大越健介の経歴をwiki調査!息子や学歴は?左遷で報ステに?

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大越健介さんが2021年10月からテレビ朝日系「報道ステーション(報ステ)」の新メインキャスターを務めることになりました。

元々はNHKニュースウオッチ9のキャスターを長く担当し『サンデースポーツ2020』を経て報ステキャスターとなった大越健介さんの気になるプロフィールをまとめています。

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大越健介wikiプロフィール

名前:大越健介

生年月日:1961年8月25日

年齢:50歳(2021年現在)

出身地:新潟県三島郡寺泊町(現・長岡市)

中学校:新潟市立石山中学校

出身高校:新潟県立新潟高等学校

最終学歴:東京大学文学部国文学科

家族:配偶者、長男、次男、三男

大越健介の経歴

2015/08/23 松井秀喜×大越健介

大越健介さんは大学卒業後、1985年にNHKに入局します。

NHKの同期アナウンサーには野地俊二さんがいます。

他のテレビ局だと、

寺崎貴司(テレビ朝日)
軽部真一(フジテレビ)
三宅正治(フジテレビ)
下村健一(元TBSアナウンサー、ジャーナリスト)
長野智子(元フジテレビアナウンサー・キャスター)

などがいます。

大越健介さんは国内各放送局での勤務を経て、本部報道局政治部に配属されると、政治記者として当時の総理大臣・橋本龍太郎の番記者や、自由民主党竹下派経世会担当記者などを政治畑を長く経験。

2005年からワシントン支局特派員となり、2年後の2007年には同支局長に就任します。

ワシントン支局時代には、当時の大統領だったジョージ・W・ブッシュさんの取材や、次の大統領であるバラク・オバマさんの就任式の取材と歴史的なシーンに立ち会っています。

2009年6月に帰国し政治部に復帰すると、2010年3月29日から2015年3月27日まで『ニュースウオッチ9』のキャスターを務め、その客観的かつ的を射たコメントがアンチNHKからも一目置かれる存在に。

「ニュースウォッチ9」降板後は、高校・大学の野球部で活躍していた経歴から「サンデースポーツ2020」のキャスターに就任。

ずっと政治記者をしていた大越健介さんですが、実はスポーツキャスターになるのは昔からの夢だったそうです。

2010年4月発売の『週刊ベースボール』では大越健介さんの野球人生について特集が組まれ、2011年には週刊ベースボールにて隔週連載で『Baseball Watch』という題名のコラムも執筆していたほど。

スポーツキャスターも自ら志願して就任していました。

2020年9月で同番組を降板し、10月からNHKスペシャルのキャスターに就任。

2021年6月30日付けを以てNHKを定年退職すると、2021年秋改編でテレビ朝日「報道ステーション」メインキャスターに起用されることになります。

大越健介の退職は左遷?

人気キャスターだったのにも関わらず大越健介さんは「ニュースウォッチ9」のキャスターをなぜ降板することになったのか?

大越健介さん自身がスポーツキャスターをやりたかったという夢もありますが、一部の週刊誌では政治的な圧力がかかったのでは?と報じています。

大越健介さんが降板となったのは2014年の年末に行われた総選挙の後。

この時、大越健介さんは政治記者だった自身の経歴から、NHKの意にそぐわないコメントをしたため降板となったのでは?と憶測されています。

大越健介の高校や大学など学歴は?

