鶴見辰吾の現在!白髪は若い頃から?本名は本多?

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鶴見辰吾さんは若い頃に「3年B組金八先生」に出演し15歳にして父親になるという宮沢保の役で注目を集めた俳優。

現在はすっかりロマンスグレーとなり白髪揉め雑用になった鶴見辰吾さん。

これまでの経歴を若い頃から現在までまとめています。

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鶴見辰吾の若い頃

鶴見辰吾さんは幼少期は宝塚歌劇団の大ファンで憧れは「ベルサイユのばら」のアンドレ。

宝塚歌劇団に入る事を夢みていたものの、男性だと入れないことを知り人生で最初の挫折を味わいます。

ただ、中学生の頃に叔母がテレビドラマ「竹の子すくすく」のオーディションに応募すると、2,582人応募者の中から見事に選ばれ1977年に早くも子役として芸能界デビューを果たします。

鶴見辰吾さんの名前が世間に一躍知れ渡るようになったのが、「3年B組金八先生」に宮沢保の役で出演したこと。

成績優秀で学級委員を務めるほどの優等生・浅井雪乃(杉田かおる)と同じく優等生の宮沢保のカップルは、交際に発展するとなんと妊娠が発覚。

雪乃の妊娠が発覚した当初、金八をはじめとした教師たちは当然のごとく中絶手術を前提として話を進めるなど、その当時はかなりショッキングな中学生の妊娠という内容でした。

ちなみに、この金八先生第一シリーズの最終回の視聴率は39.9%をたたき出しました。

■鶴見辰吾さんの若い頃の主な出演ドラマ

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ナッキーはつむじ風(1978年) – 大原修二 役
GOGO! チアガール(1980年) – 星野誠
早春スケッチブック(1983年) – 望月和彦 役
高校聖夫婦(1983年) – 安西俊 役
パパになりたかった犬(1984年) – 土井一章 役
無邪気な関係(1984年) – 結城恒夫 役
スクール☆ウォーズ(1984年) – 名村直 役
乳姉妹(1985年) – 大丸雅人 役
ポニーテールはふり向かない(1985年) – 名倉邦男 役
痛快!OL通り(1986年) – 永倉徹 役
八つ墓村(1991年) – 寺田(多治見)辰弥 役
生きて行く私(1991年) – 北原武夫 役
パ★テ★オ(1991年) – 寺田正樹 役
素顔のままで(1992年) – 市村義彦 役
チャンス! (1993年) – 武藤慎一 役
いつか好きだと言って(1993年) – 木田智彦 役
斜陽(1993年) – 直治 役
こころ(1994年) – 私 役
お兄ちゃんの選択(1994年) – 戸倉和彦 役
半熟卵(1994年) – 松島宏 役
恋はあせらず(1998年) – 草野純一 役
森繁久彌のおやじは熟年(1981年) ‐ 大文字健介 役
ザ・刑事(1990年) – 丹内浩太郎 役
京都迷宮案内(1999年) – 田崎雄一 役

■鶴見辰吾さんの若い頃の主な出演映画
翔んだカップル(1980年) – 田代勇介 役
ときめき海岸物語(1984年) – 山口隆明 役
潮騒(1985年) – 久保新治 役
台風クラブ(1985年) – 三上の兄 役
海上花(1986年) – 中村 役
いとしのエリー(1987年) – 真名古敬一 役
名門!多古西応援団(1987年) -蒲生貴明 役
流金?月(1988年、香港映画) – 家明 役
226(1989年) – 高橋太郎 役
一杯のかけそば(1992年) – 兄 役
ヒーローインタビュー(1994年) – 石井 役
GONIN(1995年) – 久松茂 役
アタシはジュース(1996年) – 一条伸二 役
GONIN2(1996年) – 代市 役
月とキャベツ(1996年) – 理人 役
軽井沢夫人 官能の夜想曲(ノクターン、1996年)
恋と花火と観覧車(1997年) – 喫茶店店長 役
らせん(1998年) – 宮下 役
鮫肌男と桃尻女(1999年) – フクダミツル 役
DEAD OR ALIVE 犯罪者(1999年) – 陳 役
フリーズ・ミー(2000年) – 小島篤 役
風花(2001年) – 冨田重之 役

鶴見辰吾の現在は白髪!

