海老名香葉子wiki現在|なぜ毒親?兄と戦争孤児で火垂るの墓?

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海老名香葉子さんは林家正蔵、林家三平兄弟の実母で初代・林家三平とは夫婦で落語の林家一門を束ねています。

兄と2人で戦争孤児だった経歴を持つ海老名香葉子さんの気になる現在までのプロフィールをまとめています。

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海老名香葉子なぜ毒親?

泰葉、好楽弟子の襲名取りやめ問題に「弟正蔵と母が権力でやめさせました」

歌手の泰葉(57)が4日、「また、騒動!」と題し自身のブログを更新した。

 故・初代林家三平さんと海老名香葉子さんの次女の泰葉は、スポーツ報知が3日に報じた落語家・三遊亭好楽(71)の3番弟子で5月に真打ちに昇進する三遊亭好の助(35)が好楽の前名でもある林家九蔵(くぞう)を3代目として襲名することに対し、2月に入って林家正蔵(55)が異議を唱え襲名が取りやめになったニュース記事をブログに貼りつけた上で「好楽師匠がお気の毒です 弟正蔵と母が権力で好楽師匠のお弟子さんの襲名をやめさせました」との見解を示した。

https://hochi.news/articles/20180304-OHT1T50053.html?page=1

海老名香葉子さんが毒親と言われるようになったのは、三遊亭好楽さんの弟子、三遊亭好の助の「林家九蔵」襲名をめぐって落語界がゴタゴタしたと娘の泰葉さんがブログに投稿したことがきっかけのようです。

ただ、九代目・林家正蔵さんが三遊亭が林家名跡を襲名することについて「落語界で悪しき前例を作るのはよくないとは申し伝えました」とスポーツ報知の取材にこたえていて、母親の海老名香葉子さんはどうやら九代目・林家正蔵さんから『ダメだ』と迫らせたようです。

ちなみに泰葉さんはその後、ブログで自己破産宣言。かと思えば、「巨額借金問題」と「車上生活」を週刊誌に報じられています。

林家九蔵襲名騒動にあの泰葉が正論、待ったをかけた「林家正蔵の2つの大きなミス」 | 週刊女性PRIME
林家正蔵が三遊亭好の助の「林家九蔵」襲名に待ったをかけた騒動は、世間の同情を集めている。そんな中、正蔵と母・香葉子さんを痛快に断罪したのが、絶縁状態の泰葉。またも登場人物は海老名家ということで、この問題、長引きそう!?

海老名香葉子は兄と戦争孤児で火垂るの墓?

海老名香葉子は戦時中静岡県沼津市に疎開していたところ、1945年3月10日の東京大空襲で、父である竿忠の3代目・音吉のほか、母・祖母・長兄・次兄・弟の家族6人の命が奪われると、家族は三兄の1人となります。

東京大空襲当日、消化活動を指揮していた警防団の父が家に戻ったときには既に家に火が回っていたため、みんなで避難先の小学校まで逃げたものの、校門が閉まっていて中に入れなかった。

熱くてたまらないので、母は幼い弟を胸に抱いて地面に伏せ、その上に父が覆いかぶさり、祖母も2人の兄も動けず彼だけが父の指示で学校の中に入れたという。

その後、3日間、実家の焼け跡に座り込んで、父や母が戻ってくるのを空腹に耐えて待っていたものの、諦めて4日後妹の香代子の疎開していた沼津を訪ねたそうです。

ボロボロの姿で訪ねてきて「みんな死んじゃった。守れなかった。」と何度も泣きながら伝えられ、海老名香葉子さんは家族の死を知ったそうです。

海老名香葉子は空襲後、石川県穴水町に疎開し宇留地国民学校に通い、8月に疎開先で終戦を迎えています。

戦後は、親戚の家を転々とし、兄と戦災孤児として野宿したり雑草を食べたりしながら生き抜いていたそうですが、生き残った兄は中根喜三郎さん。

釣竿職人で竿忠・5世4代目。前名は、「竹の子」

父の知人で釣り好きで知られた3代目三遊亭金馬に勧められ、竿忠再興を決意したそうです。

1951年、釣竿職人の道に入り、1956年に独立。1974年、5世4代目竿忠を襲名し、帝国ホテルで襲名披露を行った。

江戸和竿協同組合理事長などの要職を歴任した。

2015年、名誉都民

海老名香葉子wiki現在のプロフィール

名前:海老名香葉子

出身地:東京市本所区(現・墨田区本所)

生年月日:1933年〈昭和8年〉10月6日

年齢:89歳

所属事務所:株式会社ねぎし事務所代表取締役

家族は

曾祖父:中根忠吉(1864年 – 1930年) – 初代竿忠。パリ万国博覧会に和竿を出品。朝倉文夫によって銅像がつくられ、竿忠の家に置かれた。長谷川伸の戯曲『名人竿忠』のモデル
祖父:中根仁三郎(1885年 – 1941年) – 2代目竿忠。初代から三代目までの間で作り上げた竿数が最も多い
父:中根音吉(1905年 – 1945年) – 3代目竿忠。著書『竿忠の寝言』。東京大空襲で死去。
妹:海老名香葉子 – 初代林家三平夫人。両親と祖母・長兄・次兄・弟を東京大空襲で失い香葉子と自分だけが生き残る。
甥:9代目林家正蔵
姪孫:海老名あづき 9代目正蔵の長女
姪孫:林家たま平 9代目正蔵の長男
姪孫:林家ぽん平 9代目正蔵の次男
甥:2代目林家三平
姪:海老名美どり – 峰竜太夫人
姪孫:下嶋兄 – 美どりと峰の子
姪:泰葉 – 春風亭小朝元夫人
従弟 – 石川県白山市で、蕎麦屋 (そば 竹林舎 唐変木)を開いている

峰竜太は長女・美どりの夫である。女優・国分佐智子は次男・泰助(二代目三平)の妻(2011年3月22日に入籍)。春風亭小朝は次女・泰葉の元夫で、その離婚を巡ってはマスメディアを賑わせる騒動となり、次男・泰助の二代目三平襲名にも影を落とす結果となった。孫に林家たま平(正蔵の長男・泰良)、林家ぽん平(正蔵の次男・泰宏)、下嶋兄(美どりの息子)がいる(その他にも正蔵の長女や、美どりの長女と言った女性の孫もいる)。

海老名香葉子の現在までの経歴

3代目三遊亭金馬に引き取られると、七代目林家正蔵の妻が出入りしていた関係から後に初代林家三平と結婚。

長女の他、次女・泰葉、長男・泰孝(九代目林家正蔵、前名:こぶ平)、次男・泰助(二代目林家三平、前名:いっ平)と、4人の子供をもうけ、林家たま平(正蔵の長男・泰良)、林家ぽん平(正蔵の次男・泰宏)、下嶋兄ら6人の孫にも恵まれた。

1980年、夫・三平が肝臓がんにより死去した後も惣領弟子で一門を引き継ぐ形となったこん平を支え、自らも一門の精神的支柱となり、通常は師匠の死去に伴い一門は解散となる落語界にあって、今日に至るまで一門存続を可能ならしめている

長年、家族・一門のマネジメントを行う個人経営の「ねぎし事務所」があり、夫の死後は先頭に立ってその運営を担っていた。2007年には法人化され、代表取締役となった。

現在は作家として活動しています。

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