大越健介さんの通っていた学校は次のとおりです。

中学校:新潟市立石山中学校

出身高校:新潟県立新潟高等学校

最終学歴:東京大学文学部国文学科

大越健介さんの通っていた新潟高校は、新潟県で昔から県内NO.1の伝統と実績を持つ進学校・新潟県立新潟高等学校です。

政財界に数多くの著名人を輩出している学校で、広島テレビに努めるアナウンサー・有田優理香さんも新潟高校の出身。

大越健介さんは高校入学後は野球部に所属し、高校2年生の時に強肩の捕手として活躍し、3年生で投手に転向。

甲子園を目指しますが叶わず3年生では春の県大会で準優勝するも、夏の県大会はベスト8で終わり甲子園出場はなりませんでした。

大学進学に当たって、6大学野球でプレーできる可能性がある大学に進学したいと考え、狙いを東大に絞ると「これから勉強すれば伸びるだろう」と猛勉強を開始。

現役合格はなりませんでしたが、御茶ノ水で1年間、予備校に通いながら浪人して無事合格

ちなみに浪人中から東大野球部の練習も見学に行っていたそうです。

東京大学文科三類に進学すると投球フォームを改造して右サイドスローの投手として活躍します。

エースとして東京六大学リーグで通算50試合に登板、8勝27敗、防御率3.52、142奪三振を記録します。
1982年の新人戦では3連投し、東大新人戦最高の準優勝に貢献した。

8勝は東大の投手では5位タイの成績です。(ただ27敗という記録もあり「よくこれだけ負けているのに使い続けてくれた」と当時の監督に感謝の意を表しています。)

1983年には太田誠(駒澤大学野球部監督)により『日米大学野球選手権大会』の大学日本代表メンバーに史上初めて東大から選出されました。

その時の大学日本代表メンバーには

明治大学の広澤克己、竹田光訓、
日本大学の和田豊
法政大学の小早川毅彦(その後NHK野球解説者として共演)

などがいました。

この時のアメリカチームのメンバーにはのちに大リーグのセントルイス・カージナルスなどで活躍したマーク・マグワイアの姿もありました。

大越健介の身長・体重は?

大越健介さんの体重については具体的な数字は公表されていないものの身長はニュース番組に出演する様子から170㎝前後とみられます。

大越健介の家族は?父親・母親・兄弟姉妹は?

新潟県三島郡寺泊町(現・長岡市)に生まれた大越健介さんは3歳の時、新潟県職員をしていた父の転勤で新潟市へ移り住んでいます。

兄弟関係は大越章吾さんという兄がいて、日本歯科大学新潟生命歯学部教授 兼 日本歯科大学医科病院 病院長を務めています。

1983年に新潟大学医学部を卒業。内科研修を経て1986年に新潟大学第三内科大学院に入学。

この間秋田赤十字病院在籍中に工藤進英医師(現昭和大学横浜市北部病院消化器センター長)とともに、日本で初の陥凹型大腸早期がんの内視鏡診断に携わった。

1987年から新潟大学医学部ウイルス学教室。

1988年から国立がんセンター研究所ウイルス学教室(下遠野邦忠教授)のもとでHCVの分子クローニングを行い、加藤宣之研究員らとともに初めて日本型HCV遺伝子の分子クローニングの成果を発表。

その後1994年から米国赤十字研究所(Gilbert Jay教授)のもとで肝炎のマウスモデルの研究を行った。

その後新潟大学第三内科講師、昭和大学横浜市北部病院准教授を経て、日本歯科大学医科病院・病院長に。

今は睡眠時無呼吸症患者を対象として低酸素血症とNASH進行メカ二スム、歯髄幹細胞を肝細胞に分化させ、劇症肝炎などの再生医療に応用するような研究に携わっている。

引用元:リサーチマップ(https://researchmap.jp/teradomari/)

大越健介は息子と八王子?

大越健介さんは3人の息子がいます。

3人の息子たち全員が野球部で、その中でも長男・大越遼介さんは東京の高校野球の名門・日大三高に所属し、エースとして活躍。

大越健介さんが果たせなかった甲子園出場を経験しています。

2005年に行われた夏の全国高校野球大会ではベスト8進出に貢献しています。

大越遼介さんは2012年に引退後、デザイン学校でグラフィックデザインを学び、グラフィックデザイナーとして活動しているとのこと。

東京都小金井市の市制施行60周年シンボルマークを手がけたそうです。

ちなみに、2014年に長男に娘が誕生しておじいちゃんとなった大越健介三ですが、実は30代から八王子郊外に移住しています。

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