収容所(ラーゲリ)から来た遺書の原文・全文は?手紙の内容ネタバレ

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収容所(ラーゲリ)から来た遺書は戦後のシベリア抑留中に亡くなった元満鉄職員の山本幡男による実在の遺書をモチーフとしています。

山本幡男さんはシベリア収容所(ラーゲリ)での過酷な生活の中でも帰国の希望を失うことなく、句会を開き、仲間たちを励まし続けていました。

そんな山本幡男さんの恩に報いるべく、家族への遺書を託された仲間の手によって、敗戦から12年が経過したころから一字一句遺族に伝えられ始めました。

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収容所(ラーゲリ)から来た遺書の原文・全文は?手紙の内容ネタバレ

「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」の山本幡男による実在の遺書は「本文」と書かれた一通、「お母さま!」「妻よ!」「子供等へ」への三通の合計4通構成となっています。

「本文」約700文字、「お母さまへ」約1000文字、「妻へ」700文字、「子供等へ」約1100文字となっていて、もう一通はシベリア収容所(ラーゲリ)の仲間たちに向けた遺書が綴られています。

引用:http://www.br4.fiberbit.net/ken-yama/www.br4.fiberbit.net_ken-yama/yi_shu.html

「本文」収容所(ラーゲリ)から来た遺書の原文・全文

 山本幡男の遺家族のもの達よ!
 到頭ハバロフスクの病院の一隅で遺書を書かねばならなくなった。鉛筆をとるのも涙。どうしてまともにこの書が綴れよう!

 病床生活永くして一年三ヵ月にわたり、衰弱甚だしきを以て、意の如く筆も運ばず、思ったことの何分の一も書き表せないのが何よりも殘念。

 皆さんに對する私のこの限り無い、無量の愛情とあはれみのこころを一體どうして筆で現すことができようか。

唯、無言の涙、抱擁、握手によって辛うじてその一部を表し得るに過ぎないであらうが、ここは日本を去る數千粁、どうしてそれが出來ようぞ。

 唯一つ、何よりもあなた方にお願ひしたいのは、私の死によって決して悲觀することなく、落膽することなく意氣ますます旺盛に振起して、

  病氣せざるやう
  怪我をしないやう

 細心の注意を健康に拂って、丈夫に生き永らへて貰ひたい、といふことである。

 健康第一。私は身を以てしみじみとこの事を感じました。決して無理をしてはいけない。少しでもおかしいと思ったら、身體の具合を豫め病氣を防止すること。

歸國して皆さんを幾分でも幸福にさせたいと、そればかりを念願に十年の歳月を辛抱して來たが、それが實現できないのは殘念、無念。この上は唯皆さんの健康と幸福とをお祈りしながら寂光淨土へ行くより他に仕方が無い。私の希みは唯一つ、子供たちが立派に成長して、社會のためにもなり、文化の進展にも役立ち、そして一家の生活を少しつつでも幸福にしてゆくといふこと。どうか皆さん幸福に暮して下さい。これこそが、私の最大の重要な遺言です。

「お母さまへ」収容所(ラーゲリ)から来た遺書の原文・全文

お母さま!
 何といふ私は親不孝だったでせう。あれだけ小さい時からお母さんに(やはりお母さんと呼びませう)御苦勞をかけながら、お母さんの期待には何一つ副ふことなく、一家の生活がかつかつやっとといふ所で何時もお母さんに心配をかけ、親不孝を重ねて來たこの私は何といふ罰當りでせう。お母さんどうぞ存分この私を怒って叱り飛ばして下さい。

 この度の私の重病も、私はむしろ親不孝の罰だ、業の報いだとさへ思ってゐる位です。誰も恨むべきすべもありません。

皆自分の罪を自分で償ふだけなんです。だから、お母さん、私はここで死ぬることをさほど悲しくは思ひませぬ。

唯一つ、晩年のお母さんにせめてわづかでも本當に親孝行したいと思ひ、樂しんでゐた私の希望が空しくなったことを殘念、無念に思ってゐるだけです。

 お母さんがどれだけこの私を待って、待ってゐなさることか。來る手紙毎にそのやさしいお心もちがひしひしと胸に沁みこんで、居ても立ってもをれないほどの悲しみを胸に覺えたものです。

唯の一目でもいいから、お母さんに會って死にたかった。お母さんと一言、二言交すだけで、どれだけ私は滿足したことでせう。

十年の永い月日を私と會ふ日を唯一の樂しみに生きてこられたお母さんに、先立って逝く私の不孝を、どうかお母さん許して下さい。

 お父さんと弟の勉と、妹のキサ子と四人で、あの世に會ふ日が來れば、お母さんの事を話し合ひ、お母さんが安らかな成佛を遂げられる日を共に待つことに致しませう。

あの世では、お母さんにきっと樂に生きていただかうと思ってゐます。

 しかし、お母さん、私が亡くなっても決して悲觀せず、決して涙に溺れることなく、雄々しく生きて下さい。

だって貴女は別れて以來十年間あらゆる辛苦と鬪って來たのです。その勇氣を以て、どうか孫たちの成長のためにもう十年間鬪っていただきたいのです。

その後は少し樂にもなりませう。私がこの幡男が本當に可愛いと思はれるなら、どうか私の子供等の、即ちお母さんの孫たちの成人のために倍舊の努力を以て生きて戴きたいのです。

 やさしい、不運な、かあいさうなお母さん、さやうなら。どれだけお母さんに逢ひたかったことか! しかし、感傷はもう禁物。

強く強く、あくまでも強く、モジミに協力して子供等を(貴女の孫たちを)成長させて下さい。お願いします。

「妻へ」収容所(ラーゲリ)から来た遺書の原文・全文

妻よ! よくやった。實によくやった。夢にだに思はなかったくらゐ、君はこの十年間よく辛抱して鬪ひつづけて來た。

これはもう決して過言ではなく、殊勳甲だ。超人的な仕事だ。失禮だが、とてもこんなにまではできまいと思ってゐた私が恥しくなって來た。

四人の子供と母とを養って來ただけでなく、大學、高等學校、中學校、小學校とそれぞれ教育していったその辛苦。

郷里から松江、松江から大宮へと、孟母の三遷の如く、お前はよくまあ轉々と生活再建のために、子供の教育のために運命を切り拓いてきたものだ!

