豊臣秀吉 辞世の句 意味・解説|露と落ち露と消えにし我が身かな浪花の事は夢のまた夢

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「露と落ち露と消えにし我が身かな浪花の事は夢のまた夢」

とは豊臣秀吉の辞世の句。

「浪花」の意味は?豊臣秀吉の辞世の句はどんな解釈ができるんでしょうか?

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豊臣秀吉 辞世の句 意味・解説|露と落ち露と消えにし我が身かな浪花の事は夢のまた夢

豊臣秀吉の辞世の句で「浪花(なにわ)」=難波・浪速・浪華・浪花

昔大阪は海と川が入り組む難所でした。字のどこし、難しい波。波が速い。波が花のように入り混じるという意味です。

現在の「なんば」も漢字では難波です。

古代より、いまの大阪城のある上町大地には、難波宮が度々おかれ、政治の中心として、機能してきました。

その後、浪速、浪花、等とも表記されましたが、一貫して、ナニワ=大阪、です。太閤さんもその意味で用いたと思います。

「露と落ち露と消えにし我が身かな浪花の事は夢のまた夢」は「夢の中で夢を見ているような 自分は露の如く消えていく はかない生涯だった」という意味でしょう。

此の辞世の歌は、兼ねてから御伽衆と呼ばれる相談相手等のアドバイスを元に、取って有ったモノを臨終に際し披露したモノと言われています。

まとめ:豊臣秀吉 辞世の句 意味・解説|露と落ち露と消えにし我が身かな浪花の事は夢のまた夢

豊臣秀吉は自分の代は栄華を極めたものの、朝鮮出兵などの失敗により家臣たちの対立により豊臣政権の権威は揺らぎ、さらに天下取りの野心を持つ家康の存在など、自分の死後はおそらく豊臣家はもたないのではないかと考えていたかもしれません。

この辞世の句は、そのような豊臣家の未来を見据えた一代の権力者である秀吉の悲しみの思いが込められているとも受け取れます。

秀吉は辛酸を舐めて、天下人になりましたから世の裏表も人の心理もよく分かっていましたから、自分亡きあと家康が天下を狙うのは分かっていたでしょう。

それでも、秀頼の行く末を家康達五大老に願うしか方法が無かったのは、さぞ無念だったでしょう

秀吉の朝鮮出兵では豊臣政権の滅亡を招き、次の政権を担当した徳川家康が明と朝鮮に対して一切の譲歩をすることなく、見事な戦後処理をしました。

備考:豊臣秀吉 辞世の句 意味・解説|露と落ち露と消えにし我が身かな浪花の事は夢のまた夢

織田信長が愛唱したという敦盛に「人間50年下天のうちをくらぶれば、夢まぼろしに如くなり・・」(宇宙の時の移り時間の経過に比べれば人間界の時間の流れなど儚い{はかない}ものだ・・)の意味合いみたいに、自分(秀吉)の波乱万丈の人生を思うとき、人間の一生は天上界の時間に比べれば、実に短く(露と落ち露と消えるみたいに)儚いものだ。天下人となった大阪の地での栄光栄華の日々も夢のようなものだった。 秀吉自身、死期が迫ったとき、若き頃から今日までの事が脳裏に甦り、その思い出が走馬灯のように巡っていったものと思われ、その時の心境を詠んだ句と思われます。

豊臣秀吉の晩年は

千利休を殺し(切腹
豊臣秀次一族を皆殺し
朝鮮出兵

などなど耄碌したと言われています

諫める千利休に対して「なんでそんなこと言われなきゃならんのだ」と怒るのも無理はない。

秀次一族を皆殺しにしたのは秀頼可愛さもあったんでしょうが、秀次にも子供が沢山いたから後々の憂いになること(大名が秀次の子を後継ぎに推す流れ)を恐れた側面もあるでしょう。

朝鮮出兵は、戦国の世を終わらせた代償です。恩賞として与える土地がなくなったから、矛先を国外に向けました。秀吉は出生が悪かったこともあり譜代の家臣がおらず、昨日今日従った外様達よりも子飼いの家臣に権力や石高を持たせるためにも恩賞の土地は必須だったのでしょう。

天下を取るまでは良かったですが、誰も成し遂げられなかったことだっただけに素直に地盤を固めるという流れには出来なかった面も多分にあるかと思います。

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