長南年恵wiki|予言はトリック?死因・子孫は?

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長南年恵さんは 明治時代に数々の超常現象を起こしたことから超能力者では?とされる女性

世界の何だコレ!ミステリーでも紹介された長南年恵さんの気になるプロフィールをまとめています。

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長南年恵wikiプロフィール

名前:長南年恵(おさなみ としえ/ちょうなん としえ)

本名:長南登志恵(鶴岡市戸籍研究による)

出身地:山形県鶴岡市出身(旧・羽前国庄内高畑)

生年月日:1863年12月6日(文久3年10月26日)

没年月日:1907年(明治40年)10月29日)

享年:43歳

明治時代の霊能者、超能力者。

「万病に効く」という神水と呼ばれる霊水を、人々の目の前で満たすという超能力を多くの人の前で披露し新聞でも取り上げられるようになりました。

長南年恵の経歴

1874年(明治7年)に鶴岡に小学校が開校した際には入学出来ず、子守奉公をしていたところ、次第に予言めいた言葉を口走る様になり、噂を聞きつけた住民の相談に乗るうち、奉公先から巫女として開業することを薦められたという説があるそうです

■長南年恵が起こしたとされる超常現象

成人してからも肉体的、精神的に少女のようであったという。また身辺には頻繁に神仏が現れ、会話をしたり、舞を舞っていた。

元々小食であったが、20歳のころからほとんど食事を摂らず、生水の他は生のサツマイモを少量のみ。

排泄物は殆ど無かったという。また汗や垢といったものも殆ど出ず、風呂に入らなくても髪や体はいつも清潔であった。

空気中からとりだす神水は、密封した空の一升瓶の中に人々の目の前で満たしたという。この神水は万病に効いた。別に病人などではなく冷やかし等の目的の者と不治の病人には、神水は授からず、空瓶のままだった。神水(霊水)の色について:赤、青、黄など様々な色があったそうだ。無罪となった裁判所での公判では、茶褐色。1900年(明治33年)7月9日に全国紙新聞記者(大阪朝日新聞)が懐疑の目を向け、目の前で霊水引寄せをしろと要求した。その結果、ひとりでに水が入ったのを認めざるを得ないという結論に至ったという[4]。

長南年恵の食事が死因?

長南年恵さんは20歳頃からほとんど食事をとらなかったと言われています。

水とわずかばかりの食物(生のサツマイモ)以外は不食の状態を続けたという。

「空気中から神水などの様々な物を取り出すなど、多くの不思議な現象を起こしていた」などと言われ、そのためか排泄物もなかったとされる。

死因については不明とされていますが、水以外のものを口にすると吐血することもあったとらしいことから、結核を患っていたのでは?という見方もあるようです。

長南年恵の予言はトリック?

長南年恵さんは不思議な現象をたびたび起こしていたものの詐欺行為とされて、何度も逮捕された経歴があります。

しかし1900年に3度目に逮捕された時の裁判・法廷内で、人々の目の前で霊現象を起こしたことで、裁判長から無罪放免を言い渡されたと伝えられています。

1度目の逮捕は1895年(明治28年)。

神水を用いて、医師の資格なしに病気治療と称するを行ったことが詐欺行為だとして逮捕されます。

山形県監獄鶴岡支署に2年以上(760日間)も勾留され、後に証拠不十分で釈放されていますが、この勾留期間中、様々な現象が起きたと言われている。

勾留期間、一切の排泄物が無かった。入浴が許されていなかったが、常に髪は清潔であり、体臭も無く、良い香りがしたという。

勾留期間、一切食事を取らなかった。

完全に外部と遮断された監房内で、「神水」「お守り」「経文」「散薬」などを空気中から取り出したという。

長期の拘留生活で足腰が弱って当然なのに、一升瓶15本分もある水の入った大樽を軽々と運んだ。

収監者の中で、ただ一人蚊に刺されなかった。

複数の係官が不思議な笛の音を聞いたという。

ただし以上の現象は監獄側の資料や公式の文書などに記されているわけではなく、年恵側が山形県監獄鶴岡支署長宛に送りつけた「事実証明願」の中でそのような現象があったと主張したものである。

監獄側はこの証明願を却下している。

1896年(明治29年)、2度目の逮捕、山形県監獄鶴岡支署に10月10日より一週間拘置される。

1900年(明治33年)、3度目の逮捕、大阪空堀町にある弟の長南雄吉の所に身を寄せている時8月ごろ、新聞記事から騒ぎが大きくなり、10日間拘置される。

1900年(明治33年)12月12日、この拘置に対して、神戸地方裁判所で再審が行われた。判決は証拠不十分を理由とした無罪判決となったが、その後好奇心を持った弁護士たちが長南年恵に個人的な試験を申し込み、それに応じて霊水出現の試験が行われる運びとなった。封をした空きビンを渡し、空きビンに神水を満たせるかと質問したところ、長南年恵はできるといったという。

別室に移された長南年恵さんは数分ほどで空きビンに濃い黄色をした液体を満たし、裁判の様子を報じた大阪毎日新聞は「神水を天よりたまわるなり、とにかく不思議なり」と伝えています。

長南年恵の子孫・結婚は?

庄内藩士だった父の寛信の長女として生まれた長南年恵さんには弟である長南雄吉さんがいます。

雄吉さんは、大阪浦江にあった大日本蓄電池株式会社の専務取締役で、自身が目撃したの長南年恵の超常現象などの記録を、後年、心霊研究家の浅野和三郎がまとめて発表しています。

長南年恵さんどうやら未婚のまま障害を終えたようで、不思議なことに30歳を過ぎても初潮を迎えていなかったようです。

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