鶴見辰吾さんは現在、短髪の白髪、もといショートヘアのロマンスグレーという姿になっていますね。

様々な趣味を持っているようですが、特に鶴見辰吾さんが力を入れていると言われるのがロードバイク(自転車)。

多い月は月間2000km以上自転車で走るほど自転車にのめりこんでいて、元祖ロードバイク好き芸能人と称されるほど。

2007年には2代目・自転車名人に選出されています。

■歴代の自転車名人
初代 :忌野清志郎さん
2代目:鶴見辰吾さん
3代目:勝間和代さん
4代目:片山右京さん
5代目:谷垣禎一さん

■自転車名人とは
NPO法人「自転車活用推進研究会」が、自転車活用の模範となる著名人を表彰するために設けた肩書。
初代の忌野清志郎さんは、災害時にボランティア活動をするために自転車で駆け付けようとしたことが評価されました。

鶴見辰吾の本名は本多?

本名:鶴見辰吾(つるみ しんご)

生年月日:1964年12月29日

出生地:東京都

幼稚園:原宿幼稚園

小学校:港区立青山小学校

中学校:成蹊中学校

出身高校:成蹊高等学校

最終学歴:成蹊大学法学部政治学科

身長:176cm

血液型:A型

所属:ホリプロ

ツイッター:@shingotsurumi

鶴見辰吾さんの本名は芸名と同じですが、母方の先祖に本多康重という由緒正しい血筋です。

鶴見辰吾さんの母方の先祖は、三河岡崎藩初代藩主で岡崎城城主・本多康重の家系。

本多家は大政奉還から明治維新にかけて廃刀令や廃藩置県などで生活は一変するものの、印刷機械の制作で財をなしたそうです。

鶴見辰吾さんの父親方のルーツは武田信玄の家臣で、信玄亡き後は松本城主・水野家の家臣で徳川家の旗本だったそうです。

父親の剋之(かつゆき)さんは成績優秀で叔父の援助を受け、早稲田大学高等学院から早大政経学部に進学。

大学卒業後は石油製品の専門商社を経て兄が立ち上げた電気設備会社を手伝います。

ところが昭和43年に会社が倒産してしまったことから、ラーメン屋、居酒屋などを経営していたそうです。

鶴見辰吾さんは若い頃に「金八先生」という代表作を持つことができたものの、逆に役のイメージが強くてその後は役者としての演技の幅を広げることに苦労していた時期もありました。

現在でこそ、幅広い役柄で起用されるようになった鶴見辰吾さんですが、そのきっかけとなったのが根津甚八さん。

30歳手前で、俳優をやめるかどうかまで考えるほど壁にぶち当たっていたところで根津甚八さんに相談したところ、
根津さんが石井隆監督に売り込んでくれたおかげで1995年の映画「 GONIN 」に暴力団組幹部という役柄で出演を果たしました。

プライベートでは40歳だった2004年に一般の方と結婚をしています。

年齢や職歴など詳しいことは明らかにされていないものの、名前は旧姓・鈴木一美さんという方で、年齢は10歳年下。

福祉関係の仕事をしていたそうですが、であいのきっかけは当時まだ独身だった奥様の知り合いのクラブのイベントに行った時に、鶴見さんが鈴木さんをナンパして出会ったのだとか。

夫婦で一緒にロードバイクを楽しんだりと、かなり夫婦仲も良いようです。

鶴見辰吾さんの兄弟は弟が1に似ます。

「三上祐一」という芸名で俳優をしていた鶴見祐一さん。

中学3年生の時に鶴見辰吾さんと兄弟という役で映画「台風クラブ」で主演を務め俳優デビュー。

その後もいくつかのドラマや映画に出演していたものの、わずか3年で芸能界を引退しています。

もともとは、早稲田大学政治経済学部出身だった父に憧れていた事から芸能活動よりも学業を優先。

早稲田大学を志望し高校2年生の頃から受験まで1日12時間もの猛勉強を続けます。

そして第一志望である早稲田大学に見事合格を果たすと、大学卒業後の現在は執筆業、コメンテーターとして活動しているようです。

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