みちのくの母の命を一目見ん(短歌)意味・表現技法は?区切れ・現代語訳は?

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斎藤茂吉の「死にたまふ母」短歌

「みちのくの 母の命を人目見ん 人目みんとぞ ただにいそげる」

句切れは何句切れで表現技法は?句切れなしで反復法を使われているのでしょうか?

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みちのくの母の命を一目見ん(短歌)表現技法・区切れは?

短歌での「句切れ」とは,5/7/5/7/7の各句末を見て,

①「終止形」になっているところ:「。」が付くところ
②「係り結び」が使われているところ
③歌の詠んでいる「意味・内容」が変わっているところ

です。各句末に注意することがポイントです。

この要件に従うと

みちのくの/母のいのちを/一目見ん/一目見んとぞ/ただにいそげる

:1~4句末に「。」の付くところはありません。3句目の

「一目見ん。」で「。」が付くようにもみえますが,これは,「一目見ん一目見んとぞ」と反復で使われていますので,句切れとは見なすことはできません。したがって,「句切れなし」が正解でしょう。

「ぞ」は係助詞です。切れ字ではありません。切れ字になる「ぞ」は終助詞です

また「一目見ん」という言葉を繰り返す反復法と呼ばれる表現技法によって、母にどうしてでも会いたいという切迫した気持ちを表している。

みちのくの母の命を一目見ん(短歌)意味・現代語訳は?

「みちのくの 母の命を人目見ん 人目みんとぞ ただにいそげる」

の意味・は簡単にまとめると

故郷で母はもう、死を待つのみとなってしまった。
母が生きているうちに一目でいいから会いたい。
会いたい一心で、僕は急ぐ。

といったもので「生きていてくれ」という願いと「早く着きたい」という焦りの気持ちを詠んでいます。

背景の情報としては、斉藤茂吉は山形県出身です。 斉藤茂吉の母「いく」は大正2年に58歳でなくなっています。当時 、茂吉は31歳でした。

現代語訳としては、山形にいる母が臨終(亡くなること)を迎えようとしている。 生きているうちに一目でも会いたいと、ただひたすらに急いだことだ。 「一目見ん一目見んとぞ」と反復させることで、作者の願いや祈り、あせりが強く表現されていると思います。

今のように飛行機も新幹線もありません。 おそらく夜行列車に揺られているときに浮かんできた短歌でしょう。

願いがかなって斉藤茂吉は少しの間、お母さんを看病することができ最後を看取ることもできました。

「死に近き母に添寝(そいね)のしんしんと遠田(とおだ)のかわず天に聞こゆる」

「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にいてたらちねの母は死にたまふなり」

など その当時の短歌も残っています。

みちのくの母の命を一目見ん(短歌)感想・観賞は?

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