弓の射程距離は何m?戦国時代はどのくらい?

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弓の射程距離はどのくらいだったでしょうか?

弓道の射程距離は28mだそうですが日本の戦国時代の武士の長弓の射程距離は400mというのは本当?

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弓の射程距離は何m?どのくらい?

弓の射程距離について、競技用の弓道と戦国時代の弓について詳しく説明します。

競技用の弓道における射程距離は、通常30mと60mの2つの距離で競われます。弓の張力や矢の速度によって、射程距離が決まります。現代の競技用の弓はだいたい20kg強の張力で、初速は時速200km強(秒速60m)です。これにより、60m先に矢を飛ばすことができます。

一方、戦国時代には弓が戦場で重要な武器でした。戦国時代の弓は非常に強力で、強弓と呼ばれるものが用いられました。この弓は50kg程度の張力があったと考えられ、初速は時速200km弱(秒速95m)ほどになります。この初速を維持する場合、約4秒で400m先まで飛んでいきます。

ただし、空気の抵抗により速度は減少します。速度が速いほど減速が早くなるため、実際には射程距離は400m先までではなく、だいたい100m前後になると考えられます。戦国時代の弓は矢を上空に向けて放つことで長距離射程を確保し、直線的に飛ばすよりも有効な射撃法でした。

戦国時代には半弓と呼ばれる短い弓も普及していました。これは戦場での持ち運びが便利で、速射が可能な特徴があります。ただし射程は長弓よりも短くなります。

現在の弓道競技での最も遠い距離は60mですが、戦国時代の通し矢という競技では80m前後の距離で射られていたとされています。ただし、それ以前の熊野の蕪坂源太が三十三間堂の軒下を根矢(実戦用の矢)で射通したときは、強弓でほとんど水平に射たと考えられます。

日本の矢は西洋の矢よりも重いので、同じ速度でも威力があり、遠くまで飛びます。現代の矢の速度でも十分な殺傷力があり、400m先でも当たれば十分な効果があると言えるでしょう。

したがって、現代の競技用の弓道では60m先が遠い射程とされていますが、戦国時代の弓は約100m先ほどの射程があり、通し矢の競技では80m前後の距離で射られていたとされています。また、戦国時代の弓は非常に強力で、現代の弓よりも飛距離が長かったと考えられます。

戦国時代の弓の射程距離は何m?どのくらい?

日本の戦国時代の武士の長弓の射程距離は400mというのはあり得るのかもしれません。

現在の弓の張力はだいたい20kg強で、初速は秒速60m(時速200km強)です。

力と速度の関係は式(1)であらわされます。

FL=1/2mV^2・・・・(1)

ここで、
F:力 [kg・m/s^2](mはメートル、sは秒です。以下同様]
L=弓を弾く距離 [m]
m:弓の質量 [kg]
V:弓の速度 [m/s]

戦国期の弓が先の方の回答で、50kgとすると、戦国期の初速は
以下のように計算されます。

V(戦国)
=V現在√(50/20)
=60×1.58
=95m/s

この初速のまま減速しないとすると、4秒で400m飛んでいきます。

空気の抵抗による速度の減少割合は以下の式(2)で表されます。

a=-Cd/s・(空気と矢の密度の比)×矢の断面積×V^2・・・・(2)

ここで、
a:空気の抵抗による速度の減少割合[m/s^2]
Cd:空気の抵抗係数、約0.46[-]

式(2)からわかるように、速度が速いほど速度の減少割合が早くなります。

空気と矢の密度の比を1/2000、矢の断面積を9/10^4m2とすると、4秒間での減速は0.1m/sもありませんでした。

よって、だいたい、100m/s弱の速度で400m飛んでいきます。

ただし、水平に放つと矢は自由落下に近い速度で落ちていくので放物線で放つ必要があります。

半分の200m地点で、2秒くらいのところが放物線の頂点とすると、その時の頂点の高さhは次式で計算されます。

h=1/2・g・t^2・・・・(3)

ここで、
g:重力加速度=9.8[m/s^2]
t:落下時間=2[s]

上記を式(3)に代入しますと、h=19.6mになります。

よって、400m先の敵を狙うには、200m先の20m位の高さを狙う必要があります。また、矢は竹が原料なので、できるだけまっすぐな竹を使いますが、一本一本曲がりが違うので400m先ではほとんど的に当たりません。

現在、弓道の競技はだいたい30mと60mで競っており、30m先だと60m/sの初速で0.5秒で到達するので、ほとんど水平で昇順が可能ですが、60m先だと1m強上を狙わないと当たりません。
三十三間堂の通し矢の競技でも60mの距離で射ます。

ただし、通し矢の起源で、保元の乱の頃(1156年頃)に熊野の蕪坂源太という者が三十三間堂の軒下を根矢(実戦用の矢)で射通したときは、強弓でほとんど水平に射たかと思われます。

また、那須与一が源平合戦で、扇の的や、それを見て称賛の舞を舞う武士を射殺していますが、この距離も80m前後と言われています。

よって、名人と言えども狙って当たるのはせいぜい60~80mという距離です。

なお、日本の矢は、西洋の矢よりも重いので、同じ速度だと殺傷力があり、遠くまで飛んでいきます。60m/sの現在の矢の威力でも、9㎜の杉板3枚を割って貫通し、1㎜の鉄板を数cm貫通し、人体を模擬した銃弾の威力をテストする的に30㎝位突き刺さるので、その1.5倍の速度の矢は、400m先でも当たれば十分殺傷能力があると言えるでしょう。

matol弓の射程距離は何m?戦国時代はどのくらい?

現実での戦闘では弓は直接狙って撃つよりも盾に隠れた上で何十人も並ばせて上方に曲射した。当然矢が雨のように降り注ぐ。(合戦での死因は槍で突かれたのでも刀で斬りつけられたのでもなく、矢による負傷と判明している。)
塩ビパイプで作った玩具みたいな弓ですら飛ばすだけなら50m飛ばせる。これは流石に直射だと10~20mくらいが限度ですが。

複合弓では100m程度は飛ばせるし、接近する敵軍を牽制するなら幅数十mの範囲内で撃ちまくればそれで良いですからね

弓道の弓は射程距離が短くなっています。的の距離が決まっているので、飛距離を伸ばすより競技として得点が高くなる方向に進化します。競技用ライフルが軍事に使われないけど競技では軍事用ライフルより命中率が高いようなものです。

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