木津悠輔wikiプロフィール(高校,大学,所属チーム)は?ラグビーW杯2019日本代表初選出!

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ラグビーW杯2019には、2015年の出場メンバーも数多く名前を連ねる中で、
木津悠輔選手のように日本代表キャップ数が数回にみたない選手も選出されています。

特に木津悠輔選手の場合には「無名校」からラグビーW杯2019日本代表初選出され話題となっています。

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木津悠輔wikiプロフィール(高校,大学,所属チーム)は?

  • 生年月日:1995年12月2日
  • 年齢:23歳(2019年9月現在)
  • 出身地:大分
  • 出身高校:由布高校
  • 出身大学:天理大学(最終学歴)
  • 身長:178センチ
  • 体重:113キロ
  • ポジション:右プロップ(PR)
  • 所属チーム:トヨタ自動車ヴェルブリッツ(トップリーグ)
  • 日本代表キャップ数:3
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もともと小学校3年から剣道をしていて、
中学校卒業時点では二段の実力を備えていました。

県内の高校からスポーツ推薦を受けていたようですが、
結局、地元の由布高に進学しここでラグビーを始めることになります。

ただ由布高は決してラグビー強豪校というわけではなくて、
花園を目指すようなチームではありません。

きっかけのひとつは、
実際に高校2年生の時の大分県大会2回戦でラグビー強豪校で
花園常連校の大分舞鶴高に5-111で大敗。

木津悠輔選手は高校卒業後は消防士になろうかと漠然と考えていたものの、
この試合で最上級生が涙を流して引退していくのを目の当たりにして心を動かされ、
高校の先生とも相談の上、関西大学ラグビーの強豪校、天理大へ進学を決意します。

ちなみに、木津悠輔選手の高校時代最後の試合は
高校3年時の全国大会(花園)大分県予選準々決勝(2戦目)で、
大分雄城台に0-59でやはり大敗をして幕を下ろしています。

高校時代こそ無名で全国大会出場経験もなければ、
年代別代表入りすることもなかった木津悠輔選手ですが、
天理大学に進学しポジションをナンバー8から
現在のプロップに転向することでその才能を開花させます。

天理大学は関西大学ラグビーリーグを合計10回も制したことがある
関西の雄で、元ラグビー日本代表の立川理道選手の出身大学でもあります。

木津悠輔選手は大学3年生の時に関西大学ラグビーリーグを制すると、
第54回全国大学ラグビーフットボール選手権大会の出場権を獲得し、
準決勝で帝京大学に42-24で敗れるもののベスト4。

大学4年でも2年連続で
第54回全国大学ラグビーフットボール選手権大会に出場し、
準々決勝で東海大学(関東大学リーグ戦1部2位)に7対33で破れるものの、
ベスト8という好成績を残しています。

大学卒業後はトップリーグのトヨタ自動車ヴェルブリッツに合流し、
新人ながらチームの主力に早々と定着し、リーグ戦、順位決定トーナメント、
カップ戦を含めて全15試合中12試合に出場し11試合先発する安定感がありました。

木津悠輔のポジション右プロップ(右PR)とは?

大学3年目にはジュニア・ジャパンに選出され、
大学4年時には関西リーグの「ベスト15」にも選出された
木津悠輔選手は右プロップ(右PR)というポジションでプレーをしています。

ラグビーのポジションは大きく分けるとバックスとフォワードの2つがあり、
フォワードとはスクラムを組む際に密集しているメンバーで、
バックスとはスクラムの後ろに間隔を空けてボールを待ち構えているメンバーです。

プロップはフォワードのポジションの一つで、
スクラムの際には最前列(1列目に並びます。(スクラムはルール上は3列構成)

プロップは相手と直接ぶつかり合うため、自分にとってより良い姿勢をとること
(相手を不利な姿勢にすること)が求められるポジションでもあると同時に、
1列目の真ん中にいる「フッカー」というポジションの人をサポートする役割もあります。

フッカーは、スクラム内にボールが供給された際、ボールを足で蹴って後ろに回す仕事があるため、
スクラム中はプロップに支えてもらわないと満足にボールをけることができず、
最悪の場合、相手にボールを奪われるようなことがあります。

木津悠輔選手は日本代表候補で編成した特別チーム
「ウルフパック」でも右プロップとして6試合中5試合に出場。

最初の1試合目こそ敗戦したものの、その後は5連勝で飾り、
日本代表入りを決定的なものとしました。

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