堕姫は無惨の名前の呪いでなぜ細胞破壊されない?鬼滅の刃

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堕姫は妓夫太郎と共に十二鬼月の“上弦の陸”を務める鬼の兄妹。

「鬼滅の刃」では鬼が無惨の名前を出すと呪いが発動して鬼の腕に殺されるという設定のはずが、堕姫が無惨の名前を口にしても呪いによって細胞は破壊されませんがなぜ?理由は?

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堕姫は無惨の名前の呪いでなぜ細胞破壊されない?鬼滅の刃

堕姫はおよそ10年ごとに顔・年齢・店を変えながら人間の世界では吉原遊廓「京極屋」の看板花魁・蕨姫(わらびひめ)として生活しています。

下級の鬼たちは無惨の名前を口にしただけで死ぬ呪いが刻まれてますが上弦たちは名前を呼んでも大丈夫なんですか?

例えば魘夢は無惨の名前を口にしていますが呪いが発動していません。

堕姫や魘夢などがなぜ無惨の名前の呪いが発動しなかったのか考察をすると、せっかくの十二鬼月は無惨の名を口にしても呪いで死ぬことは考えにくいというのが一つ。

上弦、下弦の差はありますが、無惨に選ばれた突起戦力ですから。

他にも、名前を呼ぶ、という行為そのものではなく、『どこで呼ぶか』『どういう内容で呼ぶか』も関係しているようです。

上弦の鬼しかいない場で、「無惨様はどうして急に我々を招集なされたのだろう」みたいな感じで名前を呼ぶとか、無惨その人を前にして「申し訳ありません無惨様、上弦の陸は俺が紹介したものなので、何とお詫びをすればよいのやら」と呼ぶような、そういうことには呪いは発動しません。

呪いが発動するのは、『無惨にとって不利益になる場、タイミングで呼んだ場合』です。

例えば、朱紗丸(鞠の鬼)は、『鬼殺隊の隊士である炭治郎や、無惨の支配を逃れた鬼である珠世さんがいる場』で名前を呼んだため、無惨にとって不利となるような情報を敵に明かす可能性がある、として殺されました。

鬼たちの体内には無惨の血が入っているため、その血がGPSのような役割を果たして、鬼たちが今どこにいて何をしていて、何を話しているか…というのを無惨は把握しています。

そして「あいつは今、私にとって不利益な場で私の名前を出したな」と思えば、GPSを介して電波を飛ばして殺してしまう…というようなこと。

無惨が「別にここで名前を呼ばれても私に何の不利益もない」と思う場であれば、殺されません。

上弦であっても、もし無惨が「あいつ私のことを敵の前で喋ったな」と思えば殺されますし、別に名前を呼ばなくても「もうこいつはいらないや」と思えば殺されます。

ちなみに、炭治郎は堕姫と戦ってる時、生前の縁壱と同じことを言って、無惨の細胞から堕姫は恐怖しました。

なぜ炭治郎は縁壱と同じセリフをいったのかというと、炭治郎と縁壱が同じことを言ったのは偶然です。

縁壱と炭治郎はまったく血のつながりはありませんが、必然の偶然だったと思います。

鬼はなぜ平気で人を殺すのか?

正確にはこれは、なぜ人間の中にはそんなにも簡単に人を傷つけ、命をもてあそぶやつがいるのか?という問いです。

縁壱が21巻で語っています。

「自分が 命より大事に思っているものでも」「他人は 容易く踏みつけにできるのだ」と。

これに対するなぜ?!です。

深く傷つけられたら傷はずっと残るし、殺された人間はもう生き返らない。なのになぜそう容易く踏みつけにし、傷つけ、殺せるのか、という問いです。

その理解できなさと怒り、抵抗を昇華し娯楽漫画として描かれたのが「鬼滅の刃」でもあるので、中核として繰り返し語られるのだと思います。

鬼を、もともとは人間といっても、生物的に人間とは別の種であると考えると「鬼滅の刃」の世界はちぐはぐになりませんか。

私たち人間は他の生き物を食べますよね。牛、豚、鶏、魚介類。鬼が別の種であれば、人食い熊みたいなもので、恐れる対象ではあっても憎んだり、「なぜ人の命を奪うのか!」と尋ねる存在ではありません。

ですから「鬼滅の刃」は明確に、「人間」の中にある悪に対する問いかけと抵抗を描いた物語なのです。
だから鬼は元人間として扱われ断罪されるのです。
鬼とは、人が命より大事に思うささやかな幸せをせせら笑い、人を傷つける悪です。
鬼の首魁である鬼舞辻無惨が究極の傲慢さと自己中心性を持ち、社会性が欠如し、人間には大事にしているものがあり人との繋がりにこそ幸せを見出す生き物だということをみじんも理解できない/しない存在であることを思い出してください。

そういう存在に対するなぜと抵抗の物語なので、鬼に対する怒りと憎しみは基本的に「人々を傷つける悪への怒り」です。
それを一番強く持っているのが炭治郎だから、炭治郎は心優しい主人公であるし、そして本人としてはずっと鬼に尋ねてみたかったのでしょう。

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