オレゴン州のアンナ・マリー・フラフカ事件の真相はコールドケース

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オレゴン州の森の中で1979年、当時20才だったアンナ・マリー・フラフカ(Anna Marie Hlavka)が遺体となって発見された事件。

コールドケースとして迷宮入りしていたもののDNAによる「遺伝子系図」によって犯人の正体や真相が判明され「世界が騒然!本当にあった(秘)衝撃ファイル」でも紹介されました。

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オレゴン州のアンナ・マリー・フラフカ事件はコールドケースに

1979年7月24日、当時20才だったアンナ・マリー・フラフカ(Anna Marie Hlavka)はフィアンセ、そして姉と共に暮らすアパートで遺体となって発見された。

アンナ・マリー・フラフカは礼儀正しい若い女性で、犯罪歴はなく過去に犯罪行為には関与した経歴もありません。

同棲していたボーイフレンドとは結婚の約束もしており、事件当時はマクドナルドで働いていました。

姉のローズ・アン・フラフカは近くのマクドナルドで仕事をした後、午後10時頃、アパートに戻りましたが妹をを呼んでも返事がありません。

寝室を覗いたところ、姉の遺体を発見する第一発見者となってしまいました

警察によると、時計ラジオの電気コードで彼女は窒息死させられ、性的暴行を受けていました。

友人と同僚が生前のアンナ・マリー・フラフカの姿を最後に目撃したのは1979年7月24日の午後5時頃、アパートの外でした。

オレゴン州のアンナ・マリー・フラフカ事件も「遺伝子系図」で進展

警察はテキサス史上最大の捜索を展開したものの、数十年経っても殺人事件の進展はなかった。

その間、オレゴン州では、未解決の重罪事件の逮捕につながる情報に対して、最高2,500ドルの現金報酬も用意しています。

コールドケース(迷宮入り)となったアンナ・マリー・フラフカ殺害事件がわずかに進展したのは、それから30年以上も経過した2011年のこと。

犯罪現場の証拠品から未知の男性のDNAプロファイルが回収され、2012年から2016年にかけて、当局はDNAから犯人を特定するために8人のDNAを提出。

提出されたDNAはどれも犯罪現場と一致しなかったものの、「遺伝子系図」が導入されたことで捜査は一気に進展を遂げます。

「遺伝子系図」は全米を震撼させたゴールデンステートキラー事件の犯人を特定し逮捕したことで注目を集め、すでに遺伝的家系図によって20人以上の容疑者の身元確認につながっていました。

犯人のDNAをアメリカで人気の家系図データベースサイト「GEDmatch」のDNA情報と照合することで、
遠いいとこや親戚など、血が繋がっている可能性のある親戚を特定することができます。

警察のリストにあるDNAと合致する人物がいなくても、犯人のDNAを共有する血縁者がヒットすれば家系図を明らかにできます。

後は、その家系図の中にいる人物をしらみつぶしに当たってDNAを採取していき、犯人のDNAと合致するかを確かめれば犯人を特定できるわけです。

オレゴン州のアンナ・マリー・フラフカ事件の犯人は誰?

Cold Case Solved: Anna Marie Hlavka

警察当局のレポートによると、この手法で得られた手がかりはテキサスへと結びついた。

犯人をジェリー・ウォルター・マクファーデン(Jerry Walter McFadden、1948年3月21日生まれ)と特定。

ただ、マクファーデンは殺人で有罪判決を受けていて、1999年10月にテキサス州によって死刑が執行されていたため、
DNAプロファイルがFBIのデータベースに入力される前だったことから警察の犯罪者リストからも参照できずにいました。

記録によると、マクファーデンは1973年に2件の強姦罪で15年の実刑判決を受け、1978年12月に仮釈放されています。

彼は1979年に知人と一緒に太平洋岸北西部を旅行しますが、同年に18歳の少女を誘拐し、ナイフを突きつけて強姦した後、加重性的虐待の罪で有罪判決を受けた。

1985年7月に再び仮釈放されたものの、1986年5月に18歳の高校のチアリーダーを強姦して殺害し、他の2人を射殺した罪で逮捕。

監禁を逃れた彼は 裁判を待っている間 矯正担当官を人質に取るなど、マクファーデンの犯罪行為が テキサスの仮釈放資格を変えたとされています。

ポートランド警察によると、マクファーデンの捜索は「テキサス史上最大の捜査」と呼ばれ、10000人以上の警官が関与したという。

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