上原淳のwikiプロフィールを調査!大学や経歴は?気になる年収は…

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上原淳さんはお医者さんという高度な技術と知識・経験が問われる職業につきながらプロのレースドライバーとして活躍するという二足の草鞋を持つ異色の経歴の持ち主。

しかも本業(?)の医者の方では救命医療に特化したクリニックを開設し、夜間でも通常診療を行うなど医療業界に新風を巻き起こしていることでも知られています。

そんな上原淳の気になる大学やプロフィールを調査!気になる年収も判明しているのでぜひ最後まで楽しんでいただければと思います!

上原淳wikiプロフィール

名前:上原淳(うえはらじゅん)
生年月日:1963年9月4日(52歳)
出身地:東京都中央区日本橋
血液型:О型
小学校:市川市立宮田小学校
中学校:私立開成中学校
高校:私立開成高校
大学:産業医科大学(最終学歴)

上原淳さんは一人っ子で父親が高齢だったため、幼少時は千葉県市川市で本屋を営む「育ての親」に預けられていたようで、
ほぼ毎日、店番や配達を手伝っていたそうです。

入学した中学は受験して入ったこともあり同級生たちは中学1年、2年ですでに自分の将来の夢について語っていたそうで、
何の考えもなかった上原淳さんはとても焦りを覚えたそうです。

将来は何をしたいのか?を悶々と考える中、実家が経営する本屋で店番をしながら様々な本や漫画を読み、次第に医師になる決意を固めていき父親の反対を押し切って医学部を受験。

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上原淳の経歴(医者)

産業医科大学病院を卒業後、研修医として門司労災病院(現・九州労災病院門司センター)に配属され麻酔医の医局に入り、のちに九州厚生年金病院(現・JCHO九州病院)に移り気になっていた救急分野に進みます。
上原淳さんにとって医者として本懐を見直す契機となったようで、その後もいくつかの病院を渡り歩いた後に、埼玉県川越市に全国初の救急に特化したクリニック「川越救急クリニック」を開業しています。

■上原淳の職歴

門司労災病院(現・九州労災病院門司センター)
神鋼メタル産業株式会社の産業医
九州厚生年金病院(現・JCHO九州病院)
福岡市立こども病院の新生児集中治療室
九州厚生年金病院で救急担当医
埼玉医科大学総合医療センター高度救命救急センター
川越救急クリニック
NPO法人日本救急クリニック協会理事長

川越救急クリニック設立にあたっては保健所から開業許可が下りない、医師会からの入会拒否される、埼玉県からの救急告示を拒否されるなど、逆風に逆風の中で何とか開業を実現。

現在は、埼玉県の高度救命救急センターの負担を減らすために診察時間を22時まで延ばして夜間であっても日中と同じく患者を受け入れています。

■川越救急クリニック
住所:〒350-0001 埼玉県川越市古谷上1116-1
電話番号:049-293-5877
診察日:月曜~日曜(定休日なし)
診察時間:16:00~22:00

上原 淳 / coFFee doctors

上原淳の経歴(ラリードライバー)

上原淳さんは医師としてではなくプロのラリードライバーという側面も持っています。

大学に通うには車がないと非常に不便だったことから従兄弟からオンボロ中古車に譲り受けたもののあちこちすぐに壊れてついにはクラッチが切れなくなるほど。

車検にはもはや通らないようなレベルの故障を抱えていた車でも、修理するお金もなかったので、上原淳さんはギアをローにしてセルモーターを入れてエンジンをかけるなど試行錯誤を重ね、
ガンガンと異音をとどろかせながら車を走らせエンジンの回転数を合わせながらなんとかクラッチを入れていたそうです。

そんな廃車寸前の欠陥車に乗っているうちにいつの間にか運転技術が上達し、大学5年になって時間に多少の余裕が生まれたときに仲間と共に自動車ラリーに挑戦。

試しに九州の大会に出場するといきなり優勝という快挙を達成してしまい、1年目に九州ジュニアチャンピオン2年目に九州チャンピオンを獲得すると、
スポンサーもつくようになり大学卒業と共に九州地区を拠点として全日本選手権にも出場するプロのラリードライバー活動も並行して続けるようになります。

ただ医者になって初めて上司になった先輩医師には『医者なら医者のみを追求すること』と医師としてのプロフェッショナル性を重視する人で、
上原淳さんラリードライバーと二足の草鞋を履くことに難色を示していたことから、人一倍勉強をして、麻酔科医としての技術を磨いたそうです。

上原淳さんさんはラリードライバーとしての活動を続けたからこそ、医者としての仕事にも全力で取り組むことができて、
救急医としても新たな道を切り開くことができたと話しています。

2001年には医者の仕事の都合で九州を離れ現在埼玉に拠点を移していますがラリードライバーももちろん続けています。

全日本ラリーは年10回、10ヶ所の会場で開催され、年間の総合順位を競いあうものの、当然すべての大会に出場できるわけではなく、
医者になってからは最低でも毎年2~3回は出場するようにスケジュールを超お政

2018年には全日本3位、2019年は総合2位の成績を残しています。

上原淳のツイッターやインスタグラム

上原淳さんはツイッターやインスタグラムといったSNSアカウントは開設していないようです。

上原淳の高校や大学など学歴は?

上原淳さんの通っていた高校は全国屈指の進学校で知られる「開成高校」です。

開成高校といえば毎年、数多くの東大合格者を生み出していることで知られているので、上原淳さんが産業医科大学に合格したのは当然の結果と言えるのかもしれませんね。

上原淳の結婚した嫁は?子供はいる?

調査中

上原淳のfacebookを見る限り、結婚している様子は見られません。ただ家族・恋人関係の欄に「複雑な関係」とあることから、もしかしたら離婚してバツイチなのかもしれません。

上原淳の年収は?

上原淳さんが埼玉医科大学高度救命救急センターへ入局したのは救急を一から学び直すことが目的だったそうですが、わずか4年で医局長になるほど技術や経験、知識などは高く評価されていたようですね。

医局長ともなれば年収はどんなに少なくとも1000万円以上、2000万円クラスだったとみてよいんじゃないでしょうか。

ただ、そんな経歴を捨てて川越救急クリニックを開業した上原淳さんは九州で長く暮らしていたことから、上原淳さんはソフトバンクホークスの大ファンで、
ホークスが日本一に輝いた時にはインフルエンザワクチンをセール。

自由診療の分は院長の裁量で楽しくやろうというのがコンセプト出そうですが、クリニックの展望として心臓カテーテル室の増設やベッド数の増床、
他に循環器の救急を新設するといった計画も持っているようで、正直なところ病院の資金繰りは常に日の車・自転車操業のようです。

川越救急クリニック開業時には5億円とか6億円といわれる借金を抱えたようで、
現在も麻酔医として別の病院でアルバイトをする生活をしているほど。

50代の麻酔医になると平均年収は1000万円~2300万円くらいが相場のようですが、月収は20万ぐらいなんだとか。

上原淳の本

日本初の個人救急病院院長が診断! 救急で死ぬ人、命拾いする人

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