厄年いつからいつまで?いつ終わる?

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厄年はいつからいつまで?

1年のいつ(何月何日)のタイミングで厄年は終わるのでしょうか?

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厄年いつからいつまで?いつ終わる?

厄年はいつからいつまでかというと、数え年で計算するので、節分も誕生日も関係ありません。元日に切り替わります。

数え年は年始に歳をとるように数えますので、

年始~誕生日までは「満年齢+2歳=数え年」、
誕生日~年末までは「満年齢+1歳=数え年」、

となります。

昨年「後厄」だったのなら、新年の1月1日からは何の厄もありません。

一般的には、

前厄…数え41歳(満40歳になる年)の年始?年末
本厄…数え42歳(満41歳になる年)の年始?年末
後厄…数え43歳(満42歳になる年)の年始?年末

です。

ただし、年始・年末をいつとするかの解釈によって、神社仏閣によって、

(1) 新暦の元日(年始)から大晦日(年末)の1年間とするケース
(2) 立春(年始)から節分(年末)の1年間とするケース

のどちらかになりますが、節分から始まって節分で終わるということはありません。

正しくは《始まりは2月4日頃の立春、終わりは2月3日頃の節分》で、《立春から始まって節分で終わる》のが(2)のケースです。

まとめ:厄年いつからいつまで?いつ終わる?

男は42歳=死に、女は33歳=散々の語呂合わせと言われてます

その年令に12年周期を基本にして男は25歳、42歳、61歳、女は19歳、33歳、37歳、61歳を厄年とします

世界中に厄年の概念はあります
不吉な年、不運に見舞われやすい年という意味です
しかし、国や民族・地方によってテンでバラバラです

中国・韓国では、干支の年が厄年、日本と真逆です。
日本では年男・年女といい、一番運気のいい年です

エジプトなどイスラム諸国では、4年に1度厄年

欧州は国ごとにバラバラ。
イギリスやフランスでは地方ごとに厄年が違います

一方、インドなどヒンズー教の国に厄年の概念はありません

昔は「数え年」という方法で年齢を決めてました
生まれた瞬間、1歳です
正月に年を取るので、正月がくると2歳になります
以後毎年、正月に1つ年を取ります。
誕生日ではありません

この方法だと、11月生まれの人は、0歳2ヶ月でも、正月が来ると2歳になります。だから現代の年齢の数え方とは、最大2歳異なるわけです

節分までを前年、立春から新年とするのは「節月」といいます。

旧暦は太陰太陽暦というように太陰暦の要素と太陽暦の要素から成り立ち、月の満ち欠け(朔望)にもとづいて新月(朔)を1日(朔日)として1年を区切るのが太陰暦の要素である「暦月」(いわゆる旧暦の日付)、太陽の位置にもとづいて二十四節気で1年を区切るのが太陽暦の要素である「節月」です。
暦注では、六曜や二十七宿は「暦月」にもとづいて旧暦1月1日(旧正月)を1年の始まりとし、九星は「節月」にもとづいて立春を1年の始まりとします。

暦注や占いは九星(一白水星・二黒土星・三碧木星・四緑木星・五黄土星・六白金星・七赤金星・八白土星・九紫火星)同様「節月」にもとづくものが多いため、それらの暦注や占いでは節分までを前年、立春から新年とすることが多いです。
しかし、数え年は「暦月」にもとづくものなので、数え年にもとづく厄年も「暦月」にもとづきます。

旧暦では立春±15日頃に元日がくるので、大晦日≒節分、元日≒立春として、その時季に各種行事が行なわれました。
その名残から、現在でも節分・立春の頃に厄払いの行事を行なったりしますが、だからといって厄年の期間が変わるわけではありません。

参考:球歴について|厄年いつからいつまで?いつ終わる?