 その君を幸福にしてやるために生れ代ったやうな立派な夫になるために、歸國の日をどれだけ私は待ち焦れてきたことか!

 一目でいい、君に會って胸一ぱいの感謝の言葉をかけたかった! 萬葉の烈女にもまさる君の奮鬪を讚へたかった! ああ、しかし到頭君と死に別れてゆくべき日が來た。

 私は、だが、君の意志と力とに信賴して、死後の家庭のことは、さほどまでに心配してはゐない。今まで通り子供等をよく育てて呉れといふ一語に盡きる。

子供等は私の身代りだ。子供等は親よりもどん/\偉くなってゆくだらう。

 君は不幸つづきだったが、之からは幸福な日も來るだらう。子供等を樂しみに、辛抱してはたらいて呉れ。

知人、友人等は決して一家のことを見捨てないであらう。君と子供等の將來の幸福を思へば、私は滿足して死ねる。雄々しく生きて、生き拔いて、私の素志を生かしてくれ。

 二十二ヵ年にわたる夫婦生活ではあったが、私は君の愛情と刻苦奮鬪と意志のたくましさ、旺盛なる生活力に感激し、感謝し、信賴し、實によき妻をもったといふ喜びに溢れてゐる。さよなら。

「子供等へ」収容所(ラーゲリ)から来た遺書の原文・全文

子供等へ。

山本顯一 厚生 誠之 はるか

君たちに會へずに死ぬることが一番悲しい。成長した姿が、寫眞ではなく、實際に一目見たかった。

お母さんよりも、モジミよりも、私の夢には君たちの姿が多く現れた。それも幼かった日の姿で……あゝ何といふ可愛い子供の時代!

 君たちを幸福にするために、一日も早く歸國したいと思ってゐたが、倒頭永久に別れねばならなくなったことは、何といっても殘念だ。第一、君たちに對してまことに濟まないと思ふ。

 さて、君たちは、これから人生の荒波と戰って生きてゆくのだが、君たちはどんな辛い日があらうとも光輝ある日本民族の一人として生まれたことを感謝することを忘れてはならぬ。

日本民族こそは將來、東洋、西洋の文化を融合する唯一の媒介者、東洋のすぐれたる道義の文化――人道主義を以て世界文化再建に寄與し得る唯一の民族である。この歴史的使命を片時も忘れてはならぬ。

 また君達はどんなに辛い日があらうとも、人類の文化創造に參加し、人類の幸福を増進するといふ進歩的な思想を忘れてはならぬ。

偏頗で矯激な思想に迷ってはならぬ。どこまでも眞面目な、人道に基く自由、博愛、幸福、正義の道を進んで呉れ。

 最後に勝つものは道義であり、誠であり、まごころである。友達と交際する場合にも、社會的に活動する場合にも、生活のあらゆる部面において、この言葉を忘れてはならぬぞ。

 人の世話にはつとめてならず、人に對する世話は進んでせよ。但し、無意味な虚榮はよせ。人間は結局自分ひとりの他に賴るべきものが無い――という覺悟で、強い能力のある人間になれ。

自分を鍛えて行け! 精神も肉體も鍛へて、健康にすることだ。強くなれ。自覺ある立派な人間になれ。

 四人の子供達よ。
 お互いに團結し、協力せよ!

 特に顯一は、一番才能に惠まれているから、長男ではあるし、三人の弟妹をよく指導してくれよ。

 自分の才能にうぬぼれてはいけない。學と眞理の道においては、徹頭徹尾敬虔でなくてはならぬ。立身出世など、どうでもいい。

自分で自分を偉くすれば、君らが博士や大臣を求めなくても、博士や大臣の方が君等の方へやってくることは必定だ。

要は自己完成! しかし浮世の生活のためには、致方なしで或る程度打算や功利もやむを得ない。度を越してはいかぬぞ。最後に勝つものは道義だぞ。

 君らが立派に成長してゆくであらうことを思ひつつ、私は滿足して死んでゆく。どうか健康に幸福に生きてくれ。長生きしておくれ。

最後の自作の戒名
久遠院智光日慈信士

一九五四年七月二日           山本幡男

収容所(ラーゲリ)の仲間に向けて。収容所(ラーゲリ)から来た遺書の原文・全文

敬愛する佐藤健雄先輩はじめ、この収容所(ラーゲリ)において親しき交わりを得たる良き人々よ! この遺書はひま有る毎に暗誦、復誦されて、一字、一句も漏らさざるよう貴下の心肝に銘じ給え。

心ある人々よ、必ずこの遺書を私の家庭に伝え給え。7月2日。

死ノウト思ツテモ死ネナイ スベテハ天命デス 遺書ハ万一ノ場合ノコト
小生勿論生キントシテ闘争シテヰル 希ミハ有ルノデスカラ決シテ100%悲観セズヤツテユキマセウ(8月15日)

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