ織田勢が攻め入った時、同盟者であるはずの浅井氏による支援出勢が遅延しているとか、他の不穏な情報と併せて、妹からの訳のわからぬ贈り物(手紙と小豆袋)とかで、よくよく考えたのでしょう。

ただ、「朝倉家記」はあまり良質の史料ではないようで、このエピソードは史実ではなく、江戸時代の創作されたフィクションではないかといわれています。

金ヶ崎の退き口で信長をお市の方が救う小豆袋は創作?

お市の方の小豆袋の逸話は後世の創作かもしれませんが、やはり何らかの手段で浅井氏の裏切りを兄・信長に伝えようとした可能性はあります。

戦国時代、出陣する武将に家族や縁者が米穀、金子、武具、衣類を送ることはごく当たり前といい、お市も何らかの方法で夫・長政の変心を兄・信長に伝えたのかもしれません(当時のごく当り前の行為だったため、夫・長政や家臣たちもお市のとった行為の意味を深く詮索しなかったかと思われる)。

信長は諜者から浅井長政離反の報告が入っても、最初はまともに耳をかさなかったといいます。(「信長公記」にも、当初は何が起こったか理解できなかったという意味の記述がある)

しかし、次々と同様の注進が相次いで信長は直ちに撤退を命じたといいます。

お市が夫・長政の変心を知ったのは、側近たちの通報ではないでしょうか。妻妾が嫁ぐときの側近は実家の一族から選ぶのが通例です。

女性の輿入れのときも実家から武将や女性が従うことが多く(お市にも藤掛永勝という武将や海津局らが従っている)、小谷城内のあわただしい動きを察知してお市に知らせたのかもしれませんし、あるいは長政本人がそれらしきことを伝えたかもしれません。

当時、政略結婚した女性というのは実家の間諜(スパイ)の役割も持つというのが一般的でした。

例えば本能寺の変の時、明智光秀の娘である玉は幽閉されています。

これは光秀との決別アピールであると同時に、都合の悪い情報を光秀に流されないためです。

小豆が送られたとき、文が何も添えられていなかったとされています。

他家に居るスパイから、無言で謎の小包が届いたら、普通は「何か意味があるな。」と察すると思います。

六角氏蜂起などの情報であれば普通に伝えますので、周りくどい手段を取るのは、浅井にとって都合の悪い情報という事です。

そのうえで小豆袋を見ると両端が結んであり、そこから意図を察したと言われています。

ですから小豆袋については創作でしょうが、もしかすると、市が何か変なものを送り付けてきたので、不思議に思い浅井側に人を派遣したら裏切りが発覚した、ぐらいの事はあったのかもしれません。

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