日本の旧暦は太陰太陽暦といって、太陰暦の要素と太陽暦の要素から成り立ちます。

太陰暦というのは月の満ち欠け(朔望)の周期(約29.53日)にもとづいているため、1ヶ月は30日(大の月)か29日(小の月)、1年は約354.36日(約29.53日×12ヶ月)となります。

春夏秋冬の季節は太陽の位置にもとづいて約365.24日周期で移り変わりますから、純粋な太陰暦では毎年約11日づつ暦の日付と季節の対応がズレていきます。

純粋な太陰暦では17年もたつと約185日も季節との対応がズレて春と秋・夏と冬が逆転してしまいますから、これでは暦の日付にもとづいて農作業などはできませんね。

そこで約3年に1回(19年に7回)閏月を置いて暦の日付と季節のズレを調整したのが太陰太陽暦です。

また、農作業などには春夏秋冬の季節の変化に合っている約365.24日周期の目盛りが必要です。

この太陽の位置にもとづいた約365.24日周期の目盛りが二十四節気で、これが旧暦(太陰太陽暦)の太陽暦の要素です。

旧暦の何月何日という日付は、太陰暦の要素である月の満ち欠け(朔望)と太陽暦の要素である二十四節気によって決まります。

ちなみに、純粋な太陰暦にはイスラム暦(ヒジュラ暦)というものがあります。

例えばイスラム暦1432年9月(Ramadan)1日はグレゴリオ暦2011年8月1日ですが、
イスラム暦1415年9月(Ramadan)1日はグレゴリオ暦1995年2月1日、
イスラム暦1398年9月(Ramadan)1日はグレゴリオ暦1978年8月5日、
というふうに17年で夏と冬が逆転し、
イスラム暦の34年とグレゴリオ暦の33年がほぼ同じ日数になっています。

一方、日本や中国の旧暦では19年に7回の閏月を置いて暦の日付と季節のズレを調整しているため、旧暦の19年とグレゴリオ暦の19年はほぼ同じ日数になります。
なぜ閏月が19年に7回かというと、月の満ち欠け(朔望)235回分(12×19+7)の長さと太陽の位置による19年の長さがほぼ同じになるからです。
朔望月…29.530589日×235月=6939.688415日
太陽年…365.242194日×19年=6939.601686日
これはメトン周期(ギリシア)や章法(中国)と呼ばれ、紀元前5世紀には知られていたようです。


二十四節気は節気と中気に分けられます。

節気
立春[1月節]…新暦2月4日頃
啓蟄[2月節]…新暦3月5日頃
清明[3月節]…新暦4月5日頃
立夏[4月節]…新暦5月5日頃
芒種[5月節]…新暦6月6日頃
小暑[6月節]…新暦7月7日頃
立秋[7月節]…新暦8月8日頃
白露[8月節]…新暦9月8日頃
寒露[9月節]…新暦10月8日頃
立冬[10月節]…新暦11月7日頃
大雪[11月節]…新暦12月7日頃
小寒[12月節]…新暦1月5日頃
中気
雨水[1月中]…新暦2月19日頃
春分[2月中]…新暦3月21日頃
穀雨[3月中]…新暦4月20日頃
小満[4月中]…新暦5月21日頃
夏至[5月中]…新暦6月21日頃
大暑[6月中]…新暦7月23日頃
処暑[7月中]…新暦8月23日頃
秋分[8月中]…新暦9月23日頃
霜降[9月中]…新暦10月24日頃
小雪[10月中]…新暦11月22日頃
冬至[11月中]…新暦12月21日頃
大寒[12月中]…新暦1月21日頃

二十四節気の名称ですが、秦の始皇帝8年(紀元前239年)に呂不韋が編纂させた『呂氏春秋』では夏至は「日長至」、冬至は「日短至」、春分・秋分は「日夜分」と呼ばれていたようで、現在とは異なります。

現在の二十四節気の名称は、前漢の武帝の頃の淮南王劉安(紀元前179年?紀元前122年)が編纂させた『淮南子』で出そろっているということですから、これは秦から前漢にかけての紀元前3世紀後半?紀元前2世紀半ばに出来上がったと考えられます。

