「両替」の由来の有力説に関係するのは?金貨と銀貨の併用?両方に有利?#ことば検定

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6月28日の「グッドモーニング」内のクイズ「ことば検定」で出題された問題は【「両替」の由来の有力説に関係するのは?】でした。

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朝日新聞出版

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答え:「両替」の由来の有力説に関係するのは?【ことば検定】

青:両方に有利
赤:金貨と銀貨の併用
緑:学生に人気の食堂

答え:金貨と銀貨の併用(赤)

「両替商」は、徳川幕府が定めた金・銀・銭貨が基本貨幣として通用する三貨制度のなかで発生した。 三貨制度が確立することになり、「東国の金遣い、西国の銀遣い」と称されるように、江戸は金貨を本位とした金建て・金遣い、これに対して上方は、銀貨を本位とする銀建て・銀遣いであった。

今では日本全国で同じお金が当たり前のように使われています。しかし、昔の日本では決して当たり前ではありませんでした。

主に江戸では金が使われ、大坂では銀貨が使われた
当時、東日本の経済は江戸、西日本は大坂を中心にして活動がおこなわれていましたが、江戸では金が頻繁に使われていたのに対し、大坂では銀が中心の経済が構築されていました。そのため、大坂の商人が江戸に行ったり、その逆だったりするケースでは換金に苦労したといわれます。そこで、「両替商」と呼ばれる仕事の需要が高まりました。三井や住友といった財閥は両替商として名前を上げていきます。

小判はめったに庶民の手に渡らなかった
価値の高い小判は庶民の手に渡ることがほとんどありませんでした。庶民にとっての高級なお金はあくまで銀であり、ふだんは銅で買い物をしていたと推測されます。仮に小判が手に入っても借金や家賃ですぐに消えてしまう運命だったので、家に留まることは稀だったといえます。

銀行がない代わりに「両替商」があった
両替商はお金に絡む取引全般を請け負っていました。最初は両替を専門におこなっていた業者も、江戸時代の経済が発展していくにつれ、さまざまな形で資金を運用していくようになります。たとえば、お金を貸し付けたり、利子をつけて預かったりといった仕事もこなすようになりました。ほとんど、現代の銀行と同じ仕組みが生まれていたようです。

また、両替商は「送金」も請け負っていました。交通機関も未発達で、現代のようにインターネットもない江戸時代では、遠方にお金を送るだけでも随分な労力が必要とされました。そこに目をつけたのが両替商です。人々は両替商のように資金力のある商人を通して、送金の手段を得ていました。こうして、一部の両替商は次々に力をたくわえていき、明治における財閥と化していきます。

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