節を屈した意味・理由は?山月記

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「山月記」は国語の現代文の授業で習うことが多い中島敦の小説。

「山月記」で李徴の「節を屈した」とは意味は?なぜ李徴は「節を屈した」?理由は?

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節を屈した意味・理由は?山月記

「山月記」で「節を屈する」とは意味は、「節」は自分の主義・主張や考え。自分が正しいと思うことを守り通すことという意味です。「曲げる」は外圧などに負けてくじけること。

自らの主義主張を曲げて、という意味になると思います。

「山月記」で李徴が節を屈した理由は、

・自分の詩業に半ば絶望した
・妻子を養っていくため

といったことが考えられます。

李徴が「節を屈し」た理由を二点、本文中からそれぞれ十五字以内(※句読点を含む)で抜き出しなさい、といった問題が出題されることがありますが

①貧窮に堪えず、妻子の衣食のため

②己の詩業に半ば絶望したため

また、現在の李徴が、自分自身を

「もはや人としては死んだ者」として扱っていることがわかる二字の熟語を答えさせる問題も出題されますが、「遺稿の所在も最早判らなくなっていよう。」の「遺稿」が該当します。

執筆者の死後に残された未発表の原稿、という意味から。

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