秦の首都は咸陽(現在の陝西省咸陽市)、前漢の首都は長安(現在の陝西省西安市)ですから、二十四節気の名称は現在の中国陝西省あたりの気候にもとづいて作られたようです。

ただし、二至二分(冬至・春分・夏至・秋分)と四立(立春・立夏・立秋・立冬)は気候ではなく昼夜の長さにもとづいたもので、もともとは冬至を基準に翌年の冬至までの約365日を日数で等分して、冬至・春分・夏至・秋分を各季節の中心とし、それぞれの中間点を立春・立夏・立秋・立冬として各季節の始まりとみなしただけです。

日本では中国で作られた二十四節気の名称をそのまま使っているのでもともと日本の気候にぴったり合っているわけではないのはもちろんのこと、中国でも二至二分と四立については気温の変化から感じられる季節感と合っているかはわかりません。

■二十四節気の決め方
現在では春分を基点に太陽黄経360度を15度づつ24等分して二十四節気を決めていて、これを定気法(空間分割法)といいます。
定気法は日本では天保15年1月1日(西暦1844年2月18日)から採用された天保暦から採り入れられました。
それ以前は冬至を基点に翌年の冬至までの1太陽年約365.24日を約15.22日づつ日数で24等分して二十四節気を決めていて、これを平気法(時間分割法)といいます。
ちなみに現在の二十四節気は、国立天文台がその前年の2月の官報に「暦要項(れきようこう)」を掲載することで発表され、これによって国民の祝日のうちの春分の日と秋分の日の日付が正式決定となります。

■旧暦の日付の決め方
いわゆる旧暦の日付(暦月)は、二十四節気のうちの中気[○月中]と月の満ち欠け(朔望)によって決まります。

暦月
雨水1月中の日の直前の新月(朔)の日…1月1日
春分2月中の日の直前の新月(朔)の日…2月1日
穀雨3月中の日の直前の新月(朔)の日…3月1日
小満4月中の日の直前の新月(朔)の日…4月1日
夏至5月中の日の直前の新月(朔)の日…5月1日
大暑6月中の日の直前の新月(朔)の日…6月1日
処暑7月中の日の直前の新月(朔)の日…7月1日
秋分8月中の日の直前の新月(朔)の日…8月1日
霜降9月中の日の直前の新月(朔)の日…9月1日
小雪10月中の日の直前の新月(朔)の日…10月1日
冬至11月中の日の直前の新月(朔)の日…11月1日
大寒12月中の日の直前の新月(朔)の日…12月1日

このように旧暦では大寒は12月、雨水は1月と決まっていますので、旧暦の1月1日(雨水の日の直前の朔の日)は、新暦の1月22日頃?2月19日頃、立春±15日前後になります。
したがって、立春は旧暦では12月15日頃?1月15日頃のあいだで毎年日付が変わります。

○ポイント
約3年に1回(19年に7回)の閏月が置かれるタイミングも、中気[○月中]と新月(朔)によって決まります。
中気と中気の間隔はざっくりいうと365.24÷12で約30.43日です(定気法では季節によって多少のズレがありますが、そこは省略します)。
月の満ち欠け(朔望)が約29.53日ですから、中気と中気のあいだに新月(朔)が2回きて、中気を含まない朔望月ができることがあります。
この中気を含まない朔望月が閏月となります。
例えば2009年の場合、夏至[5月中]と大暑[6月中]のあいだに新月(朔)が2回あったので閏5月ができました。
2009年5月24日…朔……旧暦5月1日…夏至[5月中]の直前の朔の日
2009年6月21日…夏至…旧暦5月29日
2009年6月23日…朔……旧暦閏5月1日…閏月
2009年7月22日…朔……旧暦6月1日…大暑[6月中]の直前の朔の日
2009年7月23日…大暑…旧暦6月2日
閏月は前の月に閏をつけて閏○月といいます。

