髙橋裕子(福岡スナックママ連続保険金殺人事件)の生い立ちや現在

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髙橋裕子は福岡スナックママ連続保険金殺人事件で逮捕された人物。

既に裁判も終わっていますが髙橋裕子の生い立ちや現在は?

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髙橋裕子の福岡スナックママ連続保険金殺人事件とは

2004年7月22日に博多・中洲の元スナックママである高橋裕子(逮捕時48)が、恐喝容疑で逮捕されます。

2件の恐喝と2件の殺人、さらに殺人によって死亡保険金を騙し取った3件の詐欺と1件の詐欺未遂で起訴されました。(最初の殺人による保険金詐欺は公訴時効が完成のため立件されず)

1994年10月22日、高橋裕子は長男の家庭教師だった男と共謀し、二度目の夫・野本雄司さんに睡眠薬入りの酒を飲ませて眠らせたところを、包丁で割腹自殺に見せかけて殺害。

野本雄司さんは建設会社の社長だったが、9月に取引先の倒産で1600万円の焦げ付きが発生し、これが原因で1億3000万円の負債を抱えて倒産。

髙橋裕子は殺害現場に借用書をばらまくなどして偽装工作を行い、自殺とされて保険金2億1000万円を得た。会社の債務処理などもあり、実際に得たのは1億ほどとされる。

1995年9月、高橋裕子は福岡市博多区中洲にスナック店を開業。

1999年6月、スナック店の常連だった内縁の夫・高橋隆之と結婚。しかし高橋裕子は派手な生活を続けていたためにすでに資金は底をついていた。

2000年1月、高橋裕子は高橋隆之に対して2000万円の保険金をかける。10月にも8000万円と3000万円の保険をかける。11月12日、高橋隆之を風呂場で溺死に見せかけて殺害。事故死として処理されるが、契約していた保険金約1億3000万円の内、病気を隠して契約していたことや保険の多重契約による告知義務違反により、保険金は2700万円しか支払われなかった。

2004年、高橋裕子は不倫相手の男性から100万円を脅し取る。7月22日、脅迫容疑などにより福岡県警によって逮捕。

最初の逮捕容疑の恐喝については”本件”ではなく、元夫2人を保険金目当てで殺害した殺人容疑での摘発が、捜査の主目的であることもわかっていた。

裁判では検察から「女王蜂が働き蜂に命懸けの奉仕を求めるように、2人が自分のために死ぬのを当然と考えた」と批判される。

2007年7月19日、福岡地裁において無期懲役の判決(求刑、無期懲役)が、共犯のBには殺人ほう助罪で懲役3年6月(求刑懲役12年)が下る。

2008年4月22日、福岡高裁でBに対し「証拠がない」として逆転無罪の判決。上告せず確定(疑わしきは罰せずおよび保険金殺人#概要も参照の事)。同年12月18日、福岡高裁が弁護側の控訴を棄却。

2011年4月26日、最高裁第一小法廷が上告を棄却、無期懲役が確定した。

共犯容疑者は一審の殺人幇助罪から、二審で無罪確定(疑わしき罰せず)

髙橋裕子の生い立ちや現在をwiki調査!

髙橋裕子は福岡市近郊の糟屋郡志免町にある裕福な靴製造販売会社の社長の娘。

福岡市内のお嬢様学校として知られる私立の中高一貫校・ミッションスクール福岡女学院中学校を卒業後、武蔵野音楽大学ピアノ科を卒業し近所でも評判の美人だったそう。

裕福な生活とその愛くるしい顔立ちから、周囲に「白雪姫」と呼ばれていました。

髙橋裕子は1979年に最初の夫(東京の音楽大学時代に出会った1歳上の慶応大学生)と互いの両親の反対を押し切って結婚し、2人の子供を出産しましたが、その後にサラ金に多額の借金をし、1985年10月に離婚。

髙橋裕子は逮捕までに3度の結婚をしており、最初の夫とは離婚したが、2番目の野田昭二さんと、3番目の高倉博之さん(仮名=死亡時54)が死亡。

当初、1994年10月に死亡した野田さんは自殺、00年11月に死亡した高倉さんは病死との判断が下されていた。

髙橋裕子がスナックを手伝い始めたのは、野田さんが死亡する前のこと。

やがて、野田さんの“自殺”によって支払われた死亡保険金を使い、みずからスナック経営に乗り出した

3番目の夫となる高倉さんと出会うとスナックを閉めて会社員の妻としての安定を得ようとするも、夫が職を失い、家計が破綻するとカネの切れ目が縁の切れ目。

高倉さんは勤務先の人事で部署が変わり、慣れない仕事のストレスでみずから職を辞し、生活に窮していました。

その渦中に服用していた睡眠導入剤を彼自身が病院で処方してもらうなど、髙橋裕子の事件性を否定する材料があった点は捜査が難航したひとつの要因となりました。

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