「米百俵の精神」、長岡藩が造ったものは?#ことば検定

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4月26日の「グッドモーニング」内のクイズ「ことば検定」で出題された問題は「「米百俵の精神」、長岡藩が造ったものは?」でした。

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朝日新聞出版

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答え:「米百俵の精神」、長岡藩が造ったものは?【ことば検定】

青:学校
赤:病院
緑:ピアノ教室の注意書き

答え:学校(青)

長岡藩の藩校崇徳館
 崇徳館は、江戸時代後期の文化5年(1808)に9代藩主牧野忠精によって開校された。
 崇徳とは、「徳」を「宗ぶ(たつとぶ:尊ぶ)」という意味。
 牧野忠精は、幕府の要職である京都所司代や老中をを勤めた。
 崇徳館からは河井継之助や小林虎三郎が育った。
 小林虎三郎は、三根山藩からの救援米百俵をもとに、明治2年(1869)5月1日、
 昌福寺の本堂を借りて国漢学校を開校し多くの人材を育て上げた。
 崇徳館の教育は「国漢学校」や「長岡洋学校」へと引き継がれ、現在の「長岡高等学校」・
 「阪之上小学校」「長岡赤十字病院」の礎となった。
・与板藩の藩校正徳館
 江戸藩邸には以前から学問所が開かれていたが、9代藩主井伊直充が万延元年
 (1860)に藩校(学問所)である「正徳館」を開館した。
 戊辰戦争で与板城が焼失した影響で一旦閉校となったが、上野御徒町で漢学塾を開いて
 いた小橋多助を招き、その指導の下で明治2年(1869)10月29日に開校式を行い
 再興された。
 明治4年(1871)廃藩置県に伴い与板県となると「与板県学校」と改称。
 明治5年(1872)7月に廃止された。
 平成17年1月1日新潟県立与板高等学校が新潟県立正徳館高等学校と改称した。

https://kanazu36.hatenadiary.org/entry/20090612
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