○注意
2012年は、小満[4月中]の日の新暦5月21日が新月(朔)の日でもあるので旧暦4月1日となり、穀雨[3月中]の日の翌日の新暦4月21日の新月(朔)の日からが旧暦閏3月となります。

新暦3月22日…旧暦3月1日……新月(朔)
新暦4月20日…旧暦3月30日 …穀雨[3月中]
新暦4月21日…旧暦閏3月1日…新月(朔)
新暦5月21日…旧暦4月1日……小満[4月中]・新月(朔)
新暦6月20日…旧暦5月1日……新月(朔)
新暦6月21日…旧暦5月2日……夏至[5月中]

ただし、日本と中国の時差の関係で小満[4月中]の瞬間の時刻が、

日本時間…新暦5月21日0時16分
中国時間…新暦5月20日23時16分

となるため、日本の旧暦では閏3月が入りますが、中国の旧暦では閏4月が入ります。

また、新暦6月の新月(朔)の瞬間の時刻が、

日本時間…新暦6月20日0時02分
中国時間…新暦6月19日23時02分

となるため、日本の旧暦と中国の旧暦では旧暦5月の日付が1日ずれます。

【中国】
新暦3月22日…旧暦3月1日……新月(朔)
新暦4月20日…旧暦3月30日 …穀雨[3月中]
新暦4月21日…旧暦4月1日……新月(朔)
新暦5月20日…旧暦4月30日 …小満[4月中]
新暦5月21日…旧暦閏4月1日…新月(朔)
新暦6月19日…旧暦5月1日……新月(朔)
新暦6月21日…旧暦5月3日……夏至[5月中]

このように日本と中国では時差の関係で旧暦の日付が1日あるいは1ヶ月ずれることがあります。

一方、旧暦にはもう1つの年月の区切り方があります。
月の満ち欠け(朔望)に関係なく、二十四節気のうちの節気[○月節]にもとづいて、立春を新年の始まり=1月1日とする区切り方で、これを節月といいます。

節月
立春1月節の日…1月の1日目
啓蟄2月節の日…2月の1日目
清明3月節の日…3月の1日目
立夏4月節の日…4月の1日目
芒種5月節の日…5月の1日目
小暑6月節の日…6月の1日目
立秋7月節の日…7月の1日目
白露8月節の日…8月の1日目
寒露9月節の日…9月の1日目
立冬10月節の日…10月の1日目
大雪11月節の日…11月の1日目
小寒12月節の日…12月の1日目

なお、節月においては、立春=1月の1日目ですから、その前日の節分は12月の最終日にあたります。

占いなどで節分までは前年扱いという話をきいたことがあると思いますが、これは節月にもとづくものです。

■2つの年越しと4つの節分と土用
前述のように、旧暦には月の満ち欠け(朔望)にもとづいて新月(朔)の日を毎月1日(朔日=ついたち)とする区切り方=暦月と節気[○月節]の日を毎月の1日目とする区切り方=節月の2種類の年月の区切り方があります。
このため、年越しにも、大晦日から元日にかけての暦月の年越しと節分から立春にかけての節月の年越しという2つの年越しがありました。
年末という意味では大晦日と節分が対応し、年始という意味では元日と立春が対応しています。
大晦日と節分はどちらも年末という意味があったため、かつては大晦日に行なわれていた年末行事が節分に行なわれるようになったり、節分に行なわれていた年末行事が大晦日に行なわれるようになった例もあるようです。
例えば節分といえば豆まきが有名ですが、これはもともと大晦日に行なわれていた追儺という行事がもとになっているといわれています。
また、大晦日といえば年越し蕎麦が有名ですが、江戸時代は節分と晦日にそれぞれ蕎麦を食べる習慣があって当時は節分に食べる蕎麦のほうを年越し蕎麦と呼んでいたという話もあります。
現在でも地方によっては節分に年越し蕎麦を食べるところがあるようです。

