ナイジャヒューストンの祖母をwiki調査!生い立ちが壮絶!

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ナイジャヒューストン(Nyjah Imani Huston)は「ハンドレールマスター」の異名を持つスケートボード選手で、レールの上をライディングする安定感は他の追随を許さないものがあります。

2021年の東京オリンピックでもやはりアメリカ代表で金メダルの最有力候補・ナイジャ・ヒューストンさんの気になるプロフィールをまとめています。

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ナイジャ・ヒューストンの生い立ち

Nyjah Huston – Elementality: Volume 1

ナイジャ・ヒューストンの生い立ちはまさに壮絶といって良いものがあります。

ナイジャ・ヒューストンはカリフォルニア州デイビスで生まれました。兄弟は3人の兄と1人の妹がいます。

父親・アデェミ・ヒューストは厳格なラスタファリアン(ジャマイカ発祥の宗教の信者)でナイジャヒューストンら自分の子供には他の子供たちと同じような自由を許しませんでした。

菜食主義者で、教育は母親・Kelle Hustonによって家庭内で学校教育を受けて育っています。

4歳の時にスケートボーダーの父親の熱心な指導のもとスケートボードの練習を始めました。

2004年、両親はウッドランドの自宅の近くにあった屋内スケートパークを購入し、ナイジャ・ヒューストンは週に6日必ず練習するほど練習に明け暮れます。

ハードな練習の甲斐があり、ナイジャ・ヒューストンはコンテストに参加するとライバルとは圧倒的な差を着けて優勝を総なめ。

ナイジャヒューストン選手は7歳の時に早くもElementとスポンサー契約を持つようになります。

その後も多くの大会で勝ち続け大手のスポンサーと多数契約を結び、11歳から現在にかけてプロのスケートボーダーとして活躍し続け、すでにプロスケーターとして生計を立てられるほどになりました。

ナイジャ・ヒューストンの祖母が日本人?

ナイジャヒューストンといえば、首から下の身体のいたるところにタトゥーを入れています。

中でも右手首のあたりには「熱情」という漢字2文字のタトゥがあり、海外では漢字をデザインの一つとしてタトゥにするのは割と一般的です。

ナイジャヒューストンもファッションの延長で漢字のタトゥを入れていると誰もが思っていましたが、実はナイジャヒューストンのバックグラウンドに日本の存在がありました。

東京オリンピックの“前哨戦”となった「THE FINAL:2019 CHIMERA A-SIDE」に参加するため、来日したナイジャヒューストンはインタビューで祖母は日本人であることを初めて公の場で口にしています。

ナイジャヒューストンには4分の1の日本人の血が流れているわけですが、父親と母親のどちらの方なのかは分かっていません。

ちなみに、ナイジャヒューストンの父親は彼が7歳だった2006年に一度、家族を連れてアメリカ・カリフォルニアからプエルトリコに引っ越し、農場を経営します。

実は大金を稼ぐようになったナイジャヒューストンのマネージャーを父親が担当していたものの、スポンサー企業にお金をせびったりし始め、スポンサー企業の関係が悪くなっていたそうです。

アメリカとプエルトリコは地理的にかけ離れていることもあり、スポンサー企業とも連絡が取れなくなり、ナイジャヒューストンは表舞台から姿を消していた時期もあります

その間に両親は別居し、母親は兄弟と一緒にカリフォルニアに戻りますが、ナイジャヒューストンは父親とプエルトリコに残ることになります。

しかし、母親が裁判を起こして父親から親権を取り戻したことで1年ぶりにアメリカに戻り、ふたたびスポンサーをつけて表舞台に姿を現すようになりました。

ナイジャ・ヒューストンwikiプロフィール

名前:ナイジャ・ヒューストン(Nyjah Imani Huston)

生年月日:1994年11月30日

年齢:25歳

身長:178cm

体重:68kg

出身地:カリフォルニア州ヨロ郡デイヴィス

国籍:アメリカ

スタンス:グーフィー

ナイジャ・ヒューストンが注目を集めたのは、element(エレメント)とスポンサー契約を結び、同社のチームに参加したことから。

エレメントのデビュー時代、11歳の時には「Elementality」シリーズなど、数多くのPVに出演し、スケボーのコンテスト「デューツアー(Dew tour)」や Vans主催のイベント「Vans Downtown Showdown」などのにも出場します。

早くもアメリカのストリートカルチャーのアイコン的存在となっていたナイジャヒューストンは、2011年に発表したPV「Rise & Shine」が「Transworld Skateboarding」誌の「Best Video Part」賞を受賞

また、これまで露出の多かったプロのスケートボーダーとしては異例となるDCシューズにもチームライダーとして参加しています。

ハストンがDCシューズでスケートボードをすることを決めた後、他のDCチームのライダーたちは、シューズ会社が制作したオンラインのプロモーション資料の中で、それぞれの視点から意見を述べました。

ナイジャ・ヒューストンは2013年の「X Games Street League」コンテストで金メダルを獲得したことを受けて、Transworld SKATEboarding誌が「獲得賞金額が世界成功に達した」と発表。

ただ2013年6月25日には肋骨の負傷により、ミュンヘンXゲームのストリート・リーグ・コンテストを辞退。

その後2013年7月にオレゴン州ポートランドで開催されたコンテストで復帰しています。

続く「2013 Kimberley Diamond Cup」でも優勝し賞金100万ランドを獲得しています。

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