宝田明が死去|若い頃は?

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宝田明さんは東宝ニューフェイスとして芸能活動を始めると200本を越える映画に出演。

2022年3月14日に亡くなったことが発表されました。87歳でした。ご冥福をお祈り申し上げます

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宝田明が死去|若い頃は?

宝田明さんは日本占領下の朝鮮半島で生まれ、中国のハルビンにしばらく住んでいました。

宝田明さんの父は南満洲鉄道でエンジニアとして働いていました。祖父は朝鮮総督府で海軍武官

戦後、祖父は中国のハルビンに留まり、北京語と英語を話すことができました。

宝田明さんは1948年に家族と一緒に連合国占領下の日本に移住しました。本籍地の新潟・村上市に引き揚げます。

ただ本土引き上げの最中、旧ソ連軍による侵攻でソ連兵に右脇腹を狙撃され、麻酔もせずに銃弾を取り除いて一命を取り留めるなど壮絶な幼少期を過ごしています。

1953年4月に東京都立豊島高等学校卒業後に東宝ニューフェイス第6期生として芸能活動をスタート。

東宝ニューフェイスは第1回の三船敏郎や久我美子を始め[1]、多くのスター俳優を輩出したプロジェクト。宝田明さんの同期には佐原健二・河内桃子・藤木悠・岡田眞澄などがいます。

福沢諭吉の伝記映画『かくて自由の鐘は鳴る』でデビューすると、1954年に公開された特撮映画『ゴジラ』で初主演を務めると、カリスマ的な美貌と性格で東宝で人気の俳優になりました。

その後も「モスラ対ゴジラ」(1964)、「怪獣大戦争」(1965)などゴジラシリーズに出演を続け、2004年の「ゴジラ:ファイナルウォーズ」に再び登場。

ミュージカル「アニーよ銃をとれ」「マイ・フェア・レディ」などの舞台でも活躍。東宝は、実は1970年にブロードウェイの作曲家で作詞家のハロルド・ロームと一緒に風と共に去りぬのミュージカル作品を宝田明さん主演で準備していたものの、撮影中にブルドーザーから転落した事故で負傷し、この舞台作品への参加ができなくなっていました。

1980年には日本初のミュージカル俳優養成学校「宝田芸術学園」を開校。後進の育成にも尽力しています。

海外では、2010年のファンコンベンション G-FestXVII、2012年7月のG-FestXIXにゲスト出演。

1964年に芸術祭奨励賞、1972年にゴールデンアロー賞を受賞。これまで出演した映画は200本を越える

プライベートでは江利チエミさんとは共演者で酒飲み友達。ミュージカル「アニーよ銃をとれ」などに共に出演しています。

東宝ニューフェイス1期の三船敏郎さんとは同じ満州育ちで親しかったそうです。

「僕らと森繁久弥さんの引き揚げ組の3人が撮影所にそろうとよく中国語で女優の悪口を言った」と生前に話しています。

宝田明さんは死去3日前までW主演していた映画「世の中にたえて桜のなかりせば」の取材も精力的に受けていました。

■宝田明プロフィール
・本名: 寶田 明(たからだ あきら)

・生年月日:1934年4月29日

・年齢:87歳(2022年3月現在)

・出身地: 日本統治下朝鮮・咸鏡北道清津

・血液型:O型

・身長:183cm

・出身高校:東京都立豊島高等学校

・事務所:株式会社フジプランニング

・家族構成:妻、元妻(児島明子)、長女(児島未散)、長男、次男

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