一澤帆布と一澤信三郎帆布の違いは?どっちがおすすめ?

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一澤帆布と信三郎帆布はどちらのほうが信頼性高いんでしょうか?

一澤帆布と一澤信三郎帆布の違いは?一澤帆布と信三郎帆布は買うならどちらがおすすめなんでしょうか?

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一澤帆布と一澤信三郎帆布の違いは?どっちがおすすめ?

一澤帆布と一澤信三郎帆布の違いは長男さんが、銀行でサラリーマンをしていて、定年後に「一澤帆布」に急に口を出す様になり、

後を継いで経営する権利は私に有ると、裁判を起こしたのが分裂の始まりです。

長男さんが裁判に勝って、今「一澤帆布」経営をしています。

信三郎さんが、若い時から先代・職人さんと一緒に、「一澤帆布」を経営していました。

が、裁判に負けて三男さんが「一澤帆布」を出る事になった為、職人さんも一緒に退職され設立されたのが「一澤信三郎帆布」です。

普通に考えれば、「一澤信三郎帆布」が正統と言えるでしょうか。

道を挟んで両店がありましたが、現在は「一澤帆布製」の製品は「一澤信三郎帆布」で販売しています

基本的には、変わりないはずですけど、紆余曲折を経ているブランドなので、実際に比較すると、時期によって、違いがあるかも知れません。

「信三郎帆布」
「信三郎カバン(*)」
は、一澤信三郎氏が、「一澤帆布」ブランドが使えない時期に、作り出されたブランドです。
*)「カバン」は、「布偏に包」。
実際にそんな時は無く、信三郎氏が作ったもの。

似た様な名前の
「帆布カバン 喜一澤(ロゴなどでは「喜」は、略字体)」
は、お家騒動に敗れた、四男喜久夫氏の会社で、一澤帆布や信三郎帆布とは、無関係。

タダ、あのタグは、先代の一澤信夫氏在世中に喜久夫氏(当時、一澤帆布役員だった)によって、作られたものです。

まとめ:一澤帆布と一澤信三郎帆布の違いは?どっちがおすすめ?

1905年創業の一澤帆布。

職人の道具袋、牛乳配達袋、登山用リュックなど手がけてきた老舗の手作りの帆布かばんの店。

「知る人ぞ知る」店だったが、3代目信夫の三男一澤信三郎氏が1980年に朝日新聞社を退社し、家業に入り、職人も飛躍的に増えて一躍全国的に有名店となる。

そんな中、信夫の死去後、2通の遺言書が。

第一遺言は、信夫が生前顧問弁護士に預けていた和紙に毛筆、一澤の実印のある遺言書。

長年仲良く一緒に店を支えてきた三男一澤信三郎氏、妻・恵美氏に株の70%を相続させるというもの。

しかし、その遺言書を開いた2か月後、今まで銀行に勤めていて、家業に見向きもしなかった長男信太郎氏が自分が預かっていたという遺言書を出してきた。

便箋にボールペン。信夫氏が嫌っていた「一沢」の文字の見たこともない判子が押されていた。

その長男が持ってきた第2遺言の方が日付が新しかったため、信三郎氏は、遺言無効を訴えて提訴。しかし、偽造とまで言い切れないとの判断で、敗訴してしまう。

■一澤帆布が長男のものに。そして三男が一澤信三郎帆布立ち上げ。

長男信太郎氏は、四男喜久夫氏(好きなことがしたいと1996年に自ら退社して当時無職)と共に一澤信三郎氏を解任し、一澤帆布に乗り込んだ。

亡くなった信夫と長年、家業に精を出してきた弟、一澤恒三郎は叫んだ。

「信太郎、恥を知れ!遺言書など捏造しよって。あの世で兄貴は泣いてるぞ。」

一澤恒三郎氏を始め、職人70人全員が、三男一澤信三郎氏を支持。全員で「一澤信三郎帆布」を立ち上げる。

また、京都の有力者を始め、町衆、今までの取引先がすべて信三郎氏を支持し、応援する会までが作られた。

「一澤帆布製」からブランドネームが変わってしまっても、そのデザイン、品質とモノづくりの姿勢は認められ、行列のできる店に。

職人が信三郎氏と共に出てしまったため、一度は閉店した一澤帆布も、長男一澤信太郎氏が四男喜久夫氏と共にかばんを外注して営業を再開。

■最高裁で逆転判決、一澤帆布は再び信三郎夫妻の元に。

そんな中、第1遺言では株を譲り受けるはずだった一澤信三郎氏の妻、恵美氏が再度、第2遺言無効を訴え提訴。

裁判所は「経営に関与していない銀行員の長男に株の大部分を相続させるのは不自然で不合理。第2遺言は偽造。」との判決をくだし、信三郎氏側が逆転勝訴する。

世間の常識を追認した判決となった。

■そして現在の一澤帆布・一澤信三郎帆布

現在「一澤信三郎帆布」は、元々「一澤帆布」があった東大路古門前北の店舗に戻り営業している。

「一澤帆布製」のネームタグも一部のかばんに復活させ、現在は「一澤帆布製」「信三郎帆布」「信三郎布包(布包と書いてかばんと読む)」の3ブランドで展開している。

大変な騒動となったが、結果的に色、柄のバリエーション、デザインも増え、店は活気に満ちていて、古くからの常連客に加えて新しいお客、海外からお客も訪れ、店は常ににぎわっている。

店は相変わらず京都の1店舗のみ。店舗の目と鼻の先にある工房で昔と変わらずかばんを作り続けている。

また、長年使いこんだかばんの修理も出来る限り受けている。

1905年(明治38年) – 初代喜兵衛が一澤帆布加工所を創業
1983年(昭和58年)9月 – 信三郎(三男)が代表取締役社長(4代目)に就任
2001年(平成13年)3月 – 信夫(3代目)が死去
2001年(平成13年)7月 – 信太郎(長男)が第2の遺言書を提出
2001年(平成13年)9月 – 信三郎が京都地裁に第2の遺言書の無効確認を求めて提訴
2004年(平成16年)12月 – 最高裁にて信三郎側の敗訴が確定
2005年(平成17年)12月 – 信三郎が代表取締役を解任され、信太郎が代表取締役社長に就任
2006年(平成18年)1月 – 「一澤信三郎さんを応援する会」大徳寺真珠庵山田宗正住職が代表となり発足。
2006年(平成18年)3月 – 営業休止
2006年(平成18年)4月 – 信三郎が「一澤信三郎帆布」を開店。
2006年(平成18年)10月 – 営業再開
2007年(平成19年)2月 – 一澤信太郎が信三郎を損害賠償で提訴。
2009年(平成21年)6月 – 信三郎の妻・恵美が提起していた遺言無効確認と取締役解任の株主総会決議取消の訴訟が、最高裁で原告勝訴判決。信三郎・恵美夫妻を取締役から解任する株主総会決議が取り消される。
2009年(平成21年)7月 – 信三郎・恵美夫妻が、3年ぶりに代表取締役に復帰。一澤帆布は当面の間休業。
2009年(平成21年)10月 – 信三郎ら経営陣に対する13億円の損害賠償請求訴訟で、訴え却下の判決
2011年(平成23年)3月 – 信三郎が「一澤帆布」のブランド復活、並びに4月から一澤帆布工業株式会社の店舗にて営業再開を発表

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