また、初夢も現代では元日の夜?正月2日の朝にかけての夢とするのが一般的ですが、かつては元日と同じく年始という意味をもつ立春の朝にみる夢を初夢とよんでいた例が『山家集』(1180?1185年頃)や『増山の井』(1663年)などの文献にみられます。

節分というと現在では立春の前日が有名ですが、もともとは立春・立夏・立秋・立冬それぞれの前日を節分といいます。
また、立春・立夏・立秋・立冬それぞれの前日までの約18日間を土用といいます。
つまり各季節の最後の約18日間が土用で、その最終日が節分です。

【春】…立春~春の節分
立春………2/4頃
春の土用…4/17頃?5/4頃
春の節分…5/4頃

【夏】…立夏~夏の節分

立夏………5/5頃
夏の土用…7/19頃?8/6頃
夏の節分…8/6頃

【秋】…立秋~秋の節分

立秋………8/7頃
秋の土用…10/20頃?11/6頃
秋の節分…11/6頃

【冬】…立冬~冬の節分
立冬………11/7頃
冬の土用…1/17頃?2/3頃
冬の節分…2/3頃
節分というと立春の前日の冬の節分が有名なのは、この日は節月の年末にあたることから新しい年を迎えるためにいろいろな行事があるからですね。
土用というと立秋の前の夏の土用が有名なのは、何と言っても土用の丑の日の鰻のおかげでしょうか?(もともとは鰻だけではないのですが……)。

○注意

知恵袋をみていると、立春の前日の節分を「春の節分」といったり、節分は旧暦の元日(年始)にあたるという人をみかけることがありますが、これは誤りです。
節月では春は立春から始まり、立春が年始ですから、立春の前日の節分は「冬の節分」で、節分は大晦日(年末)にあたるものです。
節分については立春の前日の節分を「春の節分」と誤解している人をみかけますが、土用については立秋の前の土用を「秋の土用」という人はいないようですね。

■月の呼び方
旧暦の各月にはいろいろな呼び方があります。

・1月…雨水(新暦2/19頃)前後…寅月/孟春/初春
  /睦月…正月で親族が集まる睦びの月
・2月…春分(新暦3/21頃)前後…卯月/仲春/盛春
  /如月…衣更着、衣を重ね着する月
・3月…穀雨(新暦4/20頃)前後…辰月/季春/晩春
  /弥生…木草弥生い茂る(草木が生い茂る)月
・4月…小満(新暦5/21頃)前後…巳月/孟夏/初夏
  /卯月…卯の花の月、苗植月→植月 ※十二支の卯月とは違います
・5月…夏至(新暦6/21頃)前後…午月/仲夏/盛夏
  /皐月…早苗を植える月→早月
・6月…大暑(新暦7/23頃)前後…未月/季夏/晩夏
  /水無月…水の月、田に水を引く月
・7月…処暑(新暦8/23頃)前後…申月/孟秋/初秋
  /文月…稲穂が実る月、穂含み月→含み月
・8月…秋分(新暦9/23頃)前後…酉月/仲秋/盛秋
  /葉月…木々の葉落ち月、葉落ち月
・9月…霜降(新暦10/24頃)前後…戌月/季秋/晩秋
  /長月…夜長月
・10月…小雪(新暦11/22頃)前後…亥月/孟冬/初冬
  /神無月…神の月
・11月…冬至(新暦12/21頃)前後…子月/仲冬/厳冬
  /霜月…霜の降る月
・12月…大寒(新暦1/21頃)前後…丑月/季冬/晩冬
  /師走…師が走る月、年果つ月

○ポイント

十二支での呼び方で「子」が冬至の頃になっているのは、もともとは冬至が基準になっていたからです。
大寒(新暦1/21頃)が丑で雨水(新暦2/19頃)が寅ということは、そのあいだの節分?立春は丑寅(艮)つまり鬼門ということになりますね。
節分に鬼払いの豆まきをするのはこれに関係があります。
また、5月5日の節句を端午の節句というのも、5月の十二支に関係します。

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