タニア・ヘッドの911ウソがやばい!ワールドトレードセンター生存者ネットワーク

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アリシア・エステベ・ヘッド(Alicia Esteve Head)は911の生き残りとして、ワールドトレードセンター生存者ネットワークで積極的に活動していたものの、のちにすべてウソだったことがバレてしまい、アメリカに大きな衝撃を与えました。

Alicia Esteve Head
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タニア・ヘッドの911ウソがやばい!ワールドトレードセンター生存者ネットワーク

アリシア・エステベ・ヘッド(Alicia Esteve Head)は、世界貿易センターへのテロ攻撃で、航空機が衝突した現場より上層階から奇跡的に救出された19人のうちの一人。

しかも、北側のタワーで働いてい亜t結婚間近だったフィアンセをテロで失いました。

ワールドトレードセンターサウスタワーで当時仕事をしていたタニアは2機目の飛行機が衝突したとき、同じフロアにいました。

凄まじい状態の中、救助活動中に自らも命を落とした「赤いバンダナのヒーロー」と言われるウエールズ・クラウザーという名誉消防士に助けられ、5日間の昏睡状態から目を覚ました。

そして瀕死の男性から「妻に渡してくれ」と結婚指輪を手渡されたことから、指輪を手がかりに夫を失った女性の元へ行き、当時の様子を語った。

彼女は事故のトラウマに苦しむ市民を支援するボランティア団体の中心メンバーとして、メディアやグラウンド・ゼロのツアーグループに自分の体験談を語る活動に積極的に取り組み、やがて“悲劇のヒロイン”として全米の誰もが知る顔となります。

彼女は、WTCトリビュートセンターの落成式で、ブルームバーグ市長とルディ・ジュリアーニ氏のウォーキングツアーのガイドに選ばれました。

また、議会で生存者にも健康上の問題があることを訴えたのも彼女でした。

2007年、ニューヨークタイムズが記事を書くにあたり、外交官の娘で高学歴な才女を自称するタニアのバックグラウンドを再確認しようとしたが何ひとつ裏が取れず、嘘が発覚する。

タニア・ヘッドはハーバード大学の学位を得て、スタンフォード大学の経営学院を卒業したと主張していたが、両大学に彼女の記録は存在しなかった

また彼女はワールドトレードセンターのメリルリンチに勤務していたと主張していたが、メリルリンチに彼女の雇用記録はなかった

テロの当時、彼女はバルセロナのビジネススクールの学生で、事件の10日後に地元新聞の取材を受けていたのだ。

タニアは生存者ネットワークの代表を解任されたが、金銭的利益も受け取っていないばかりか、むしろ寄付を行っていたため罪には問われませんでした。

タニア・ヘッドは、本名をアリシア・エステベというスペイン国籍の女性で、父親と兄は1992年に金融詐欺で刑務所に収監されていました。

アリシア・エステベ・ヘッドは1973年7月、裕福な家庭に生まれ、5人兄弟の最後の一人で、唯一の女の子でした。

一家は、バルセロナの広大なアパート、マヨルカ島の別荘、そしてエル・カンペシーノと呼ばれる田舎の地所を行き来しながら、豊かな生活を送っていました。

彼女は甘やかされ、どんなに贅沢な願いでも叶えもらったそうで、16歳の誕生日プレゼントは、数万ドルのダイヤモンドがちりばめられたロレックスの時計。

しかし、両親がアリシアに与えられなかったものは、彼女が最も望んでいた「アメリカ人になること」でした。

タニアの場合は、彼女が憧れるアメリカ社会での自分のイメージを高めるための手段だったのかもしれない。

彼女は学生時代、バルセロナ大学に通い、スペインのホテル企業であるHovisaに勤務しています。

1998年から2000年にかけては経営秘書として働き、9・11事件が発生した2001年にはESADEの修士課程に入学していました。

タニア・ヘッドは初めてアメリカ合衆国を訪れたのは2003年のことでした。

タニア・ヘッドの虚言が暴かれた後、2012年、ワールドトレードセンター生存者ネットワークのメンバーからの証言を基にして『The Woman Who Wasn’t There』という題の書籍およびドキュメンタリー映画が制作されています。

2012年7月、タニア・ヘッドはバルセロナの保険会社のインター・パートナー・アシスタンスに勤務していましたが、ニューヨークでの事件を知った雇用主によって解雇されています。

The Woman Who Wasn't There
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